企業の浮沈を握る認識シリーズ(5) 組織統合の構造:タテの統合分化、ヨコの専門分化を活かすには?
前回の記事では、これからの『共認の時代』の企業のあり方(組織体制)その可能性は『共同体』であることが提示されましたね。
加えて、近代社会を牽引してきた「民主主義」という価値観念の弊害を切開しました。(リンク)
現代社会において、当たり前のもの、守るべき常識として認識されている「民主主義」という観念が、企業運営にとっていかに邪魔なものかを知ってもらえたと思います。
さて、今回は「企業の浮沈を握る認識」の5回目として、「専門分化」について考察していきます。
いつものように、クリック応援お願いします。
理論を追求するにも、広報、宣伝活動を展開するにも、情報を収集するにも、これらの活動は、何れも専任した方が集中できて高度化してゆくので、専任化した方が有利になる。というのが一般的な認識であろう。
しかし、果たして「専門分化した方が高度化する」というのは本当だろうか? 検証してみたい。
★この問題を考える上ではまず、「集団の分化」には2種類あることを押えておかなければならないだろう。
1.集団・組織統合のためのタテの『統合分化』
2.高度化・効率化のためのヨコの『専門分化』
人類集団の歴史を紐解いてみると、集団の分化はまずタテの統合分化、次にヨコの専門分化の順で起こってきた。
1.タテの『統合分化』
★集団を統合する上で、まず統合者は不可欠なので、タテの統合分化は極限時代から存在した。
始原人類集団を統合していたのはシャーマンであり、そしてシャーマンの役割を継承したのが古代の僧侶・宗教家である。
(※参考:シャーマンが集団の統合者となった背景についてはこちらを→「原始人類集団のリーダーは、精霊信仰⇒祭祀を司る女であった」るいネットより)
次の時代の古代国家の王や官僚も、タテの統合分化上の存在である。なお、王や官僚は私権闘争により獲得された身分なので、集団統合の必要性に加え、「誰にも渡さない」という権力維持の色彩が強い。
歴史を俯瞰してみると、初期人類の小規模集団は一人で集団を統合できたが、集団の適応力が上昇→人口増→肥大集団化というプロセスで、集団を統合する為に、序列に則る形で統合機能を分化してきた構造が浮かび上がる。
★現代企業で考えてみても、同様の構造がある。
小規模の企業なら、社内の統合者は少数で済むが、大企業ともなれば「部長→課長→係長」などの肩書きを与え、その責任範囲を定め分担して統合しているのが、ごく一般的な組織構造だろう。
・・・そしてこの点にまず、現代の多くの企業が抱える欠点が潜んでいる!!
部門ごとの『ミゾ』あるいは『壁』と呼ばれる分化に伴い発生する統合不全あるいは共認不全が横たわっているのだ。
「本社は○○と言うけど、現場がわかっていない」などのソレである。
どの企業も、豊かさを実現する以前の「貧困の時代(~1970)」なら、利益獲得という一本の目的で、特に目標設定やすり合わせする必要がないほど、部門横断的に意思貫徹されていただろう。
しかし「お金第一」「出世」といった私権的価値が崩壊した今、企業の存在意義をどこに設定するか?レンジが広がった。
同様に社員の活力源も、自己実現など個人主義の隆盛とそれを後押しする制度と、社会貢献系の本源潮流の両引力の狭間で、経営者は個人~集団を貫く統合目標を定めることは極めて困難な状況になってきている。(本源潮流が時代の趨勢として優勢なのはいうまでもない)
2.高度化・効率化のためのヨコの『専門分化』
★人類史的に、高度化のためのヨコの専門分化は、ルネサンス期の職人や芸術家から本格的に始まった。これは、より質の高いものを求める宮廷需要発である。
例えば、農民がつくった茶碗よりプロがつくった茶碗の方がモノが良いのは明らかで、専門分化によって部分的な高度化・効率化が実現されるのは事実である。この宮廷発の高度化・効率化需要を足がかりにして市場が形成され、それを引き継いだ近代市場社会になると、一気に専門分化が進んでゆく。
★しかし、こうして近代以降、専門分化が進んだ結果、どうなったか?
近代科学は、本来、無限の構成要素が連関している自然という対象をわずか数個の断片要素に分解し、研究の前提条件を限定することで専門分化した。断片化された科学知識を応用した技術は目先の生産効率を上昇させたが、近代科学はその帰結として、後戻りできないほどの地球破壊を引き起こしてしまった。
つまり「豊かさ実現」という期待のもとに、市場拡大を推進することばかりに目を向け、快美性の高いものを生み出そうとした専門分化体制こそが、現在の歪んだ市場システム、消費動向、我々の身の回りをとりまく食品~商品の著しい劣化etc.を招いた張本人とも言えるのだ。
専門分化により部分的な高度化・効率化が実現されるのは事実であるが、だからと云って「トコトン専門分化を進めれば良い」と考えるのは大きな間違いであり、専門分化には大きな限界があることを知らねばならない。
ここまで、組織・集団の「分化」に焦点を当ててその構造を解明してきた。そしてその欠陥も見えてきた。
・・・では、どうすればいいのだろうか?
★統合と分化
端的に云えばまず、統合と分化が一体のものとして機能するような体制を組めれば勝てる。
もう少し掘り下げると・・・
★外圧=内圧
タテの統合分化も、ヨコの専門分化も、具体的には「外圧=内圧」の方程式が成り立つような仕組みになっていれば良い。
これらがイコールで結ばれる様に、統合系統を分化し、かつ求められる成果を高度化、効率化して実現できる柔軟な専門分化体制を組めば良い。外圧を深く共認でき、その外圧を受けた専門部門が活力最大で取り組めるような体制を自在に組めれば勝てる。
なお、マスコミの歪曲・偏向報道など鵜呑みにせず、事実を探り、識り、そこから次代を読み、確かな答えを探る姿勢なくして、競争激化の厳しい企業環境下で生き残る事などできない、と自覚すべきだろう。(※ここが統合できない根本問題)
★可能性は共同体
これまで本シリーズで見てきたように、最大の可能性は、会社組織を「共同体化」する事に尽きる。
共同体なら、経営者と労働者の立場が異なる企業と違い、全員が同じく外圧掌握も内部活力を高める事が出来る。その時々の外圧に適応する最も可能性の高い「統合体制」「分化体制」も必要であれば柔軟に組み替えてゆける。
そもそも、組織・集団を全員で創っていく事が『共同体』の存在様式そのものなのだから当然といえば当然だ。多くの企業は足元からバラバラなのだ。
共同体では「タテの統合分化」と「ヨコの専門分化」が密接な関連性、連動性を持って運営される。
タテの統合分化の軸上では、権力を背景にした上意下達式の強制命令はなく、取り巻く外圧状況と仕事方針は関わる全員で共認され、さらに下からの期待圧力や評価によって内容が最良のものに昇華され、各部門が密接に関係するかたちで統合される。
ヨコの専門分化の軸上では、「クライアントを勝たせる」「社会の役に立つ」といった姿勢が全社員で貫徹され、その上に具体的な生産目的や仕事の照準が設定される。それは専門部門の活力源として直結し、高度化と効率化が実現される。
★では、共同体でなければ展望はないのか? というのが次の問いになるだろう。
共同体化が一番の早道なのは間違いがないが、共同体以外でも、浮上する為の具体策は、いろいろとある。
・・・次回以降、続けて展開していきましょう。ではお楽しみに
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2012/10/2406.html/trackback