2015年07月10日

大室寅之祐は果たして南朝の末裔か?

明治天皇が田布施の大室寅之祐であることは、もう一般的に知られている。

その大室の出自について解説してあるブログから、今回はそれを紹介したい。

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大室寅之祐が南朝光良親王の末裔なんて大ウソ
田布施町長と電話で質問してみたが大室寅之祐が南朝の末裔なんて大ウソらしい。町長の祖父は昔奇兵隊に出入りしてて奇兵隊明治天皇の話は小さい頃よくきかされたそうだ。

まず大室家といっても初代は大室寅之祐の曽祖父の代から。
(初代(父)大室文右衛門)2代目(息子)大室文右衛門のころ大室家が大庄屋になり文政時代ころから注目されこのころ南朝の末裔の自称するようになった。大室文右衛門の息子は早死ししかたがないので娘のハナと大室又兵衛の息子大室弥兵衛24歳を結婚させて養子をとることにした。

大室分家から大室本家の養子にはいった大室弥兵衛が3代目を継ぎハナとの間に2人の子ができたが2人とも早死し幕末大室家は弥兵衛の代で断絶した。

 

時を同じく1854年に地家河内作蔵(廻船業)とスヘが離婚。作蔵が3男朝平と長女ターケを引き取りスヘが長男地家寅吉と二男地家庄吉をひきとる。1855年1月スヘは大室弥兵衛と再婚。

 

長男地家寅吉は大室寅吉(のちの大室寅之祐に)次男地家庄吉は大室庄吉になりスヘは弥兵衛の2号となり1年後弥兵衛とスヘの間に大室寅助が生まれるがスヘが産後のひだちわるく肺結核で死亡。(西円寺池に入水自殺とも)ここで大室家は断絶し地家作蔵の息子地家寅吉大室寅之祐がぎりの母ハナに育てられる。
その後大室寅之祐は明治維新の1868年1月15日本物の明治天皇とすりかえられる。

 

以下

大正天皇・・・当時は大隈重信と岩倉が権力にぎっていて大隈の子が 大正天皇になる。岩倉の子は堀川辰吉郎となって御所を追放される。

昭和天皇・・・明治天皇の子で計画出産。明治天皇の権力で作られた。

今上陛下・・・当時は三笠宮崇仁と徳川(尾張)義知が権力握ってて 三笠宮の子を明仁に。尾張義知の子を常陸宮にした。

皇太子浩宮・・・昭和天皇と岸元総理の権力で大室庄吉の孫大室近祐の孫を皇室に養子にして浩宮にした。(安倍晋三の玉)

愛子さま悠仁さま・・・日本で一番権力持ってたのが橋竜と久美子。2番目が美智子皇后と正田巌。3番目が曽野綾子。
橋本龍太郎の孫を愛子さまにした。しかし橋竜が議員辞職しなくなって橋本家がナンバー1権力者から転げ落ち美智子皇后と正田巌が日本で一番の権力者
になり美智子皇后が紀子さんに「もう男の子作っていいよ」といわれ悠仁さまをつくった。

 

---------引用ここまで-----------

現在、皇居には南朝の英雄である楠正成の立派な像が配されてある。これは明治になってからなのだが、この行為が田布施出自の大室の存在をごまかすカモフラージュなのかも知れない。また、裏天皇と表天皇という表裏体制を取り入れたことによる南北合作をカモフラージュするものとも考えられる。

 

なぜなら、大室以降の天皇は上記のように、万世一系とは決して言い難い血筋となっているからだ。

補足(るいネットより)

山口県田布施町の怪③ 明治天皇は孝明天皇の子ではない/昭和天皇も大正天皇の子ではない

 

つまり現在の天皇家は、古来万世一系による血統を受け継いだ神聖なる皇族ではなく、欧州貴族らと同様に金貸しとして、そして金主として君臨しているだけだのではないか。

  投稿者 nihon | 2015-07-10 | Posted in 01.どうする?マスコミ支配, 08.近現代史と金貸しNo Comments »