安倍内閣の背後にある日本会議とその精神的支柱8
安倍政権を見るに、長州田布施との関係は目を離すことが出来ない。日本の首相に長州出身者が多いことは有名だが、明治政府を作ったのが事実上、長州藩である事も多いに関係している。
田布施とは、朝鮮からの渡来人が中心となる部落であるが、同様の部落が薩摩にもある。幕末に薩長が結びついたのも、ここに関係がある。
つまり、いろいろブログや本を読むと、安倍政権の背後には、日本会議という存在はあるものの、それは金貸しに影響を受け、明治維新を遂行させた日本の朝鮮系部族によるクーデターの流れの延長上にあると思えてくるのです。
日本の歴史は、明治初期に分断されており、明治政府を作った金貸しの手先たちは、自分たちの正当性を示す為に、幕府の不甲斐なさを説きながら日本の伝統文化や歴史の多くを書き換え、改竄と捏造を行い、さらには明治天皇をすり替え、神格化し、金貸しが最も儲かる軍国化を進めるために、軍と政治を分離した総督府という軍事組織を造り、第2次世界大戦まで軍国化の道を突き進んだというのです。
今後の、この流れを追うとして、まず今回は、長州藩がなぜ倒幕へ舵を来る事になるのか?
高杉晋作という金貸しの手先の登場から、長州藩が倒幕へ傾いていく。
以下、その序章となる部分をるいネットより転載します。
1862年の夏、上海から国家転覆を企む男がひとり、日本に帰って来たことから歴史の歯車が狂い出す。
即ち長州藩を過激な倒幕運動に導き、国際金融資本の手先として動いた男、 高杉晋作である。
ここからが倒幕テロリズム開始の年となる。
それに先立つ22年前、清国では英国との貿易の結果アヘン輸入量が増大、大量の銀が国外に流出したため、英国との貿易を禁止。これを不服とした英国は貿易保護を理由に軍隊を派遣した。アヘン戦争である。
敗れた清国は南京条約を締結し、英国に香港を割譲、上海・広東・アモイ・福州・寧波を開港した。
つまり香港を始め上海等は英国に本拠地を置く国際金融資本家たちの集合地帯となっていた。
この連中は世界のほとんどを植民地にし、アジアもインド・ビルマ・シンガポール等を支配下におき、アヘンを撒き散らし、略奪・虐殺の限りを尽くして荒稼ぎしていた者たちである。
そして当時清は「太平天国の乱」真っ最中で、「滅満興漢!」(満族から漢族へ)のスローガンを掲げ、そこかしこに打倒・清を目論んでいる連中がいた。
おそらく高杉率いるグループはここで国際金融資本家や打倒・清を目論む連中から革命思想でも吹き込まれたのであろう。
そもそも高杉の師匠、吉田松陰は易姓革命の理論的根拠となっている「孟子」を信奉していた。
つまりその松陰から薫陶を受けた高杉が革命思想に取り付かれるのも故無きことではない。
フランス革命も後のロシア革命もこの国際金融資本家たちが資金の提供元とされていることを考えると、さもありなんである。
一方、高杉晋作ら過激派テログループの悲願は「倒幕」。 つまり攘夷なんかよりも、自分らが日本の政権を握ることに野心を燃やしていた。
いわば、高杉ら過激派の活動は、攘夷の邪魔にこそなれ、長州藩の思惑とはまったく関係のないところで動いていたわけである。
だからこそ、長州正規軍と高杉率いる奇兵隊は相容れず仲が悪い。
それは同年に起きた「教法寺事件」で、奇兵隊が長州正規軍を襲撃したことで表れている。
これも、そういった実情を考えれば不思議なことではない。
今回は、ここまで。
しかし高杉晋作とは、いったい何者なのか・・調べときます。
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