2011年12月22日

近代科学の成立過程11 ~17世紀欧州で、近代科学と民主制と中央銀行制度が確立したのは何故か?

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左からガリレオ、ケプラー、デカルト、ニュートン肖像
前稿「近代科学の成立過程10~」では、数学的形式に当てはまるように捏造した、現実には存在しない架空観念の体系が近代科学であることを提起しました。
そういう意味で、近代科学も自我と架空観念に基づく近代思想と同根です。
そして、17世紀にガリレオ・デカルト・ニュートンらによって近代科学が成立します(17世紀科学革命)。
ところが、この時代は科学だけではなく、デカルトの自我を原点とする思想「我思う故に我在り」やホッブズ・ロックの社会契約説が登場し、イギリスの名誉革命による近代民主主義が制度化されました。また、中央銀行制度(イングランド銀行)が設立され、金融勢力による国家支配の仕組みが確立しています。
このように、近代市場社会の制度や思想が確立したのが17世紀の欧州です。
(このことは、近代科学も民主主義も金融勢力支配も同根であることを示唆しています)
では、この時代に何があったのか?
17世紀の欧州社会がどういう状況にあったのかを押さえておきます。
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16世紀にアメリカから大量に略奪されてきた金銀が欧州にインフレを起こす(価格革命)。16世紀の約百年間に、欧州の物価は数倍に跳ね上がり、このインフレによって、額面固定の地代に依存する封建領主・貴族は没落し、金貸しからの借金で首が回らなくなった。金融勢力が繁殖してゆく過程である。
かつ、17世紀の欧州は小氷河期と言われるほど平均気温が下がり、農業生産に深刻な影響を与えた。
そして、17世紀欧州は戦争と殺戮の時代を迎える。第2の略奪闘争時代と言ってもよい(歴史の教科書では「ヨーロッパの全般的危機」と呼ばれている)。
17世紀の主な出来事をまとめると、
1600年    イギリスが東インド会社創設
1618~48年 ドイツ三十年戦争
1620年    フランシス=ベーコン『ノヴム=オルガヌム』
1633年    ガリレオ・ガリレイ、地動説を唱え異端裁判で有罪判決
1637年    デカルト『方法序説』
1640年~   イギリスピューリタン革命
1648~53年 フランス貴族の反乱(フロンドの乱)
1651年    ホッブズ『リヴァイアサン』
1652~74年 第一次英蘭戦争
1661年    ニュートン、万有引力の法則
1687年    ニュートン『プリンピキア』
1688年    イギリス名誉革命
1689年    イギリスで権利章典公布 英仏戦争開始(第2次百年戦争)
1690年    ロック『統治論』
1694年    イングランド銀行設立
1696年    ニュートンが造幣局監事に就任(1699年には造幣局長官に就任)
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ホーゲルベルク「アウデワーテルの略奪」
画像はこちらからお借りしました。
このように英・蘭・仏による植民地の争奪戦争をはじめとして至る所で戦争や反乱や革命が激化しているが、欧州社会に最も深刻な影響を与えたのがドイツを中心に行われた三十年戦争である。そこには欧州各国が参加し、ドイツを中心として欧州大陸が全域が戦場となった。そこで中心的な兵力となったのが傭兵である。
『世界史講義録』「ドイツの混迷・三十年戦争」によると、三十年戦争で傭兵たちは略奪の限りを尽くし、その結果ドイツの人口は4割にまで激減したらしい。

三十年戦争で兵士となったのは大部分が傭兵でした。傭兵がドイツの農民など一般民衆にものすごい被害を与えたのです。傭兵はお金で雇われる兵隊です。国を守るために志願して兵士になるような、近現代の兵隊とは全然違う。給料さえ払ってくれれば誰にでも雇われるのです。ヨーロッパのどこかで戦争が起こると、傭兵のグループはそこへ行って、自分たちの部隊を売り込む。そして、高く雇ってくれる陣営に参加する。
三十年戦争のような長期の戦争になれば、ずーっとひっきりなしに戦闘がつづいているわけではなくて、だいたい大きな合戦が一つあったら、しばらくは中休みがあります。なぜかというと、諸侯や皇帝は常に莫大な給与を傭兵たちに払い続けられないからです。一つ合戦をやったら資金が底をつくから、傭兵を首にします。資金がたまったらまた傭兵を雇って合戦をする、そういうサイクルで動いています。
傭兵の立場からすると、雇われて給料をもらえている期間より、失業状態の時の方が長い。失業中でも食っていかなければならない。どうするかというと、傭兵部隊はドイツの農村を略奪して廻るのです。
農民にとっては、戦争があれば、重税を課せられ、領主はその金で傭兵を雇う。村が戦場になれば、畑が踏み荒らされる。戦争がないときは失業中の傭兵部隊がいつ襲ってくるかわからない。傭兵部隊に襲われたら、略奪、暴行、虐殺、やりたい放題にやられる。
三十年戦争でドイツの人口は1800万から700万に減ったという。この多くが傭兵による被害と考えていい。
傭兵にとっては、戦争が長引けば長引くほど仕事がつづくわけだから、合戦の時も八百長試合もする。勝利の直前に戦闘を中断して、雇い主に賃上げを要求したりもしました。とにかく、兵士としては質が悪い。

カトリック側で傭兵軍を率いたヴァレンシュタインは、兵力提供と引き換えに皇帝から占領地における徴税権を手に入れ、そのおかげでヴァレンシュタインに投資していた金貸したちは、資金回収の目処がたつようになった。また、このシステムのおかげで傭兵たちは解隊(失業)と食いはぐれの心配がなくなり、ヴァレンシュタインは強力な傭兵軍を組織することができたという。
また、『目で見る世界史』「中世のユダヤ人」によると、
三十年戦争で破産寸前に陥ったドイツの諸侯は、有能なユダヤ人に財産管理を任せたばかりか、徴税を請け負わせ、戦争が起これば武器、傭兵を調達させた。神聖ローマ帝国内の200近い領邦のほとんで「宮廷ユダヤ人」が活躍したという。
加えて、一時は沈静化していた「魔女狩り」という名の殺戮が再び激化したのが17世紀である。この時代の魔女狩りはカトリック派は少なかったが、イギリスや米ニューイングランドなどのピューリタン派が特にひどく、寡婦など社会的な弱者が犠牲になることが多かったらしい。
17世紀イギリスのホッブズが「自然状態とは、万人の万人に対する闘いである」と言ったのも、当時の欧州の戦争と殺戮を反映したものであろう。
そして、宮廷ユダヤ人をはじめとする金融勢力が、国家に対する支配力を増してゆく。
『るいネット』「西欧近代:宮廷ユダヤが王族への借金をカタに近代国家システムを形成」にあるように、まず、国王や諸侯に戦争をけしかけ、金を貸す。次に、借用証書(国債の原形)をカタに徴税権や、紙幣発行権を得て中央銀行を設立する。1694年設立されたイングランド銀行である。
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画像はこちらからお借りしました。
17世紀とは欧州全域で第2の略奪闘争が繰り広げられ、自我・私権が暴走した時代(狂気の時代)である。
そこで自我の暴走装置である民主主義が制度化され、金融勢力による国家支配(中央銀行制度)が確立した。
同時に、大砲という軍事技術の要請から弾道学・機械学が発達し、ガリレオ・デカルト・ニュートンらによる17世紀科学革命が起こった。この過程は今後、紹介するが、17世紀の科学革命もこの自我・私権の暴走と無縁ではないだろう。
山本義隆氏の提唱する「16世紀文化革命」は確かに17世紀科学革命の土台ではある。しかし、17世紀科学革命はその自然観において大転換をしている。
「近代科学の成立過程1」で紹介したように、16世紀の職人たちは自然に対する畏れを抱き人間の技術は自然に及ばないと考えていたが、17世紀の科学者たちは科学と技術で自然を支配できるという自然観へ転換した。その代表が、新しい自然科学は、人間が自然を支配し自然力を使役するためのものでなければならないとアジったフランシス・ベーコンである。
17世紀の科学者たちは自然に対する畏怖の念をかなぐり捨て、自然からの収奪に向かって暴走を始める。それは、自然対象を実験という拷問にかけて自然法則を白状させるという攻撃的な実験思想から始まって、原爆・原発の開発に至るまで一貫している。
この近代科学の転換(暴走)を促したのは何か?
それを考える上で、17世紀欧州の略奪闘争と6000年前の略奪闘争との違いに着目する。
6000年前の略奪闘争→戦争は力の原理によって制圧され武力支配国家が登場した。そこでは力の原理によって自我・私権が一定封鎖されたのに対して、17世紀には既に国家は出来上がっており、かつ市場が繁殖していた。17世紀の略奪闘争に点火された自我・私権は市場に可能性収束し、市場の側から国家に対する私権要求を強めてゆく。
例えば、イギリスの民主革命でもフランス革命でも、民主主義の成立過程では私有(財産権)の不可侵が謳われている。
つまり、民主主義制度は私権確保の軸上で、自我⇒私権要求に応えて成立したものであり、それを正当化したのが社会契約説である。
実際、ロックの社会契約説では「自然状態下において、人は全て公平に、生命、財産(所有)、自由の諸権利を有する。政府は諸国民のこの三権を守るために存在し、この諸国民との契約によってのみ存在する。政府が国民の意向に反して生命、財産や自由を奪うことがあれば抵抗権をもって政府を変更することができる」と宣言している。
これは、まるで「私権要求に応じなければ国家を転覆することも辞さない」という恫喝である。
イギリスでは1688年名誉革命からわずか6年後の1694年に中央銀行制度が確立し、金融勢力が紙幣発行権を独占し国家にお金を貸すという、無から有を生み出す仕組みによって、その後の国家は借金漬けになって、金融勢力に支配されてゆく。
この経緯から考えて、イギリスの民主革命とは金融勢力が中央銀行(イングランド銀行)を制度化するために必要であったのではないだろうか。
中央銀行制度とは金融勢力が国家を収奪(支配)する仕組みであり、社会契約説や民主主義は、金融勢力が国家を収奪(支配)することを正当化する思想であると言っても過言ではないだろう(この点は、近いうちに詳述する)。
同様に近代科学は、人間が自然を収奪(支配)することを正当化した観念であると言っても過言ではない。
このように、民主主義(社会契約説)も近代科学も、収奪(支配)の正当化観念であるという共通項がある。
17世紀の第2の略奪闘争によって欧州全体で暴走した自我・私権が市場による収奪(支配)に可能性収束した。国家から収奪するための正当化観念が民主主義であり、自然から収奪するための正当化観念が近代科学である。
そこでは科学者の自我も肥大して自然に対する畏れを捨て去り、金融勢力の手先となって、近代科学の暴走も始まったと考えるべきだろう。
「近代の科学者は金貸しの手先だった」
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List    投稿者 staff | 2011-12-22 | Posted in 13.認識論・科学論No Comments » 

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