2013年10月29日

新概念を学ぶ19~チンパンジーの力の原理とボノボの充足原理

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「ボノボ」見た目もDNAもチンパンジーとほとんど変わりません。
画像は「共同体社会と人類婚姻史」からお借りしました。
「新概念を学ぶ18~自我の原点は個人自我ではなく集団自我(私権)」で述べた論点は、次の通りです。
真猿では、同類闘争(集団間の縄張り闘争)⇒集団自我(私権意識)⇒「縄張りを守るために敵を倒せ」といった他集団の否定意識が発現し、それによって真猿個体の否定意識も強くなる。その否定意識を媒介にして、周りから与えられた期待や評価を否定視した場合に評価(共認)捨象・自己陶酔の自我(回路)が形成される。こうして個体の他者否定・自己正当化の自我が形成される。
つまり、集団自我(自集団の縄張り意識=私権意識)が他集団の否定意識を生み出し、それが個体の否定意識⇒個人自我を生み出した。これが、自我の原点は個人自我ではなく集団自我(私権)ではないかという仮説である。

今回は、この仮説を検証するために、チンパンジーとボノボの違いに焦点を当てる。
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原チンパンジーから500万年前に人類が枝分かれした後、約100万年前に分かれたのがボノボである。
従って、チンパンジーもボノボもDNA的な違いはほとんどない。
また、チンパンジーもボノボも、メスの子どもが成長すると集団の外に移籍する父系集団であるが、集団の統合原理は全く異なる。

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「チンパンジーの狩り」
画像はこちらからお借りしました。
まず、チンパンジー集団の統合原理は、力の原理である。
『るいネット』「父系集団チンパンジーと略奪部族の同類殺し①」から引用

本能では同類は殺さない。もちろんこれは一般のサルもそうである。
ところがチンパンジーは、規範を破った(浮気をした)メスを(見せしめのために)殺すことがある。更にはチンパンジー集団同士の同類闘争で敵の集団のチンパンジーと殺しあうこともある。
一般のサルは母系集団で成人オスが移籍するが、チンパンジーはメスが移籍する父系集団である。チンパンジーが父系集団へと転換した理由はサル同士の種間闘争を勝ち抜くためにオスを残留させたほうが有利だったからである。逆にいえばオス残留に転換できたことで樹上の覇者となることが出来たともいえる。ところが父系集団に転換した途端に極めて厄介な事態にチンパンジーはぶつかったと思われる。
生殖存在であるメスは闘争集団に対する収束力(帰属性)が極めて貧弱であり、自らが生まれ育った生殖集団=闘争集団においてはじめて集団に全的に収束できる。ところが移籍した新集団においてよそ者であるメスは集団に対する帰属性が弱く、従って度々(浮気などの)規範破りを犯すことになったと考えれられる。チンパンジーはそのような集団破壊行為に対して、闘争集団としての規律を維持すべく規範を破ったものに対する「死の制裁」の共認を強く形成する必要があったのではないかと考えられる。そのようにして規範共認によって、本能には無い同類殺しが生まれたのではなかろうか。
それ以降チンパンジーは敵に対しても「仲間」を傷つけるものに対しても、いわば制裁規範という形で同類である相手のサルを殺害するに至ったのではないだろうか。

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「ボノボの性行為」
画像は「共同体社会と人類婚姻史」からお借りしました。
それに対して、ボノボ集団の統合原理は、性を中心とした充足原理である。
『るいネット』「性の問題を力で解決するチンパンジーと、力に関わる問題をセックスで解決するボノボ」

コンゴ川の左岸だけに生息し、「セックスと平和を愛する」といわれる類人猿ボノボ。近年の研究で、その意外な素顔が見えてきた。
人間に最も近いといわれる類人猿、ボノボは「セックスと平和を愛する」ユニークな生態で有名だ。他集団との争いや子殺しも辞さない好戦的なチンパンジーと近縁でありながら、なぜボノボはこんな風になったのか? コンゴ川の左岸にボノボ、右岸にチンパンジーとゴリラが暮らす現在の分布が、進化の謎を解く鍵とみる説も出ている。
ボノボとチンパンジーの大きな違いは行動にある。なかでも目に付くのは性に関連した行動だ。飼育下でも野生でも、ボノボは驚くほど多様な性行動を行う。ボノボの性的な活発さは、生殖目的の性交に限定されない。それ以外の、いわば社会的な性行動が実に多様なのだ。
こうした行動は通常オーガズムには至らず、コミュニケーションが主眼のようだ。敵意がないことを伝える、興奮を静める、挨拶する、緊張を和らげる、絆を深める食べ物を分けてもらう、仲直りをするといった目的で行うこともあれば、単に快感を求めて行う場合や、こどもの遊びが性交の練習になっている場合もある。
頻繁に、たいていは無造作に行われる多様な性行動は、さまざまな場面で社会の潤滑油の役割を果たす。ドウバールによれば、「チンパンジーは性の問題を力で解決するが、ボノボは力に関わる問題をセックスで解決する」というわけだ。

つまり、力の原理で統合されるチンパンジー集団と、(性)充足原理で統合されるボノボ集団という違いである。
縄張り闘争の制覇力は戦闘行為(肉弾戦)における闘争力である。
チンパンジーは同類闘争(集団間の縄張り闘争)を勝ち抜くために、力こそが集団の第一価値となり、力の原理によって集団が統合される。
多くの真猿もチンパンジーの力の原理を水で薄めた統合原理であろう。
それに対して、ボノボが生息するのは大河に挟まれた特殊閉鎖地域である。
この閉鎖された地域では同類闘争圧力(とりわけ種間闘争圧力)が衰弱し、かつ食糧が豊かで餓えの圧力が低下した。そうなると、力ではなく充足が第一価値になる。充足とは共認充足であり、その中心は性(雌雄の解脱共認)である。従って、ボノボは父系集団でありながら力の原理ではなく、(性)充足原理で集団を統合するようになった。
このチンパンジーとボノボの統合原理の違いが、「ボノボをセックス好きで平和を愛する種に進化させ」「性の問題を力で解決するチンパンジーと、力に関わる問題をセックスで解決するボノボ」を分け隔てた。
このように、力の原理で集団を統合したチンパンジーは、その個体においても否定意識と自我が非常に強い(凶暴である)。それに対して、食糧が豊かで同類闘争が激しくないボノボは(性)充足原理で集団を統合し、個体の否定意識も自我も貧弱である(平和を愛する種である)
とすると、個体の自我を発現させるカギとなっているのは力の原理という統合原理なのではないか?という疑問が生まれる。

次回、それを検証する。

List    投稿者 staff | 2013-10-29 | Posted in 13.認識論・科学論No Comments » 

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