2013年10月11日

新概念を学ぶ17 サル時代の雌雄分化 ~集団が同類闘争に適応するために、メスは性収束した~

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前回は、真猿が共認機能を獲得し、そこからどのようにして「自我」が生まれ、人類に至るまでの過程と問題性を明らかにしてきました。『自我ではなく、共認こそ原点』という画期的な認識が浮き彫りになりましたね。
引き続き今回は、同類闘争に適応するために集団を形成した真猿たちの変化(なかでもオス-メス関係の変化、メスの特質など)その構造を学んでいきます。
・・・現代の人類の男女関係を考察する上でも、大変参考になる内容です。

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それではまず『実現論』 「第一部 前史 ホ.サル時代の雌雄分化」 から引用します。

 そして、この存在理由=役割を巡って、真猿以降、メスに決定的な変化が生じる。真猿集団は、同類闘争(縄張り闘争)を第一義課題として共認している。
本能に基づく外敵闘争なら、メスも闘える。例えばライオンの雌はシマウマを倒せるし、サルの雌もリスを蹴散らせる。ところが、本能に基づく外敵闘争ではなく闘争共認に基づく同類闘争になると、同じサル同士の闘いなので体格が劣るメスは全く戦力にならない存在となり、存在理由を失って終う。
その結果、メスは極度に依存性を強め、首雄に強く依存収束する(強固な依存収束回路を形成する)と共に、首雄の性的期待に応望すべく、自らの全存在理由をかけて性機能(挑発機能や発情機能)を発達させてゆく。
例えば、メスの尻は赤く膨れ上がっているが、これはオスを挑発する為であり、一定期間だけであった発情期も次第に延長されてゆき、最も進化した真猿では、遂に年中発情することが可能な状態に至っている。
かくしてメスは、首雄に対する性的役割(広義には解脱充足を与えること、その中心が性的充足を与えること)を、自らの第一義的な存在理由とする性的存在となる。従ってメスの脳回路は、存在理由の欠損を原点にした強力な首雄収束⇒性的役割収束⇒性機能収束の共認回路が主軸になっている。首雄との雌雄解脱共認を主回路としているとも言える。
もちろん、それが生物を貫く雌雄の差別化というベクトルに合致した、一つの進化形であることは、言うまでもない。

              

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 しかしメスは、その決定的な役割欠損から、依存収束と同時に強力に自我収束しており、依存収束回路と自我収束回路が強く相乗収束し易い。とりわけ、性闘争の本能回路と自我回路は共に「自分以外は全て敵」とする回路なので、性闘争回路と自我回路は不可分に相乗収束している可能性が高い。
但し、不可分と言っても、夫々の回路の伝達物質は異なるので、自我回路(ドーパミン)を刺激しなければ、純粋な期待・応望(役割欠乏=エンドルフィン)に基づく首雄収束⇒応望収束⇒性機能収束の回路が作動する。
しかし、自我回路が刺激される時、メスの生殖収束→性収束は闘争集団の統合を乱し衰弱させる恐ろしい分解力・破壊力となって現れることになる。もっともサルの段階では、メスは集団を離れて生きてはゆけないので、その矛盾は集団統合の乱れや衰弱として現れはしたが、決定的な破壊にまでは至らなかった。

                
 集団を形成した真猿では、集団内の第一義課題は同類闘争(集団間闘争)となっていきますが、その時代の自然環境や真猿を取り巻く外圧はどうだったのか?もう少し細かく考えてみたいと思います。
■第一義課題が同類闘争とは

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 同類闘争が第一義課題となったのは、樹上に棲息できたからです(正確に言えば肢の指で枝をつかめ、枝を自由に渡り歩ける)。樹上は、木の実など栄養価が豊富でかつ逃避場所としても最適な空間です。そのような最高の空間をサルという種はほぼ独占出来たわけです。ですから人類が森を侵食するまでは、ほぼ森林という森林は、サルがほぼ許容量一杯まで繁殖していたことが容易に推定されます。
 このような空間では、外敵(他動物)との闘いはニ義的となり、サル集団同士の縄張闘争(同類闘争)がサルにとっての第一義課題になりました。同類集団同士(あるいは異種のサル同士)の縄張闘争が激しく行われていた事でしょう。
 そして、この同類の集団同士が日常的に緊張関係に置かれるという状況は、本能で対応できない状態でもあります。かつ、この集団は戦闘集団ですから、強い結束と、闘争能力に応じた序列関係が築かれ、役割分担も強固に共認形成されていました。
 サルは新たに獲得した共認機能をフル活用して、意思の伝達やそれに対する仲間の評価をつかみ、(ボディランゲージや表情の読み取りによって)仲間の評価を羅針盤にして、各行動などに対してプラス、マイナスの評価を行い役割や規範を形づくっていったのです。
(※現在のサル集団は、置かれた外圧状況が、この頃とは全く違うので注意を要します。かつての様な高い同類圧力が働かない無圧力状態です。前述したように現在のサルが本来のサルの姿とは云えない、というのはこの様な理由です。)
 以上のように、真猿の集団内の第一義課題が同類闘争(集団間闘争)となりましたが、同じサル同士の闘いなので体格が劣るメスは全く戦力にならない存在となり、存在理由を失って終います。
・・・では、原猿(オスの縄張りにメスが数匹存在する)から真猿になってどのように状況と意識の変化が生じたのでしょうか。
■真猿メスの自我回路の発現とは 
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 上記引用文にあるように、真猿のメスは、同類闘争では戦力にならないという役割欠損(存在理由の欠損)から、強く首雄に依存収束し、首雄の性的期待に応望すべく、性機能を発達させ、肉体改造まで実現してゆきます。それは真猿メスが、自らの全存在理由を賭けた進化とも言えるものでした。そして、それは雌雄の差別化をさらに拡大するという、進化のベクトルに合致したものだったのです。
 これは、首雄との雌雄解脱共認充足を目指した進化、つまり「共認」を原動力にして進化を実現したとも云えますが、では、前回も扱った共認の鬼っ子である「自我」は、いつ生起したのでしょうか?
 原猿の頃は、まだ集団内(一匹のオスと数匹のメス)は“男女充足共認(オスメス間の期待応望充足)”で密に繋がっており、そこでの互いの意識のズレはなかったと思われます。
         
 次に、真猿集団ではどうだったか?
外圧が変化し、同類闘争では戦力にならない役割欠損から、真猿メスはまず、潜在的に自我収束しています。 また、真猿メスは、オスに守られて過酷な外圧に晒されることもなく、闘争共認の大切さも、闘争存在としてのオスの有難さも、本当には実感できなかっただろうと思われます。
 とりわけ、今まで対象としてきた首雄の意識変化は決定的です。戦いに勝ち集団を存続させる為にオス同士の結束を高めることに多くを費やす首雄との意識の乖離は、その外圧の高さに比例して大きくなっていきます。
 このような首雄とメスの意識のズレを大きくなり、共認充足の度合いも低下したために、メスの自我回路が発現しやすくなったと考えられます。
■メスの自我回路が集団を決定的に破壊するまでに至らなかったのは
 真猿メスが、依存収束回路と自我収束回路は強く相乗収束し易いにも関わらず、集団を破壊するまでには至らなかったのは何故でしょうか?
 自我回路が発現しやすくなったとはいえ、同類闘争では戦力にならない真猿メスは、自らの生存基盤である集団を自ら破壊するような行動、一線を超えるような行動はとりようがありません。
 そしてそれは、同類闘争に勝つという、真猿集団の最重要な共認内容を、メスたちも共認していたからに他ならない、と言えるのではないでしょうか。メスの意識も「集団第一」だったということでしょう。
・・・共認によって集団破壊が制御され適応した。これもまた生物の摂理なのです。
 ここまで、真猿集団における外圧状況と、それに伴うオス-メスの意識変化、そしてメスの自我収束について見てきましたが、最後に、現代の男女のあり方と比較した場合の見誤りやすい点について触れたいと思います。
 
 オス-メス、あるいは男女の関係性を考える際、これを個(個人)の視点で見た場合、往々にして男も女も同じようにすべきか、平等であるか、特か損か、、、男女を比較してどうなのかといった思考にとらわれやすいと思われます。(個人主義にとらわれ、また、一対婚家庭を拠点としている現実から、現代人が陥りやすい内容だと思われます)
 しかし、生物史を貫いてきた最も重要な「種の適応」という観点、種(集団)の視点で見た場合はどうでしょうか?
 オスという役割(存在)、メスという役割(存在)という進化史上の分化(=大転換)があり、同時にそのオスとメスが合わさってはじめて、外圧に適応的たり得たし、種をつなぐこともできた、という歴史事実を忘れてはいけません。
 真猿という闘争集団にあって、上記のようにオス-メスの役割が変化し、その結果としてメスの自我が発現しやすい状況にはなったものの、雌雄分化という生物進化の軸上で捉えれば、それぞれが互いに役割を期待し、互いに共認充足を深めることが最大限の活力源となり適応してきたという事実が、集団適応の基底にあるのです。
 
 真猿集団のオス-メスその存在の本質は、オスは闘争存在であり、メスはオスたちの死闘の果てに守られ、依存する存在であり、そしてオスたちを闘争に向かわせる活力を充填する充足存在なのです。
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・・・そして、この延長線上に現代の人類があり、私たち男女が存在しているのです。
 現代の、そしてこれからの男女の在り様を考えるとき、ここまで書いてきた雌雄分化等、生物進化の事実、そして生物の摂理自然の摂理を起点にすれば、思考の切り口も格段に広がり、またその立脚点が見えてくると思います。
 
 ※現代にも繋がる課題としては、「自我」をどうやって止揚していくか、という点が挙げられます。この点に関しても、上記の様な事実認識に基づいて、答えを導き出したいと考えています。
次回は引き続き、真猿の「オス」の特質を見ていきます。お楽しみに

List    投稿者 daian | 2013-10-11 | Posted in 13.認識論・科学論No Comments » 

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