2011年09月21日

カタカムナに学ぶ ~カムナガラノミチと日本語の起源~

国債暴落から近代市場の崩壊が迫っています。それは近代のみならず、5千年前の国家誕生以来の私権社会の崩壊をもたらす可能性が高い。その意味で、国家誕生以前の原始社会の特色を色濃く残す日本語や、その日本語を作った原日本人(カタカムナ人)の認識世界を解明することは重要なテーマでだと思われます。
先回につづき、このような視点で楢崎皐月氏の提唱したカタカムナ説を学び、紹介してゆきたいと思います。今回は、カタカムナ文献の図象文字から導き出した〈カムナガラノミチ〉と日本語の起源・特徴についてです。
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図はリンクよりお借りしました

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以下の文章は
相似象学会誌『相似象』五号(1975年7月 シーエムシー技術開発㈱発行) リンク
より引用・要約したものです。

●カムナガラノミチとは?
〈カムナガラノミチ〉とは、中古代以降に開発された古神道や神社神道等との宗教とは本質的に異なるもので、我々日本民族の上古代の、精神文化の一端を示すものとして、当時の生活生産技法の一端をも、うかがふ事のできるものである。
現在でも動植物の多くは、生物体覚本能によって、天変地変や天候気象の異変を予覚して、生存のために対措している。我々日本民族の上古代には、鋭い生物体覚に基づく「直観知性」によって、高度の能力を発揮した部族が生存していた。
その高度な文化が、なぜに後代に伝わることなく埋没したか?
古代の智識層は、「カタカムナ音声符」による表示法を廃止し、漢字を採用して、オン・クンの当て字による記載を、強制的に断行すると言う過失を犯した。漢字に移された「神の名では、音声符の象(カタチ)で表現していたカタカムナ人の相(スガタ)は消滅し「神の名」から、上古代人のサトリの内容を描きだす手懸りも、断ち切られてしまったのである。
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この〈カムナガラノミチ〉とは、楢崎の、カタカムナ文献の、図象文字の解読により、古事記、日本書紀よりもはるか以前の、カタカムナの上古代人の感得内容を、直接、感受することができるようになり、その結果「カミカタリ」の原型を復元したものである。
この「カタカムナ文献」と称するものは、敗戦後の1947年、兵庫県六甲山中系金鳥山の辺において発見された、カタカムナの神を奉祀する平十字(ヒラトウジ)氏所蔵の巻物によるもので、特殊な人々の手によって秘匿されて来たものである。
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相似象学の立場は、個々の研究に限定せず、ひろく宇宙のあらゆる森羅万象にみられる「相似の現象」の、「原型と原象(モデルやパターンの大もと)」をカタカムナ人が示して居ることに注目し、彼らのサトリの内容を解明し、更に、カタカムナ人の発想を現代的に生かした、新しい発展の方向を見出し、それを次号以下にくりひろげてゆく予定である。
※カミの語源
日本の神話の場合の「カミ」とは、実は人格的な「神」ではなく、川の源流を「川上」というように、「起源」をさすのが、本来の意味であった。
また「カム」は「カミ」のなまったものの如くに解され、とくに深く考えられたことはなかったようである。果たして「カミ」と「カム」とは全く同じ言葉であったのか?
※現代人との思考の違い
古代語には、我々現代人の、もう失ってしまった発想や、把握のしかたが表明されて居り、それが、現代の科学用語よりも、はるかに「科学的」で、真相をついて居る場合が多いのである。・・・例へば、現代の我々の用いて居る「時間空間」等という概念よりも、カタカムナ人の用いている〈トキトコロ〉といふ表現のほうがはるかに意味が深く、時間空間の本質と現象を、ズバリとつかんで居る。
現代人のアタマ(理知の作用)といふものは、たとへば「時間空間」等といふ概念を勝手につくり上げておいて、そして今度は、それを否定するとか、論証するといった思考をたくましく働かせ、又、「神」という概念をつくり出して、それを信仰したり、異なる宗派のあいだで抗争を繰り広げるといった行為をやってのけるのである。

古代以前の原始においては、人々は「直観知性」にもとづく、高度な認識体系と文化をもっていたらしい。しかし、その後の略奪闘争や国家形成に伴い消滅していった。
上古代人のカタカムナ人の認識体系は、森羅万象を対象としてそのサトリを表していた(つまり精霊信仰)のに対し、現代人の認識体系は、人工的に自分に都合よく作られた概念の上に成立している。そこが大きく違うということです。
しかし、カタカムナ人の残した言葉を引き継ぐ日本語には、そのカタカムナ人の捉えた思念
が、言葉化されよく残っており、数万年を経て僕ら日本人のに継承されているのだという。・・・・・

では日本語はどのように形成されたのだろうか?

●日本語の起源
最も古い文字の遺物は、金銭や物品の交換や納品の記録、経済の契約や戦勝の記録などであった。しかし日本語の起源であるカタカムナ人の残した図象文字とその文献の内容は、従来の文字や言葉の概念では捉えきれないものだった。
カタカムナ人は、自分たちのサトッた天地宇宙のコトワリを、子孫に伝える工夫として、まづそのサトリを表す表象物をつくり、それを説明する言葉のために、その表象物の〈ヤタノカガミ〉の図象を分解し、四十八の音を示す文字(声音符)をつくったのである。
四十八の音をきめた発想のもとは、彼らが、自分たちのスナホな体覚によって感受した、宇宙天然のあらゆるヒビキを、人間の発声できる、近似の音にうつしたところにあったと考えられる。
言い換へれば、すべて、モノが動けば音を発する。況や我々の地球や太陽のような大きなモノが、旋転(マワリ)したり循環(メグリ)したりして宇宙を運行すれば、もの凄い音響を発しているに違ひない。・・・そしてそれは人間の耳にキャッチ出来る音ではなく、人間の五感に登らぬとしても、鋭い体覚があれば、なにかしら、その気配を、感受できぬ筈はないであろう。
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おそらくどの民族でも、大昔の人々はそのような機能をもっていたであらうし、現在でも、なほ、多かれ少なかれもって居る人はあり、又、鍛錬次第でよみがへるようである。西欧にある占星術等の起源も、そのような何らかの感受に発したものであったかもしれない。
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つまり日本語の起源は、先に人間の側の意志や思念があり、それを四十八の音にあてはめたものでは無い。宇宙のヒビキが先にあって、それを感じ分けたのである。
日本語の四十八の一音一音は、おのづから、天地宇宙が、そのようなヒビキを発して居る、さまざまな様相を、表はしたものであった。それで、そのような音を、二個三個と組み合わせて構成される日本語は、当面の意味の奥に、つねに、それぞれの音の意味する、天然宇宙の様々な様相のニュアンスを、ひとりでに包蔵して居ることになる。そして、それらの二音三音が、更に組み合わされて、おのづから、五・七、五・七調のウタとなって、人々の口をついて出るのである。

驚いたことに日本語の一音一音は、天地宇宙の響き・コトワリを言葉化したもの、つまり、自然・宇宙を対象とする構造認識であったという。
しかしそう考えると、たしかに日本語がもつ特性(ex 自然音を左脳で聞く日本語の凄さ)も繋がってくるように思う。
従って日本語は、一音一音が非常に重要であるという。

●日本語の特徴
要するに、日本語のナリタチは、その一音一音に意味があり、いはば、ただの一音でも「言葉」なのである。
例えば、「○○へ」といふときは、方向を示す思念の「へ」の方が、「え」よりふさわしいわけであるが「岩」については、カタカムナ人の用例によれば「岩」が渾然と固まっている居る有様を示すときは「イワ」といひ、岩にもイ(アマの微粒子の思念、ここでは電子)の正反(ハ)がある、といふ意味のときは「イハ」といっている。なほ、同じく大きいものを表はすにも、立体的に六方にガッチリとかまへた岩(イワ)のような大きさなら「オオキイ」と言ひ、正反親和したスガタには「オホキイ」と発音したようである。
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人間のアタマの機能といふものは、大本のスジさえ通っていれば、相当複雑なことでも、らくに会得しうるが、スジの通らぬことを覚えさせるには、特別なエネルギーが必要・・・日本語の教育を正すには、一音一音の基底思念を、追体験的にさとらせる事から出発すべき事から出発すべきである事を、私達はカタカムナの解読によって知ったのである。
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とかく日本の学者は、何でも西洋人の尺度でのみ律しようとする為に、この場合も、西欧語とは全く体系の異なる日本語のナリタチを、正当に学問化する方法が立ちおくれ、その為に、混乱を生じて居ると言えるであろう。
何事でも、モトをたださないで、末端の現象を、いかに微細に研究しても、それを以って学問の進歩と、一概にみなすわけにはゆかない。むしろ、そのようなやり方は、世人の正しい智識をあやまたせ、常識をくらます危険がある。遠まわりのようでも、マットウな「直感鍛錬」こそ、一生の大事である。
●日本語の音感
日本語に極めて多く見られる、コロコロ パラパラ グズグズとか、サッパリ ウッカリ オットリ ポツンとはいふ言ひ方は、多民族の言葉にもある擬音語擬態語の類いではないし、同じくモノがあらわれるにも、パッと出る、ヌッと出る、ニョキニョキ出る、モジモジ出る、スー―と出て、ゾォーッとさせるのは幽霊、ヘマが出ればウンザリ、ガッカリ等々、もしその状況を、他国語に翻訳するとなると、多くの形容詞、副詞、動詞を並べ立てても、トテモ日本人同士ほど、それこそ「パッ」と通じるような具合にゆくものではない。我々の間では、例えば、イソイソとかゲッソリとか言えば、それだけでその様子が、マザマザと伝わるが、・・・・・西欧人には、その代わりに手振り身振りが発達する事になったのかも知れない。
又、例えば、ミッチリとミッシリ、シックリとユックリ、あるいはガッチリ ガックリ ガッシリ ガッポリ等の、チとかクとかシとかホとかの、唯一音の違いが、その昔、カタカムナ人のとらえたヒビキの基底思念を、何とよく保ち伝えて居ることか!

このような日本語の中に、古代にシナ語が入ってきた。

●オンとクン
そもそも同じ漢字に、オンとクンがあるという事は、どううふ訳であろうか?オンとは、当時のシナの発音であり、クンとはそれに該当する、日本語の「翻訳」という事であろう。つまり「心」のシナ語の発音がシンであり、和語のココロが、それに当ると、当時の日本の智識人が、解釈したのであらう。同様にして神をカミに、生命をイノチに当てた。しかし、この翻訳は必ずしもピタリではなかった。
日本語の中に移植された以上、日本民族のココロに共振して日本語の「オン」となったが、しかし、どうしても共振しきれないものがあって「クン」として残って、もとのままのカミと発音され、やはり日本語の中に生き続けたのであらう。ではシンといふ「オン」とカミという「クン」はどう違うのか?
その違ひが、形や数量などで表せるものならことは簡単に片付くが、「ココロ」や「カミ」のような目に見えぬ潜象の存在についての直感を表明したこれらの言葉は、我々もまた直感を以って迫るしかない。その場合ヒントになるのは、彼らが用い、そして今もなほ我々も使っている、この日本語の、一音一音の響きのもつ「基底思念」である。
●日本の文字の特殊性
以上のように、カタカムナ文献の解説により、「カタカナ」という名称のおこりは、「カタカムナ」という言葉からでたものであるということ、カタカムナの四十八の声音符が、今日の我々の使っているカタカナ文字の原型であることを直感した。そして、この図象文字を創作した部族集団を、カタカムナ人と呼ぶことにした。
人知が、「神」や「心」「霊」「私」「愛」「孝」等々の文字を、必要とするような、欲求を持つよりも以前に、カタカムナの上古代人は、より根元的な、宇宙天然の「イノチとココロ」のサトリに到達して居た。そして、人間の権力や経済の契約や、神への祈りを記録する類いの、文化が展開するよりも以前に、既に、より高次の、イノチとココロのサトリを伝達する「文字体系」が成立して居たのである。
そのために後代、外来文化の流入により、表層がいかに混乱していても、そのカゲには、つねにその伝承を受け継ぐ人々があってその流れは、数万年後の今日まで絶える事がなかったのである。

日本語のように、上古代人の言葉が今なほ使はれ、その意味が、現代人に通用する、というような例は、無いであろう。まして、その上古代人のサトリが、現代の最先端の科学智識も遠く及ばぬ、高度の内容を示すものである事が、明らかになったことは、私達にとって、真に大きなショックであった。

このように日本語は、上古代の時代に森羅万象を対象とした基底思念と強く結びついて「文字体系」として形成されていたために、後でシナ語や英語などの外来語が入ってきても、芯を失わなかった。

重要だと思ったのは、日本語が印欧語やシナ語のように、略奪闘争や私権闘争、そして国家形成の中で人工的に形成されてきた言葉ではなく、それ以前の原始人類が、宇宙と森羅万象を対象化して、その摂理を表したものということである。そして、その彼らの思念のあり方が〈カムナガラノミチ〉というミチだったのだ。

ほぼ日本語のみが、虫の音や川のせせらぎなどを人の声と同じように認識するという事実にもつながってくると思った。原始からの素直な感受性を持った日本語と、それを創りだし連綿と伝えてくれた先人に感謝。そしてもっと鮮明に、上古代人の思念に同化したいと思った・・・・。
次回は、同じく『相似象』五号の日本の上古代史の部分から紹介したいと思います。
(by Hiroshi)

List    投稿者 ihiro | 2011-09-21 | Posted in 13.認識論・科学論3 Comments » 

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コメント3件

 通りがけ | 2012.08.23 7:26

日本の独立は「地位協定破棄と福一石棺桶化」
今度の選挙は独立選挙である。
国会で地位協定破棄すると公約する候補者にだけ黒ボールペンで投票する。それ以外の候補者しか居なければ白紙ではなく強く×印をつけてから投票する。政党名投票はすべて×印で投票する。助成金目当ての政党がこれであぶり出せる。
よって白紙投票および鉛筆書き投票は絶対禁忌である。
日本国憲法上最強の自分の主権「1票」を選管の不正改ざんから黒ボールペンで最強に防御して粛々と執行しよう。

 通りがけ | 2012.08.24 16:02

「にんげんをかえせ-非人道奴隷契約地位協定を直ちに破棄せよ」
隠された事で陽の下に曝かれざる無し
>>孫崎「『日米地位協定』を読んだ人は少ないと思うが、そこには『日本に裁判権を認めるが、相手国が重大な関心を寄せる場合は、それに配慮して裁判を行う』と書いてある」岩上「要は日本の裁判は米国の干渉下にあるということ」
孫崎「日本の自主グループの一人だった、石橋湛山。占領時、日本は米軍の駐留費を負担してた。1946年当時で日本の予算の32%。これを食糧に回せば、当時の国民は飢えることはなかった。米軍の食糧援助も必要なかった」
孫崎「ここで、石橋湛山はこの米軍駐留費のカットを要求した。これで石橋湛山は首を切られる。彼は一人が倒れても、二の矢三の矢が出てくればいづれは…と期待した」
山崎淑子「生き抜く」ジャーナルhttp://enzai.9-11.jp/?p=12418
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地位協定はごらんのようにアメリカ軍が武力=暴力をちらつかせて脅迫して日本に署名させた恥ずべきアンフェアな不平等人権侵害占領搾取条約である。それ以来凶悪な戦争犯罪者米軍はすべての軍費を日本人民の世界最高の生産技術力の結実である国民総生産から略奪調達してきた。吉田茂源田実731部隊一派が嬉々として米軍へ国民の築いた国益の大半を米占領軍へ地位協定戦費占領地現地調達ぶんとして横流しし続けてきて、残りの殆どを私物化し続けている。これが戦後日本のGHQスパイ政府の正体であり、戦争の狂犬に餌をやり泥棒に追い銭する吉田らはユダ金米軍よりも更に悪党である。
なぜ廉潔な日本人が泥棒が居直り強盗するための資金を出してやらねばならぬのか?傲慢無恥不正無法な戦争犯罪略奪協定である地位協定が唯一の元凶である。
憲法9条が希求する世界平和を踏みにじる真の人類の敵とはまさにこの地球上最も邪悪な地位協定スパイ吉田茂たち、~中曽根~森~小泉~菅野田民主党首相(最悪の狂犬米軍よりなお悪い)なのである。
>目で見る地位協定参照>>http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51424388.html
国会議員が日本人ならこの犯罪者との恥ずべき金儲けシステム地位協定を国会で直ちに破棄する動議を1分1秒を惜しんで国会提出するはずであるが、なぜ誰も出さないのだろうか。故西岡参院議長が喝破したとおり「国会議員全員(ユダ金の)共謀共同正犯だからである。
日本の優秀な黒ボールペンで全員×印逮捕してやれば済む。
「地位協定破棄と福一石棺桶化」は至極簡単に達成できる、言うは難く行うは易い成せば成るなのなのである。
へいわをかえせ

 mbt changa shoes | 2014.02.22 8:15

mbt 日本を守るのに右も左もない | 幕末の思想6 共同体(共認充足)を再生する日本の世直しと、破壊する西洋の社会運動

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