2012年07月06日

近代科学の源流2 ギリシア哲学から近代科学を貫く架空観念への短絡思考→カルト化した素粒子論と地球破壊

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「魔術から近代科学へ」シリーズの【まとめ】その2です。
「3.略奪による共認破壊→恐怖と暗黒⇒自我収束をエネルギー源として架空観念を追求したギリシアの要素還元主義者」
「4.物活論(有機論的全体論)→魔術→ニュートンへ」
「16.近代科学は短絡思考の産物である」
略奪闘争の結果、共同体と共認充足を破壊し自我収束したギリシア人は、潜在思念(本能・共認機能)による直感性能を著しく退化させた結果、人工的な観念によってしか自然を対象化することができなくなった。それが、相対主義や要素還元主義(原子論・機械論)である。
一方で、万物に生命が宿るとする守護神信仰由来の物活論→有機体的全体論は根強く残存し、機械論・原子論にもとづく要素還元主義と、物活論(生命体的自然観→有機体的全体論)は、ヘレニズムの時代に対立が先鋭化してゆく。さらに、近代になって、力についての両者の対立が、重力をめぐってデカルト機械論とニュートン主義者のあいだで再現されることになる。

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【1】要素還元主義と生命体的自然観の対立→デカルトの近接作用説とニュートンの遠隔作用説の対立
古代最後の原子論者(還元主義者)ルクレティウスは、夥しい数の原子全体の運動と結合の結果として宇宙が形成されたと考え、現代物理学の分子運動論を髣髴させる。さらに磁力の説明として、磁石と鉄は「環や鉤」でメカニカルに結合するという。
これが還元主義に立つ磁力の近接作用説であるが、この「鉤や環による結合」という表象こそは、一七世紀になって機械論者が発想と同じものであり、ルクレティウスの原子論は近代の機械論と原子論(要素還元主義)の原点である。
一方、万物に生命が宿るとする物活論→有機体的全体論は根強く残存し、それを代表するガレノスは要素還元主義を徹底的に批判した。
ガレノスの立場は、有機体としての身体各部には「引き寄せ力」「保持力」「変質(同化)力」「排除力」という「自然力(デュナミス)」が備わっていることを認め、かつこれらの力をそれ以上還元不可能なそれゆえまた説明不可能な自然の基本的事実として受け入れるということである。
ガレノスにとっては、磁石が鉄を引き寄せるのは、生物が飲食した食物から栄養物を吸収・摂取するのと同様の、それ以上還元不可能・説明不可能な性質(生命的な働き)なのである。これが磁力をそれ以上説明不可能とする遠隔作用説である。
古代の要素還元主義はヘレニズム時代で終焉する(17世紀のガリレオ・デカルトらによって復活する)。一方、生命体的自然観→魔術はキリスト教支配下でも根強く残り続け、ルネサンスにおいて近代科学の源流の一つとなる
力についての両者の対立が、近代になって重力をめぐってデカルト機械論とニュートン主義者のあいだで再現される。
近代になって再登場した機械論・原子論に基づく近接作用説は、これらの古代の還元主義の復活・踏襲である。
他方でニュートンの重力理論(遠隔作用説)は、天体間の重力を、それ以上の説明の不可能な事実として受け取るという立場を標榜する。
実際、生涯に亙って魔術→錬金術に嵌っていたニュートンはデカルトたちの恣意的で空想的な機械論的モデル作りを「仮説の挫造」として退けた。
それに対してデカルト主義者たちは、物体(天体)が空虚な空間をへだてて力を及ぼしあうというようなニュートンの重力論は現象の言い換えにすぎないと批判し、その「説明」を要求したのである。
このデカルトとニュートンの対立は、『新しい科学論』(村上陽一郎著 講談社 1979年刊)に詳しい。

近代科学は近代ヨーロッパに生まれたのは、自然科学者がキリスト教的偏見や宗教的迷妄を捨てて在りのままに自然を見たから科学的真理を見つけたのではない。神がこの世界を合理的につくりあげたというキリスト教的偏見をもっていたからこそ、近代科学を生み出すことができたのである。
このキリスト教的偏見には、大きく二つの立場がある。
一つは、神の力は「創造」のときに全面的に働いただけで、あとは自然界は神の最初の計画通りに動いているという立場(デカルトらの静的創造論)
もう一つは、神の力は「創造」の時だけでなく、今も働きつづけいてるというもの(ニュートンらの動的創造論)。この世界には常時神の手の介入があり、「創造」という神の行為も最初に創造された時だけに限定する必要はないという立場である。
両説はお互いを、「神への冒涜」であるとして攻撃する。
デカルトら静的創造論から見ればニュートンら動的創造論は、神が最初に行った創造の手直しをしなければならないと主張し、神の全能性を冒涜しているように見える。動的創造論からすれば静的創造論は、神の働きを最初の創造の一点に限定することになり、神の遍在性(いついかなるときにも神はその力を示ししつつ存在すること)を冒涜しているように見える。

神は天地創造の時に力と運動を加えたが、その後は神が創った自然秩序(機械的な仕組み)に従って宇宙は動いている。これがデカルトの機械論と近接作用説である。それに対してニュートンは神の力=魔術的な力は今も働き続けており、それが万有引力による遠隔作用説である。
【2】ギリシア哲学から近代科学を貫く西洋自然認識の欠陥構造=短絡思考
このように、近代科学のパラダイムはギリシア時代の要素還元主義や魔術・錬金術やキリスト教の天地創造説という架空観念のパラダイムを受け継いでいる。
このような現実を捨象した一面的な観念回路が出来上がった秘密は、観念原回路にある。
この観念原回路の起点は、共認回路である。
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人類は原始時代500万年に亙って恒常的な餓えに晒され、共認充足を唯一の命綱にして生き延びてきた。そして、元々同類を対象とする共認回路を自然・宇宙に対して作動させ、宇宙との共認(対話)を試みた。そこで人類が万物の背後に観たのが精霊である。この回路が観念原回路である。
この回路は360度外向きに放射する徹底した前方思考であり、ここから予知・霊感思考が生まれた。
但し、これは共認充足がその前提にある。
共認非充足の場合は、観念原回路は反転して自分の内側(脳内)にある-捨象+収束のドーパミン回路が作り出す充足回路に収束してゆく。ところが、それは短絡充足なので、観念原回路→観念回路はひたすら短絡思考に向かってゆく。同時にこの思考は自分の内側に向かうので、潜在思念によって対象全体を感覚的・直観的にキャッチする能力は劣化してゆく。そして、自らが短絡した一面でしか対象を捉えられなくなる。
略奪闘争によって共同体と共認充足を破壊し自我収束したギリシア以降、西欧の自然認識は短絡思考の産物となる。それが要素還元主義(原子論・機械論)、魔術や錬金術、天地創造説など、古代ギリシアから近代科学を貫く架空観念である。
【3】短絡思考の恐ろしさ~カルト化した素粒子論と地球破壊
『Kazumoto Iguchi’s blog』は、質量の起源とされる「神の粒子」ヒッグス粒子が発見されたと持て囃している現代素粒子論を、素朴な反論を許さないカルトであると看破している。
「神の粒子は悪魔の粒子だった!?:あまりに素粒子物理学は調子こきすぎだヨ!」

「ヒッグス粒子」が質量の起源だという定義をとると、UFOなど、質量を自由自在に操ることができる反重力の存在はまったく無視することになるということになるわけである。論外だとなってしまうのである。したがって、こういう場合には、UFOなど存在しないという誤った結論を導くのである。
私が素粒子物理学のどこが間違っているか、といえば、やはりこれは一種のカルト宗教だと考えたからである。要するに、著名な代表的研究者の唱える構想や着想に異を唱えると、職場を失うという現実を幾多も見て来たからである。素朴な反論を許さないのである。それほどまでに、素粒子物理はカルト化しているのである。

『Kazumoto Iguchi’s blog』ではUFOの例を挙げているが、素朴な反論を許さないのは、素粒子論だけではない。近代科学全体に言えることである。
例えば、
「なんで、こんなことになってしまったのか?⇒科学者たちの信じられないアホさ加減」

昔から地震の予兆として、ナマズをはじめとする動物や井戸や雲の色・形など、様々な現象が素人の知恵として蓄積されてきた。素直に考えれば、それらの現象がなぜ起こるのか、原因の解明から入るのが当然である。ところが、学者たちはそれらを俗説として無視してきた。それは、学者である以上、素人の俗説より上でなければならないからである。そうして、学者たちは、現象事実を俗説として無視し、真っ赤なウソ(プレート説)を唱え続け、その問題を指摘されるたびに辻褄合わせを重ねてきた。実際、彼らは数千億円も使いながら、一度も当てたことがない。

つまり、ギリシア哲学から近代科学を貫く架空観念への短絡思考は、「自説は絶対正しい」という強固な正当化観念となり、それに反する現象事実や根本追求に対する忌避回路が形成される。
これが近代科学において現象事実が捨象され素朴な反論が許されなくなる理由であり、その行き着いた先の現代素粒子論がカルト化した理由である。
しかし、短絡思考の本当の恐ろしさは、それが地球破壊をもたらすことにある。
無数の構成要素や力が連関している現実の自然世界を、近代科学はわずか数個の断片要素に短絡し、その他の要素を捨象した人工的な特殊限定空間で実験を繰り返してきた。そうしてできた科学法則は、現実には存在しない特殊空間(実験室)でのみ成立する限定的な法則にすぎない。科学技術が大規模化すれば、実験室規模では捨象された要素や予測されなかった事態が顕在化する。
このギリシアの自然哲学に始まる近代科学の短絡思考こそ、西洋の自然科学の欠陥構造であり、地球破壊の原因なのである。

List    投稿者 staff | 2012-07-06 | Posted in 13.認識論・科学論No Comments » 

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