2012年02月16日

近代科学の成立過程19~十六世紀ヨーロッパの言語革命は私権拡大への可能性収束だった

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 前回(近代科学の成立過程18~十六世紀ヨーロッパの言語革命はキリスト教と金貸しの共認闘争だった)に引き続き今回は山本義隆氏の『十六世紀文化革命』から「第9章 一六世紀ヨーロッパの言語革命」の後半部分を要約投稿します。
 16世紀になると、西欧では文字文化のあり方が大きく変わっていきます。それまでは、一部の特権階級(教会or大学)が独占していた書籍が印刷技術の発達とともに、印刷書籍が市場に出回るようになります。
 そして、印刷コストが下がると今まで書籍を手にする事がなかった一般大衆にも急速に広まるようになり、書籍の内容も大きく変化していきます。 
 まずは、前回に続き、「言語革命」がどのように推移していったかを見ていきたいと思います。
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山本義隆氏の『十六世紀文化革命』』から「第9章 一六世紀ヨーロッパの言語革命」より要約

6 印刷書籍が国語の形成に果たした役割
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 ヨーロッパに都市が生まれる12世紀頃まで、ヨーロッパは基本的に農耕社会であった。働きづめで食うや食わずの日々を送っている圧倒的多数の農民たちにせよ、事実上軍隊生活を送っている無骨な騎士たちにせよ、いずれも文字文化とは無縁であった。
手写本としての書籍の製作と流通は、修道院とその他の教会付属施設にほぼ独占されていた。

変化はヨーロッパに都市が生まれた12・13世紀に始まる。
この頃、大学がいくつもの都市に形成され、大学に学ぶ学生とそしてもっぱら専門知識を教授することによって生活する「知識人」という、それまでヨーロッパには見られなかった社会階層が生み出された。そして大学は、言うまでもなく、書籍の発展に大きく貢献した。
こうした変化によって、文字文化が修道院の塀のなかに閉じこめられていた時代は終焉を迎える。
書物の歴史に焦点をしぼって見ても、この時代に手写本の製作が修道院の独占物であった時代は終わり、手写本の「世俗化の時代」が始まった。
16世紀になってこの情況を決定的にあらためた要因のひとつは、その前の世紀の印刷書籍の出現であった。
印刷術の発明は15世紀なかばのことであり、中世末期にヨーロッパに伝えられた製紙技術の地盤上に書籍の印刷出版は企業化され、15世紀末までのわずか半世紀のあいだに驚くほどの速さで西ヨーロッパ全域に広がった。
しかし印刷技術(ハ-ドウェア)の出現が書籍文化(ソフトウェア)の内実にただちに変化を引き起こしたのではない。最初のうち印刷出版物の多くはこれまでどおりラテン語の宗教書であった。ようするに、印刷書籍の多くはそれまでの手写本の代替物で、体裁さえも手写本を忠実に復元したものになっていた。
しかし大量生産の能力こそが印刷の真の力であることにやがて人は気づくことになり、文字文化が大衆に開放されてゆくことになる。
それというのも、印刷出版業はそもそもの発端から市場原理に支配された近代的産業として形成されたのであり、当然、出版業者は「本質的には利潤を目的として」書籍を生産し「売れ行きの確かな作品を貪欲に求めた」からである。そのため読者数の多い俗語書籍の出版が促進されるのにひきかえ、読者数の限られているラテン語の書物は忌避される傾向にあった。
同一の書籍を数百、数千の単位で作り出す印刷書籍の出現はまた、俗語の普及だけではなく、その標準化すなわち「国語化」を推進することにもなった。というのも、当然のこととして、使用されている言語の通用する地域が広いほどその書籍が数多く売れることが見込まれるからである。

印刷書籍の果たしたいまひとつの機能は、印刷業者が業務上の必要から文法の整備と文体の統一、そして正字法の確立に力を注いだことにある。
そのようにして印刷術は「国語重視の動きにとって有利に働いた」だけではなく「国語の形成とその固定化において本質的な役割を果たした」のである。

 15世紀半ばの印刷出版物の内訳は、全体の45%が宗教書、文学が30%強、法律書10%強、科学書10%強であったが、16世紀に入ると文学の占める割合が急激に大きくなっていきます。
 文学書の代表的なものがイギリスで出版された『カンタベリー物語』で物語の内容は、王侯貴族や騎士の話や、恋愛・不倫を美化する話の物語集です。 
 今まで、手写本であった高価な書籍を読むことができなかった大衆も、印刷による小説を読む事によって、恋愛観念や王侯貴族の快美な生活を見せられ、物欲を過剰に刺激されて、市場拡大の原動力になっていきます。
 このように印刷技術の発展は、書籍を通じて大衆の物欲をあおり、市場の拡大を促し、そのことによってさらに技術を発展させていくというスパイラルとなり急速に市場も技術も発展していくことになります。
参考:私権圧力と過剰刺激が物欲を肥大させた
 

7 宗教改革と聖書の俗語訳
 俗語の国語化がこの時期にいっせいに進められたいまひとつの大きな要因は、宗教改革、とりわけ聖書の各国語への翻訳にあった。
ルターは1522年に『新約聖書』をドイツ語に翻訳し、その年の九月にヴィッテンベルクの印刷業者の協力で出版した。
イングランドにおいても、「国語」としての英語の確立は、ほぼ同時代であり、聖書の英訳に大きく負っている。
聖書の俗語訳は北欧―東欧諸国でも同時期にいっせいに進められた。ドイツに燃え上がった宗教改革の熱気はすぐさまオランダにも波及し、1526年にはファン・リースフェルトによる最初のオランダ語訳聖書が日の目を見ている。
これらの国々では自国語聖書をもつことによって独自の国語を獲得し文化的・言語的に統一されたのであり、そのことは国家としての独立を端的に象徴するものであった。
以上の意味において「当時出版されたもののなかで何がいちばん重要かと言えば、それは聖書の翻訳であり、宗教改革史のうえから言っても、言語史のうえから言ってもそうなのである」という主張は-すくなくともプロテスタント諸国では-十分に首肯できるものである。

 宗教改革時に印刷技術は書籍の流通だけでなく、大量のビラを印刷し、ばらまく事にも利用されました。
世界史講義録 第59回 宗教改革(1)』より抜粋引用

img5b41c7eazik3zj.jpg ところで、宗教改革と活版印刷の関係を少し話しておきます。ルターの宗教改革がヨーロッパ中の話題となったのには急速に普及し始めた印刷物の活用抜きには語れません。
 ルター自身が大量にパンフレットを発行します。1519年ドイツ全国の出版物が約110冊、そのうち約50冊がルターの書いたものです。翌1520年、ドイツ出版総数200冊。そのうちルターが133冊。すごいですね。
 また、宗教論争が激しい中で両派が少しでも味方を増やそうとパンフレットやチラシのたぐいを大量に印刷配布します。
 プリントにあるのが「神の水車」というチラシです。ほとんどの農民は字が読めませんから、そういう人でもわかるようにマンガになっている。これは、収穫した麦から小麦粉を作る過程です。中央後ろで棒(からさお)を振り回しているのが農民。これは脱穀をしているところ。
 脱穀した小麦をかついで水車小屋のホッパーに入れているのがイエスです。後光がさしているでしょ。ヨーロッパでは水車小屋で小麦を引いて粉にするのが普通です。水車小屋の上に浮かんでいるのが神様です。神が水を流して水車小屋の水車が回っているのです。だから、神の水車。神が流す水で回転する水車に、イエスが小麦を入れている。
 小麦が挽かれて出てきた粉をショベルですくっているのがエラスムスです。前にも出てきたルネサンス最大の人文主義者。ローマ教会も一目置く大学者です。エラスムスは最終的にはルターと喧嘩をするのですが、はじめの頃はそれなりに親密でした。
 そしてエラスムスの集めた小麦粉をこねるのがルター。エラスムスと背中合わせで袖まくりをしているの人物です。要するにこの絵一枚で、農民もイエスも神もエラスムスもルターの味方だよ、と訴えているのですね。ルターが練り上げた小麦粉が何になるかというとパンになるわけですが、絵ではパンが聖書の形に描かれます。ルターの左側にいる人が出来上がった聖書を右側の人たちに差し出していますが、この人たちがローマ教皇などローマ教会の主だった人たちです。かれらは聖書を受け取るのを拒否していて、聖書はパラパラと地面に落ちていきます。
 全体として何を訴えているのかは明らかですね。

以上のように人々は印刷によって情報を短期間に大量に広める事ができることに気がつき始めます。これは、現代のマスコミの原型のようなものですが、印刷技術によって、以下のように国民の意識を纏める(操作)するようになっていきます。

8 国民国家と国語の形成(プロテスタント諸国)
 
 宗教改革は、政治的には超越的な教皇権力からの国家権力の自立という側面を有していた。
異教徒に包囲された単一のキリスト教社会という中世ヨーロッパ社会での大衆の帰属意識が、海外への進出とイスラム社会の後退によって薄れてゆき、それにかわってそれぞれの国家への帰属意識がすでに強まっていたのである。
1492年にイベリア半島のイスラム教徒の最後の拠点グラナダをキリスト教スペインが攻め落とし、同年コロンブスが新世界を発見したことが、その転換を象徴している。
イングランドやオランダにとって宗教改革は、本質的には超越的権力としてのカトリック教会からの王権の離脱を目指したものであり、そのカトリシズムをイデオロギー的支柱とするグローバル帝国スペインからの政治的独立がその帰結であった。西ヨーロッパ社会が教皇庁に支配された単一のキリスト教社会から、それぞれの国王を頭にいだく国民国家の集合へと分解しはじめたのである。自国語の確立はそのナショナリズムのきわめて重要な要素であった。
結局のところ、イングランドやオランダそして北欧諸国における国語の形成は、宗教改革をとおした国民国家の自立の一環であった。他方、ドイツにおける宗教改革は、最終的に1648年のウェストファリア条約による三〇年戦争の終結により、ハプスブルク帝国の崩壊と領邦国家への分裂という結果をもたらした。しかし領邦国家であれ、国家のうえに君臨する普遍的権力としての教皇庁からの独立を果たしたことは、やはりナショナリズムを鼓舞することであり、国語としてのドイツ語の確立はその成果であった。
9 国民国家と国語の形成(カトリック諸国)
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 主権国家の確立への動きとそれに相即的に進められる国語の形成は、カトリックの勢力が強く、もともと民衆の言語がラテン系のロマンス語であったフランスやスペインやイタリアでも明白に認められる。とくにフランスでは、国語の形成はうえからのイニシアティブで進められた。
実際、フランスの歴代の王たちは翻訳を奨励し、国内統一策の実現のためにもラテン語にかわるフランス語の使用を推し進めようと努めた。
スペインにおいても、15世紀の人文主義者のあいだでは、当初、俗語のロマンス語はラテン語やギリシャ語にくらべて「粗野で無味乾燥」と見なされていた。しかし1479年にアラゴンとカスティリアの合同によってスペイン(エスパニア)王国が成立したことでスペインの国家意識は高揚し、その世紀の終わりが近づくにつれて文化的に進んでいたカスティリアの言語にたいする国語(スペイン語)としての自覚が高まっていった。
イタリアにおいても、国語形成の基盤は16世紀に作りあげられた。とくにイタリアでは、ラテン語は自分たちの母なる言語、始祖の言語であるという神話的意識が人々を捉えていた。
イタリアでは宗教改革それ自体の影響は少ないが、国語の形成はやはりナショナルな感情に支えられて、16世紀に成し遂げられたのである。そのことは16世紀末から17世紀にかけて、ガリレオがその著書をイタリア語をもちいて執筆するうえで大きな助けとなっている。
イタリアの場合、そしてじつはドイツもそうであるが、この時点では単一の政治権力の支配する国民国家の形成にいたらなかったのは事実である。しかし、にもかかわらずイタリアやドイツをそれぞれ一括りに語れるのは、このように「国語」としてイタリア語、ドイツ語を作りあげたからだと言える。
 こうして17世紀に、ヨーロッパ各国において「国語の結晶化」を見ることになる。

10 国語と科学研究
しかしそれでも、大学で教育された学者によって営まれている科学の分野では依然としてラテン語使用が続けられていた。それはひとえに、当時の大学教育が国境にとらわれていず、学者たちがコスモボリタンな性格を有していたからである。学生たちはヨーロッパの諸都市の大学を遍歴して学んだ。
国語のナショナルな性格が、大学教育と科学研究のこのようなインターナショナルな性格と相容れにくい側面があったと言える。学問における俗語使用は社会的階層のあいだでの学問の垂直的な公開性を推し進めることになったが、逆に、地域的なつまり水平的な流通には不適であった。
 そんなわけで、17世紀には、イタリアではボレリやマルピーギが、イギリスではギルバートやハーヴェイやジョン・レイが、ドイツではケプラーやグラウバーやライプニッツが、そしてフランスではガッサンディやデカルトが、主要にラテン語で著述を続けている。
しかし、このような超一流の業績だけ見て結論づけることはできない。
 実際、17世紀には、科学において国語としての俗語の使用が圧倒的に拡大している。すくなくとも自然科学の領域では、ラテン語に通じているということが研究に携わるための絶対・必須の条件ではもはやなくなった。

国語となった俗語の使用は確実に拡大していくともに科学と技術の研究の基盤を形成する者の数は圧倒的に増加した。このことは16世紀文化革命の大きな成果であり、17世紀の科学革命の展開と拡大を下から支えたのである。
科学研究が俗語で表現されるようになったことは、言語のサイドから見れば、俗語が外国語やそれぞれの分野の専門職人の使っている言葉やあるいはラテン語から語彙を加えることで豊富化され、学問的使用に耐えるものとして鍛えられ、規範化―標準化されることによって国語へと昇華したことである。
そのことは、ヨーロッパの言語と文化における根底的な変化であり、文字文化を多くの階層に広げ、学問の基盤を飛躍的に拡大することになった。16世紀文化革命は、同時期のこの言語革命とパラレルに進められたのである。

カトリック教諸国と新教徒諸国の30年に及ぶ宗教戦争を終結させたウェストファリア条約は、新教徒国の承認と、国家は教会から独立しているという事実が承認された。神聖ローマ帝国は崩壊し、教会権力の衰退が加速し、「優位するいかなる権威も認めない多数の独立国を基礎とする国際制度の誕生」であるといわれる。「国際法序説」

以上のように宗教改革・宗教戦争(30年戦争)を経て、教会から国家の独立が共認されていきます。
市場拡大のための恋愛観念や「豊かな生活」も国民の物欲を刺激することも、キリスト教観念と真っ向から対立します。
庶民も含めて、万人に私権拡大の可能性を開くためには、私権拡大を封鎖するキリスト教は徐々に邪魔になり、市場拡大のために国家をキリスト教会から独立させる。
これが宗教改革→宗教戦争の究極の目的だったのではないでしょうか。
そして、私権拡大を封鎖するキリスト教に代わって、私権拡大を正当化する近代思想(ex.自由・個人・民主主義)が作り出されます。
実際、中世キリスト教会は大衆が書物を読むことを強く警戒していましたが、15世紀以降は印刷術→出版物によって、逆に大衆に書物を読ませることで、金貸しの市場拡大に都合のよい観念(恋愛観念や近代思想)で国民を洗脳し、その物欲を刺激する仕組みが出来上がりました。そこで、国家が教会から独立すれば、国家も国民も富国強兵・豊かさ(私権)拡大に突き進みます。
それを早急に推し進めるために用いられたのが、言語革命であり、そのための印刷技術の発達です。
16世紀にヨーロッパ発の印刷技術の発展と言語革命は、私権拡大への可能性収束だったと言えるのではないでしょうか。
これが近代国家の正体ですが、それは万人が私権の拡大可能性によって統合される国家です。
私権の拡大可能性によって統合される国家だからこそ、近代国家は経済力=市場の拡大が何よりも優先する課題になったのです。
 

List    投稿者 ginyu | 2012-02-16 | Posted in 13.認識論・科学論9 Comments » 

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コメント9件

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