2013年10月17日

【情報戦】2.極限時代人類=全方位的全身全霊の外圧(情報)探索。

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ご無沙汰です。お待たせしました。【情報戦】シリーズ第2回目は、初期人類当時まで歴史を遡り、この時代における情報の意味を捉え直してみようと思います。
前回 動物→サル編では、種間闘争から同類闘争への闘争外圧の変化に伴う、情報の意味を以下のよう捉え、結論づけました。

★動物からサルに進化したことで、生き残る為には、同類の微細で複雑な情報が必要となった。
 
★その情報を共認することで、集団が統合され、勝つことが出来た。共認されてはじめて価値を持つ情報が出てきた。
 
★更に言えば、哺乳類の時代、個体は生き残るために外の情報を受容しているだけでよかったのに対し、サルの時代になると、同類の情報を積極的に探索し発掘していくことになる。何故なら自集団の存続は他集団との闘争の結果決まるのであり、その他集団の情報をいかに早く正確に掴むかが、勝敗を決するからである。
 
★つまり情報の探索と収集は、集団全体の期待でもあって、集団動物である真猿がその役割を担うものをつくり出してもなんら不思議ではない。集団が生き残るために、集団の期待を受け、情報を探索収集する存在の登場が、動物の時代との決定的な違いである。


それでは今回のテーマ初期人類
初期人類のおかれた外圧状況を理解するところから。その時の情報にどのような意味があったのかを考えて見ます。

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実現論より

足の指が先祖返りして、それ以前の獣たちと同様、足で枝を掴むことが出来なくなったカタワのサル=人類は、樹上に棲めるという本能上の武器を失った結果、想像を絶する様な過酷な自然圧力・外敵圧力に直面した。そこで、本能上の武器を失った人類は、残された共認機能を唯一の武器として、自然圧力・外敵圧力に対応し、そうすることによって、共認機能(≒知能)を更に著しく発達させた。  
   
極限状況の中で、人類は直面する現実対象=自分たちを遥かに超えた超越存在たる自然を畏れ敬い、現実対象=自然に対して自分たちの生存(=危機からの脱出)への期待を込め、自然が応望してくれる事を切実に願った。つまり、人類は直面する過酷な現実対象=自然を凝視し続ける中で、元来は同類を対象とする共認機能を自然に対して作動させ、自然との期待・応望=共認を試みたのである。そして遂に、感覚に映る自然(ex. 一本一本の木)の奥に、応望すべき相手=期待に応えてくれる相手=精霊を措定する(=見る)。人類が万物の背後に見たこの精霊こそ、人類最初の観念であり、人類固有の観念機能の原点である。直面する現実対象(例えば自然)の背後に精霊を見るのも、物理法則を見るのも、基本的には全く同じ認識回路であり、従って精霊信仰こそ科学認識=事実認識(何なら、事実信仰と呼んでも良い)の原点なのである。  
(中略)
   
人類の最先端機能たる観念機能は、あくまでも本能回路や共認回路を充足する為にある。もっと簡単に言えば、現実課題に応えるためにあり、行動を導く為にある。従って、観念機能は、精霊信仰以来一貫して目の前の現実世界(自然や同類)を対象化してきた。そして現実対象⇒事実認識の蓄積によって、人類の生存様式を進化させてきた。

・足の指が先祖がえりして木に登れなくなり、本能では克服できない過酷な外圧状況に陥った極限時代の人類。 ここでは断片的で一面的な情報探索に意味は無く、全方位的で全身全霊の外圧探索とこれらを統合する必要に迫られました。
・その先、自然の背後に見出す事に成功したのが「精霊」ですが、これは自らが生きていく統合的世界観の構築といってもいいでしょう。
・この時代、人類の情報探索対象は主として自然世界です。サル時代に形成された同類を対象とした共認機能を自然世界に向けて作動させて、捉えようの無い恐怖でしかなかった自然世界を、応望すれば応えてくれるという充足対象に180°転換させることに成功しました。
・そして生き延びる事に成功しのです。
・このようなこの時代の人類に同化してみると、自然世界に対する情報探索の気迫とレンジの深さに驚かされます。生きるか死ぬかの極限状況の中、サル時代に獲得した唯一の武器=共認機能に最大限可能性収束し、これまで考えもしなかった「共認機能を自然世界に向けてみる」という行為はまさに起死回生の大パラダイム転換だったと言えるのではないでしょう?
★ここまでに至る探索の中身は、現代的な意味での【情報】の捉え方をはるかに超越したものであり、そう呼ぶに失礼なほどに思えてきます。
★後に扱う事になると思いますが、戦争を始めた私権時代の人類も、生死をかけて戦争圧力としての「他国の情報」探索する事になるが、初期極限人類の情報探索に比べれば、いかにも陳腐で矮小化されたもののように見えてきます。
★これは、外圧世界の広さ深さによって捉えるべき世界や、外圧探索の広さ深さが規定される事を示唆していると言えるでしょう。
★始原人類の情報探索を通して現代(私権時代)を見ると、現在的な意味での情報とは、極限人類とは比べ物にならない、狭い世界を対象にしたものに過ぎないと言えそうです。

List    投稿者 kichom | 2013-10-17 | Posted in 13.認識論・科学論No Comments » 

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