2012年08月09日

ルネサンスの科学(魔術)3 フィチーノとアグリッパの魔術観と自我暴走の時代ルネサンス

前回(ルネサンスの科学(魔術)2 キリスト教会に対する金貸しの観念闘争の武器(魔術)→神中心のキリスト教から自我中心の近代思想への転換)は、山本義隆氏の『十六世紀文化革命』から「第10章 古代の発見と前期ルネサンスの魔術」前半の要約を引用しながら、文芸復興とも語られる14世紀から16世紀にかけてのルネサンスがヨーロッパ文化においては、17世紀以降の近代科学をも準備するものであったが、主題である磁力と重力の認識については、魔術(自然魔術)を復活させた、ことを見てきました。
 
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引き続き、「第10章 古代の発見と前期ルネサンスの魔術」前半部分の要約を引用しながら、当時の魔術に関する思想や時代背景、特にフィチーノ、アグリッパについて見ていきたいと思います。
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・魔力としての磁力
  

ルネサンス期の魔術思想では、「小宇宙」としての人間は、「力」という観念には作用には力学的・因果的なものではかならずしもないが、「大宇宙」の生命的な力をおのれの内部に取り込み利用することが可能であると考えられていた。フィチーノが1469年に書いたプラトンの『饗宴』にたいする『注釈』では磁石が鉄のなかにおのれの力を与え、鉄の性質をおのれに似たものに変え、そのことによって磁石は鉄を引き寄せるというのである。
 
『生について』では磁石から鉄に与えられる性質の起源が問題とされ、磁力は北極星から磁石に植えつけられたものであり、それが「隠れた力」として磁石に蓄えられていて磁石の特異な性質を形成し、さらに磁石が鉄と接触することにより、北極星から得たその性質が鉄にも分け与えられ、その結果として磁化された針が北を指すというのである。
 
これこそが「上位のものに照応する下位のものを、然るべき時を選んでもちいることにより、天界の事物をおのがもとに引き寄せる術」という先述のフィチーノによる魔術定義である。磁石の力と性質が天に由来するという理解はあきらかにトマス・アキナスそのものであるが磁石のこの動きこそがフィチーノの自然魔術のほとんど唯一の具体例であり原型であった。
そしてその磁石の一例は、他のすべてに押し広げられ、磁石に限らずさまざまな宝石に備わる特別な力-隠れた力-はすべて天に由来するのであるとした。

 
フィチーノは磁石の力を天界から作用する「隠れた力」とし、その力は「小宇宙」としての人間の中に取り込むことが可能であるとし、磁石だけでなくさまざまな事象に当てはめようとした。 
  
・アグリッパの魔術-象徴としての自然
  

十五世紀に復活した魔術思想を十六世紀になって集大成したのは、ネッテスハイムのコルネリウス・アグリッパであった。マルティン・ルターと同時代のドイツ人で、ヨーロッパ中を放浪して歩き中傷と貧困のうちに客死した。
 
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そのアグリッパが古今の哲学書や宗教書そしてオカルト文献を博捜し、東西の魔術思想に精通して1510年ころに書き上げたのが、『オカルト哲学』の三部作である。その冒頭では
  
三層の世界-元素的世界、天界的世界、叡智的世界-が存在し、すべての下位の世界は上位の世界によって支配され、上位のものの影響を受けている。その始源にある万物の創造主は、天使、天空、星辰、元素、動物、植物、金属、石塊を介して、その全能の力をわれわれのもとへと伝える。彼がそれらを創りたもうたのは、そのためである。それゆえに賢人たちは、われわれがまさにそこから万物が発するその始源の世界へと、万物の創造主にして第一原因へと、それぞれの世界をとおって上昇し、よりすぐれた事物にすでに備わっているところのその力を享受するのみならず、上位の世界から新しい力を引き出すこともまた可能であると考える。 
 
と宣言している。この世界理解ころがアグリッパの基本思想であった。「上位の世界」による「下位の世界」の支配という観点は、あきらかにフィチーノから得たものである。
「魔術は自然哲学と数学的哲学と神学的哲学の原理的な動きを包摂しひとつに統合し作動させるのであり、それゆえ、いにしえの人たちは魔術を最高にしてもっとも神聖な哲学として重んじた」のである。
 
 
アグリッパは「すべての物質的物体の元基として四元素-火・土・水・空気-が存在し、下位の物体はすべてそれから合成される」と語り、その四元素を感性的質の基体と考える。しかし重要なことは、自然界の事物のもつ性質がこれで尽くされていないことであり、特異な性質や作用は上記の四元素から生じるのではなく、「隠れた性質」からとされる。
 
そしてアグリッパにとっては-フィチーノと同様に-この「隠れた性質」は、地上的元素に由来するのではないがゆえに、万物の第一原因たる神に発し、「宇宙の精気」言い換えれば「第五元素」を媒介として地上の物体に授けられる。
 
こうしてアグリッパは「諸事物における隠れた性質は元素の性質に由来するのではなく、上位の世界から吹き込まれたことは今や明らかとなった」と結論づける。 
 
実を言うと、以上の議論はフィチーノをほぼ踏襲したもので、フィチーノの影響は著しい。というよりフィチーノのほとんど逐語的な引き写しである。しかしアグリッパの「オカルト哲学」の顕著な特徴はそのような抽象的で理論的な側面にではなく、むしろ諸事物の性質として、ラテン・ヨーロッパからビザンチンそしてイスラーム社会にいたるまでの東西世界に、それまで古代・中世をとおして二千年近くにわたって個々に言い伝えられ書き残されてきたものを徹底的に調べ上げ、細大もらさず広い集め、そのすべてをあまさず書き残したことにある。まさにその意味において「オカルト哲学」は一種の魔術大全であり、まぎれもなく中世の掉尾に位置する書物と言える。

 
つまり、アグリッパの魔術思想はフィチーノを受け継いだ模倣に過ぎず、その考えは自然や神といった本来の人間の範疇を超え、すべての事物を支配するというものであった。 
 

以上から、フィチーノとアグリッパの世界は、天上世界の事物と地上世界の事物が宇宙の精気を介して相互に影響をおよぼしあい交感しあっている巨大な有機的統一体であるといえる。人間は地上における諸物体のあいだの共感と反感の関係を適宜組み合わせてその力を利用できるだけではない。人間は天上の世界の影響をもうまく組み合わせることにより、天の影響を人間に有利な方向に向けさせることさえ可能となるのである。それがフィチーノそしてアグリッパの言う魔術であった。 
 
事例より、ルネサンス期における魔術の復活には、それなりの歴史的・社会的背景があったことは確かである。しかしそれと同時に、見えない腕を持つかのように離れたところにある鉄に強い力を及ぼすばかりか、鉄の針を磁化させて、あたかも天の物体から力を授かっているかのようにその針を天の星に向けさせる磁石の特異なふるまいが、魔術の現実性にたいする強力なサポートをあたえていたことも確かであろう。
 
ルネサンス人にとって、自然は象徴と隠喩の集合体であり、宇宙は巨大な力のネットワークであり、魔術とは宇宙と一体となることによって自然的事物の内に隠されていた意味を感知し読み解き、森羅万象にゆきわたるこの力のネットワークを操作する深遠な科学であり神聖な技術に他ならなかった。なによりも重要なことは、フィチーノやアグリッパの魔術思想において、自然を学ぶことで人間が宇宙の力・自然のエネルギーを使役しうるという信念が公然と語られたことにある。その後の科学技術の推進力はひとつにはこのルネサンスの魔術思想に発している。
 
しかしここから直線的に近代科学が生まれたわけではない。フィチーノやアグリッパは自然魔術が経験科学に接近してゆく一歩手前に立ち止まっていた。古代以来の文書や伝承に無批判でそこに記されていることや語られていることに絶対的な権威を認めていたからである。すべてはプリニウスやその他からの引き写しであって、実際に磁石を手にとって実験したことはないと考えられる。その限界を越えたのは1500年代の思想家であった。 
  
これまでの大方の歴史書では1400年代の魔術と1500年代の魔術を区別していないが、その二つには質的にあるいは段階的に異なると見なければならない。前者の魔術は宗教的で思弁的で言葉の世界に閉じこもる傾向にあったが、後者の魔術は経験的で数学的でかつ実践的な性格を有し、さらに職人たちによって担われてきた技術と結びつく傾向を示している。そしてここから実験的方法と数学的推論にもとづく、そして技術的応用を目的とした近代科学というものが生まれてきたと考えられる。
 
ともあれ、自然界は諸事物とその相互作用からなり、人は観察をとおしてその力を知ることができるという魔術思想こそ、やがてケプラーそしてニュートンによって創り出されてゆく近代物理学のキー概念ともいうべき万有引力概念を準備するものとなった。実際、遠く離れた天体が地上物体に影響を及ぼすという観念は、もともとは占星術のものであり、大宇宙と小宇宙の対応というルネサンスの魔術思想に由来する。しかし、それが地球と太陽、地球と月のあいだの物理的な力として捉え直されるためには、地球そのものの見直し、地球の発見という新しいファクターを必要としたのであり、そこにいるためには大航海時代を経なければならなかったのである。

 
ルネサンスは文芸復興という非常に明るい時代の印象を受けるが、社会の実態はこれとは程遠く、オカルトの大流行と絶え間ない戦争で無知と残虐が支配する時代でもあった。ルネサンスの中心地のイタリアでは多くの国々で絶えず戦争があり、魔術が理性的なスコラ学にかわって学術の主流となった。また農民の反乱が頻発し、魔女裁判も盛んに行われる時代であった。
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つまり、身分序列や宗教で抑えられていた自我が開放され肥大化し、人間が神に成り代わり世の中を支配しようとしたのである。
 
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言い換えれば、ルネサンスという時代は自我暴走の時代であった。

 
次回は、これらルネサンス期の社会背景として、波乱の時代において魔術と同様に流行した「魔女裁判」について迫っていきたいと思います。

List    投稿者 GO-MITU | 2012-08-09 | Posted in 13.認識論・科学論2 Comments » 

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コメント2件

 http://www.sheldonfergusonmusic.com/ | 2014.03.11 23:04

日本を守るのに右も左もない | 米国債デフォルト後の世界経済はどうなる?3~金融市場は実体経済(一般市場)とは無縁である

 http://jordanss.skyrock.com/ | 2014.03.12 0:08

日本を守るのに右も左もない | 米国債デフォルト後の世界経済はどうなる?3~金融市場は実体経済(一般市場)とは無縁である

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