2011年11月24日

近代科学の成立過程7~鉱山業に始まる資本家-経営者-労働者という生産関係を母胎に近代科学・近代思想が登場した

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フッガー住宅(画像はこちらからお借りしました)
 近代科学の成立過程6~兵器需要と貨幣需要から発達した鉱業が近代の科学と賃金労働の起点では、戦争や市場拡大がもたらした兵器需要や貨幣需要に応えるために鉱業と兵器産業が発達し、それが近代科学と賃金労働による分業という近代の生産関係の土台となった事を見てきました。
 今回は、ヨーロッパ国内の市場化で発達した金貸しが、大航海時代に突入して行く中で国際金融資本としての基礎を築いていく様子と、金貸しの変貌が科学技術の発展や近代思想の形成に与えた影響を見ていきます。
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山本義隆氏の十六世紀文化革命から「第四章 鉱山業・冶金業・試金法」後半の要約です。

6 アグリコラの『デ・レ・メタリカ』
ビリングッチョに次いで鉱山業・冶金業を克明に描いたのがアグリコラ。父親は染め物師で反物商、1514年、20歳でライプツィヒ大学に入学し古典語を学び、その後医学を学びさらにボローニャ、パドヴァ、フェラーラの大学で医学と自然学の研鑽を積んでいる。帰国後、ボヘミアの鉱山町で医師として働きながら鉱山や精錬所に足を運び、鉱山学、鉱物学、地質学の知識を学び1530年には最初の鉱山学についての著書を発表する。
翌年、ザクセンの鉱山町に移り住みザクセン選帝侯モーリッツと親密になり市長も務めている。そして、鉱山業に関する著書を上梓している。彼の主著『デ・レ・メタリカ』はその間20年余に書き綴られた。
『メタリカ』は当時の鉱山業・冶金業の技術の集大成である。前半の鉱山業は坑道掘削や採鉱、揚鉱、排水などの技術と機械装置について『ピロテクニア』にない内容を記述している。後半の冶金業の部分は『ピロテクニア』を下敷きしているところもあるが、鉄の説明が少なくこの地方で多かった銀や銅などの非鉄金属の説明が多い。
 この著書の特色は、第一に鉱山の仕事は浅ましい仕事と思われているが、実際は違ってきわめて誠実な職業であると強調していること。第二は経済的合理性=儲かるか否かの観点から厳密な定量化を強調していることである。第三の特徴は当時の鉱山が大規模に機械化されていた事実を示したことである。そして『メタリカ』にはこれらの機械や道具や建造物と作業の様態について292枚におよぶ見事な木版画の押絵が添えられている。
『メタリカ』の図は言葉だけでは表現しきれない複雑で三次元的な構造を一目で分かるように描いており、また分解組み立て図や透明図法も併用され、近代最初の機械工学の教科書として技術伝播の新しい可能性を開いた。
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デ・レ・メタリカ(画像はこちらからお借りしました)
7 アグリコラとパラケルスス
『メタリカ』に描かれたような鉱山業の大規模な機械化は経営形態の変化をもたらす。鉱山業は中世には数人の自由な鉱山師が封建領主や王に税を納めて行う小規模な冒険的事業だったが、必要な資本を広く募る大規模な株式経営に変わって行く。アウグスブルグ近郊で織物業を営んでいたフッガー家は鉱山を抵当流れで手に入れドイツ最大の富豪にのし上がった。鉱山の冨は王や資本家の間で分配され、それまでの鉱山師は賃金労働者に変貌していく。
そして、鉱山業や冶金業の知識に乏しい新興の投資家たちには指南書が必要となり、アグリコラのメタリカが現れたのはそのような時代背景があった。『メタリカ』は財産を殖やそうとしている鉱坑所有者や技術にまだ習熟していない鉱山経営者の要求に応えるための物であった。
『メタリカ』はラテン語で書かれ、読者としては一般の職人や労働者ではなく、鉱山経営に関心を向け始めた上層階級を想定していた。アグリコラは鉱山経営に対するアドバイザーであり、自身も鉱山株を所有していた。
 同時代に鉱山地帯で医療に従事したパラケルススは鉱山で坑夫病を発見し、鉱山の支配者であるフッガーを鋭く批判した。一方のアグリコラは同様に鉱山地帯で医療に従事しながら、鉱山に否定的な人たちが鉱山労働者の劣悪な労働環境を指摘すると、坑夫病や鉱山事故は不注意な労働者の場合だけ起こると、鉱山経営者側の立場で語っている。
ルネサンス期の大学で学んだアグリコラは、技術者と新しい産業の経営者の双方に接する立場にいたことによって近代科学技術の使徒になったのである。
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ヤーコブ・フッガー(この画像はこちらからお借りしました)
8 ラザルス・エルカー
 アグリコラの死後、ドイツにおける鉱山ブームは終わりを告げる。新大陸から奴隷の強制労働による安価に採掘される銀が流入するようになったからである。ドイツ鉱山の生産性の低下に対して金属の試金や抽出のより有効な方法が求められ、この技術を詳細に描き出したのがラザルス・エルカーであった。
 エルカーは貨幣鋳造書を書いているがその理由を、鉱山や造幣所を管理する立場の有力者が実際の操作に精通していないと不誠実な使用人たちに騙されるからだとしている。その後エルカーは試金監督官となり、マクシミリアン2世に著書『鉱石と試金』を謹呈し、その後継者のルドルフ2世に高く評価され、神聖ローマ帝国とボヘミア王国の鉱山の主任監督にして管理者となり、爵位を与えられる。
『鉱石と試金』では、金、銀、銅、硝石などを扱いこれらの金属の純化法、酸や塩基の精製法が詳細に記載されている。1547年に出版されて以降、170年以上にわたって再版が続けられ、英訳やオランダ語訳も出されている。
エルカーの著書も技術の公開の方針が貫かれているが、坑夫や若い試金者だけでなく予備的な知識を有さ無い人にも教育的で役立つようになされたと断言しており、大規模化された近代経営にとって中性的な徒弟制度では必要な技術者の育成が間に合わなくなっていたことを示している。
特筆すべき点の第1点目は、エルカーが俗語で執筆したことである。皇帝に献本されたとはいえ、メタリカとは違い技術者や職人が実際に読んで使用するためのものだった。
2点目が定量化の傾向がより一層強化されたことである。資本家が大量に資金を投下して大規模に行うためには銅鉱石にどれだけ銀が含まれているか正確に分かっていなければならなかった。
こうして彼は、精密な測定と分析の手法を確立しようとするが、そのさい哲学的なあるいは原理的な論拠を求めることはない。錬金術は理論体系、神秘的な哲学で物質の変化を説明しようとしたが、エルカーは個別の反応を体系づけたり原理で説明せず、もっぱら経験的、実験的に得られた個々の事実や反応のみを平明に語る。

ヨーロッパ国内の戦争と市場の拡大によって兵器や貨幣の需要が高まり、鉱山業が発達し株式会社などの資金調達の方法も登場します。その結果、鉱山に巨額な資金を投資できる金貸しに利益が集中し、フッガー家のように鉱山の収益で大富豪にのし上がる物が登場します。
一般的に株式会社の登場は、大航海時代の交易に対する資金投資だと言われていますが、その原型は既にこの時代の登場しているのです。
フッガー家が鉱山を取得したのは抵当流れですが、フッガー家はハプスブルグ家などの王家にお金を貸しており、既に資金を蓄積した金貸しの力が、王家の力を上まり出している事が伺えます。
この時代の科学技術は、まさにこういった金貸したちの利益を追求する手先となり、中世の錬金術師たちが徒弟制度の中で秘匿してきた様々な技術情報を公開し、金貸したちに鉱山運営のノウハウを伝授し、大量の賃金労働者を効率よく働かせるためのマニュアルを作り出していきます。
しかし、大航海時代に入り新世界の植民地で、奴隷労働により大量の金属が作られ、ヨーロッパに輸入されるようになると、ドイツ地方等で鉱山に投資した金貸しは没落し、金融と植民地貿易に従事する金貸しが力をつけ、活動の拠点を世界貿易の中心であるオランダやイギリスに移していきます。
この動きを受けて科学技術も、鉱山に関する分野から、貨幣や鉱石の価値を正確に評価する事が出来る、試金へと変わっていきます。
■金貸しの拠点移動に関する参考投稿
株式会社の歴史:現代の企業につながる起源は?
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9 十進法の誕生
精密の測定の重要性は鉱石だけではなく貨幣においても重要だった。当時、商品経済が広域化しいくつもの国の異なる貨幣が同時に流通するだけではなく、有力な領邦君主も造幣所を有しその経営も私人に請負わされていた。おまけにイスラムの金貨や銀貨も流通し、偽造貨幣も少なくなかった。金銀細工師や両替商人は貨幣を受領するに先立ってその金属内容を明らかにするために試金が必要だった。16世につくられた多くの商業数学の教科書にも貨幣鋳造の問題が必ず記載されていた。
エルカーは試金の中心任務はむしろ貨幣であるとし、試金に携わり精勤してきた物は君主や土地所有者や有力な都市国家から心からの感謝を得てきただけでなく、他の人たち以上に重用され顕彰されてきたと述べている。
計算という意味では、当時の貨幣単位は12デナリウス=1ソリドゥス、20ソリドゥス=1リーブラというきわめて厄介な物であった。それに輪を掛けて職人が使用してきた計算システムと度量衡単位は複雑な物であった。例えば銅と銀の試金用重量システムでは、1ツェントネル=100試金ポンド=110坑夫ポンド。1ポンド=2マルク=32ロット=128クィンテリンである。
ここで十進法を考案したのは、日々その不便を感じていたであろう試金技術者のシュライトマンであった。このシュライトマンのシステムは普及しなかった。十進法が活用されるのはフランス革命以降であり、職人の保守性がこういう所に見られる。
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ソリドウス金貨(この画像はこちらからお借りしました)
*まとめ
15世紀・16世紀における戦争技術の変革と貨幣経済の拡大は西ヨーロッパにおける鉱山業の発展を促し、冶金法、試金法の書籍をいくつも生み出した。知識が公開されなければならないとする彼らの主張は、冨は善であり、鉱山は冨を生み、その高い生産性のために実践的な技術が要求されるという、資本主義に関する信念に係わっている
近代化学の形成おいて、冶金術や試金法の影響は錬金術より直接的だった。計量と測定の精神を植え付けたことは後の分析化学に引き継がれていく物でありその意義は大きい。エルカーや他の試金者の重要性が化学史家によって十分に評価されていない。観測天文学者と同等な評価を与えられてしかるべきである。
定量的測定の重視という数量化革命は商業の世界において計算術の発展から16世紀における代数学の飛躍的発展、数学革命を生み出すことになる。
以上に見てきた技術的発展がアカデミズムとは全く無縁な技術者の実践から生み出されたこと、その著書がラテン語ではなく俗語で著わされたことに16世紀の学問世界における大規模な地盤の変化を見て取ることが出来、17世紀以降の科学革命の基盤を形成した。

鉱山業に従事する金貸したちの下で、金貸しの利益のために技術者が追究したのが、計量と測定の精神であり、さらに金貸したちが活動の中心を金融の場に移していくと、貨幣価値を正確に計ることが出来る試金法が発達します。そして数学は、金貸したちの本業である金勘定を正確に行うために、ますます発展し、それが数学の革命へとつながっていきます。
この時代の注目点は、現代資本主義社会の基本的な生産関係である、資本家-経営者-労働者という階級が登場し、それに合わせるようにして近代科学が発達していることです。この後に、科学に次いで近代思想も発展していくことになるのですが、このような歴史の流れを見ると、新しい生産関係が登場して始めて、それを正当化するような近代科学や近代思想などの新しい認識が登場するという関係がありそうです。
次回からは、第五章、商業数学と十六世紀数学革命を紹介し、さらに金貸しと近代科学の関係を明らかにしていきます。

List    投稿者 nodayuji | 2011-11-24 | Posted in 13.認識論・科学論No Comments » 

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