2011年10月20日

近代科学の成立過程2~金貸しに都合のよい思想を過去から拝借したパクリ思想がルネサンス

近代科学の成立過程1で述べたように、近代科学とルネサンスの恋愛観や近代思想との関係構造を明らかにするために、まず、山本義隆氏の『十六世紀文化革命』から「第10章の十六世紀文化革命と十七世紀科学革命」を2回に分けて要約投稿します。
十六世紀文化革命は学問の担い手と表現言語の変化として現れます。それまで特権階級がラテン語で独占していた知を、職人や芸術家、商人たちが俗語で表現し始めました。それと同時に、神の言葉(聖書やギリシャ哲学)に学ぶことが知であるという考え方から、自然や世界に向き合う方法が知識の獲得に有効であると言う考え方に、真理観が根本的に転換します。
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1.スコラ哲学の特異性
 それまでのヨーロッパの知識階級の世界観を支配していたのはキリスト教。自然観の基盤は旧約聖書の『創世記』、プラトンの『ティマイオス』、プリニウスの『博物誌』。キリスト教には自然現象の原因を究明するという指向はない。4世紀の教父アウグスティヌスは単なる知的好奇心は肉欲と同様忌むべき物とし、12世紀の聖ベルナールは、好奇心は人間の品性を汚すとした。
この自然観を大きく揺さぶるのが12・13世紀の翻訳運動すなわち12世紀ルネサンスにおける、古代ギリシャ哲学と科学の発見。とりわけ熱心に学ばれたのがアリストテレス哲学で、そこには自然を統一的に把握する概念装置と論理図式があった。アリストテレスは知的欲求を全面的に肯定した。
 12世紀の教会はこの流れをおさえるために禁令を発するが、13世紀の托鉢修道会は勉学を修道上の戒律に加え、ついに13世紀にドミニコ修道会のトマス・アクィナスがアリストテレス哲学とキリスト教神学を統合する。これがスコラ哲学であり14世紀には教会公認の理論となる。
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トマス・アクィナス(この画像はこちらからお借りしました)
 このようにしてヨーロッパ人が獲得した知識は千年以上前につくられた文献に書かれた物であり、これ以降、大学における研究と教育はラテン語に翻訳された古代文献の釈義に終始する。知識の対象は人間でも世界でもなく書物に書かれたこととなる。そして、スコラ哲学は現実離れし形骸化していく。
15世紀のバーゼル大学では「昼が先か夜が先か」と言うようなつまらない議論に明け暮れ、生徒自身が「自分は大学の勉強でかなり増長し、学んだことはいかに巧みに論争するかと言うことだけだった」と術懐している。16世紀の中期にいたるまで大学はその時代の技術の進歩や人文主義には殆ど影響を受けることはなかった。
2.古代信仰・文書信仰
 本来キリスト教神学と異質な物であるアリストテレス哲学が受け入れられていったのは、ヨーロッパ人の深層心理に特異な古代崇拝の感情があった。中世後期からルネッサンスにかけてヨーロッパには、中世は衰退の歴史であるという退歩史観が存在していた。古代ギリシャ・ローマの方が優れており、大洪水以前の預言者は神から授かった真理を我が物にしていたと信じられていた。
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プラトンとアリストテレス(この画像はこちらからお借りしました)
3.ルネサンス人文主義
スコラ学批判として登場したルネサンス人文主義は中世の古代信仰・古代崇拝を助長した。中世のスコラ哲学は古代哲学からキリスト教に都合の良いところを取り出して再構成したが、人文主義は古代の方が中世より文化的に優位であることを明確に主張し、古典の作品を完全に復元しようとした
絵画論も、建築論もギリシャ・ローマに学び、物理学や天文学も中世の成果は無視して古代の権威を信奉した。天文学に革命をもたらしたコペルニクスも地動説を唱える前に、古代文書の中に大地が動くと考えた人が居ないか徹底的に調べ探し出している。真理はまずもって古代文書の中に見いだされるべき物であった。人文主義はスコラ哲学に対抗する権威を過去に求めた。ルターの宗教改革も過去にあった真のキリスト教への復帰を基本的な理念としていた。

ここでは、スコラ哲学が形骸化したが故にスコラ哲学批判が発生した事だけが書かれていますが、ルネサンス人文主義が登場する歴史的な背景にはこれに加えて、十字軍遠征による富の蓄積、その結果としての商人(金貸し)による都市国家の形成と、恋愛観念の蔓延があります
貴族や金貸しの私権拡大要求にはキリスト教では応えられません。そこで、中世都市の法律家たちは、大昔の「ローマ法」を引っ張り出してきて、商業(投機)貴族や金貸しにとって都合の良い解釈を加えた法体系を作り上げていきます。
十字軍遠征開始直後に突如として、南フランスやシチリアに恋愛を叫ぶ言葉が百花繚乱のように現れます。また12世紀には王妃と騎士の破滅的で情熱的な恋愛物語「トリスタン・イズー物語」も成立しヨーロッパで広く読まれています。ちなみに、それら恋愛観念(性的自我の正当化観念)は自前で作り上げたものではなく、12世紀当時スペインを占領していたイスラムの宮廷サロンの世界を都合よく解釈して作り上げたもののようです。
ルネサンス人文主義は、科学や哲学だけでなく、法律や恋愛観念もすべて、自我や私権の拡大に都合の悪い中世キリスト教秩序を否定するために、ギリシャ、ローマ、イスラムから都合の良い観念を拝借しているようです。
人間の欲望(性欲・物欲)を否定していたキリスト教に対して、欲望(性欲・物欲)⇒私利私欲の追求を全面的に肯定したのがルネサンスが標榜した「人間主義(ヒューマニズム)」です。「人間の私利私欲の追求が何よりも優先する」という思想です。金貸しにとってこれほど都合の良い思想はありません。
ところがルネサンスは最初から新思想を創造したわけではありません。金貸しに都合の良い(私利私欲の追求を至上のものとする)思想を、過去のギリシアやローマ、あるいは他所のイスラムの宮廷サロンから拝借したもの、つまり自らの都合の良いパクリ思想がルネサンスなのです。
参考:中世都市の法律と恋愛観念⇒ルネサンスの成立過程
そして、「私利私欲の追求こそ全て」という思想が蔓延すると間もなく、15世紀から西欧はその可能性を求めて海外の侵略を始めます。大航海時代です。それが西洋人の自我をさらに肥大させると共に、これまで拝借してきた古代思想を今度は一転して投げ捨てて近代科学を生み出すことになります。

4.大航海時代の衝撃と古代の権威の失墜
古代人の文献より現代人の経験の蓄積の方が優れているかもしれないとヨーロッパ人が気付き始めたのが14世紀のペストの流行。ペストへの対処法は現代人の方が優れていると書き残している。16世紀になると地理的発見が、古代から語り継がれた地球像が決定的に間違っていたことを明らかにする。アリストテレスの気象論もプリニウスの博物誌も熱帯は熱くて人が住めないとしていた。
大航海の渡航者たちの経験が印刷書籍として多く出回り、世界地図が数多くつくられることで、古代人の知識が誤っていたことが広くヨーロッパ中に広がっていく。大航海の経験は、古代人の神授の知恵という思い込みを打ち砕き、近代人は古代人を乗り越えうるという自信を与えた
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5.文書偏重から経験重視へ
大航海の経験は地理学、磁石の指北性、新大陸の動植物、など、人間の実践に伴って知識の内容は訂正されその量も増大するという事実を16世紀ヨーロッパ人に実感させる。そのことは物事を知るには実地の見聞によるべき事を強く印象づける。
17世紀にフランシスベーコンは古代ギリシャ哲学を世間知らずの若者に語る暇な老人の話と決めつけ、16世紀の末から17世紀にかけて「新」と銘打った科学書や哲学書が数多く登場する。チコ・ブラーエの「新しい天文学の機械」、ケプラーの「新天文学」、ベーコンの「ノブム(新)オルガヌム」ガリレオの「新科学対話」パスカルの「真空に関する新実験」は新しいと言うことがポジティブな価値を有することになったことを示している。
6.陶工ベルナール・パリシー
 文書偏重の学から経験重視の知への転換、理論的学問から実践的知識の優越の自覚は、高等教育を受けた知識人だけではなく、古典やラテン語と無縁だった職人にも自信を与える。端的な事例をフランス人陶工のベルナール・パリシーに見ることができる。
 パリシーは半農の煉瓦職人の子でラテン語も古典も知らなかったが、独力で地質学・鉱物学・博物学・水文学の研究に取り組み、フランス語で著書を書き、講演も行うようになる。そしてその著書の中で、古代の権威的な文献を無批判に信じることを明確に否定し、古代の権威よりおのれの経験を上位においた。自然認識に対する新しい姿勢は16世紀には職人の側から生まれていた。
7.実験と定量的測定
中世スコラ哲学では第一原理から演繹的に導き出される事柄だけが正しい認識をもたらしうると考えられていた。アリストテレス自然学においても数学者は抽象で出来た事物について研究し重さ軽さなどのあらゆる感覚的な諸性質を剥ぎ捨てるとしていた。どちらも実験や定量的測定は軽視していた。
16世紀職人たちの実践に実験と定量的測定が自然認識の中心的な手段になっていく。16世紀の数学は商人や技術者の実用数学として発達し、自然に対する定量的測定は職人や技術者の実践に始まっていた。磁針の偏角を測定したのはコンパス製造業者であり、冶金や試金の技術者は天秤秤による精密な重力測定を洗練させ、外科医が対照実験と反復実験の手法を編み出し、蒸留の技術、天体観測機器など様々な測定機器が開発された。
他方で習熟した数理技術者が、砲弾の射程と方針の仰角の関係を証明する。機械装置の設計製作に置ける厳密な数量化は、軍隊に置ける大量の砲弾や弾丸の厳格な規格化の要求から始まっている。地上の三角測量を実行したのは砲手であった。彼らは数学の重要性を自覚し、叩き上げの船乗りが序文で数学を船乗りが学ぶことの重要性を語っている。
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人間の感覚を超える精度と客観性、安定性を有した観測機器を用いる精密な測定という近代自然科学の必須条件は、16世紀の技術者や芸術家や実用数学に習熟した数理技能者によって満たされた。

ここでは、旧来の統合階級であるキリスト教会や学者に変わって、職人や芸術家が近代科学の手法である実験と定量的測定の手法を開発していった事が書かれています。ここで注目すべきは、この当時の職人や芸術家といった人たちがどんな人たちかと言うことです。
ルネサンスは都市国家を中心に起こった運動であり、職人や芸術家は都市(市場)の住民です。彼らは、都市の支配者である大商人(金貸し)に奉仕する立場であり、金貸しが国王に変わる世界の支配者になっていくことを手助けする立場だったのです。近代の科学者は登場の過程から金貸しの手先であり、近代科学は金貸しの世界支配の道具として発展してきたのです。
参考:10/9なんでや劇場2 始めから金貸しの意を受けたプロだった近代思想家

8.知の公共化と漸次的改善
経験的な知識は完全な物では無いので、科学の進歩という概念を生み、そのために知識を公開し共有され利用され検証されなければならないと言う考えを生む。この当時、画家、外科医、染色職人、金工技術者、軍事技術者、コンパス製造職人、等が書いた著作に公共の利益のために技術を公表すると書かれている。
もちろん、技術の公表は私的な栄達を求める打算も込められているが、それ以上に、現段階の知識が完全な物ではあり得ないと言う自覚があり、読者からの批判をとおして改善されることの期待がある。16世の職人や芸術家や外科医たちは研究の協働的推進と科学の累積的発展という理念を打ち出した。
9.シモン・ステヴィン
研究の協働的推進と科学の累積的発展をもっとも明確に提示したのがシモン・ステヴィン。彼は天体観測を例に取り、多くの人が観測し情報を共有することが以下に科学の発展に寄与するかを説いた。多くの人で観測すれば1人では集められないデータも集まるし、1人が集めたデータでは検証不可能なのが大勢でデータを集めればデータの検証も可能になる。
同時代人でも、貴族であったチコ・ブラーエが多くの人を雇って集めたデータを独占したのとは対照的である。これらの人々が書物をラテン語ではなく自身の言語で書いたのも、学者のためではなく技術者や職人や商人のために書いたからである。

ルネサンス人文主義は、十字軍によるイスラム略奪で富を蓄積し力をつけた貴族や金貸し階級が、より自由に私権拡大の可能性を追求しようとした時代でした。中世キリスト教の厳格な身分秩序は、金貸しの私権拡大に都合が悪いために、彼らの私権追求を正当化する恋愛観念や法学、哲学をイスラム、ローマ、ギリシャなどから借用してきたのです。
この時代の科学技術を牽引した職人や芸術家も金貸しの私権追求期待にこたえる特権階級の手先であり、科学技術は大航海時代にヨーロッパ以外の全ての地域を侵略するために発展したと言っても過言ではありません。この時代の職人たちが、新たな知識の公開に積極的だったのも、侵略先がアフリカ、アジア、アメリカへと拡大している時代であり、情報を秘匿するよりも、情報を共有することで科学知識が増えたほうが、より多くの侵略利益が得られたからではないでしょうか。
ヨーロッパが世界中を侵略し尽くし、植民地での縄張り闘争が始まると近代科学はどうなっていくのでしょうか。ここから先は「近代科学の成立過程3」で追求します。

List    投稿者 nodayuji | 2011-10-20 | Posted in 13.認識論・科学論6 Comments » 

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コメント6件

 国民の生活が第一は人づくりにあり | 2012.10.09 12:03

民主道連は中央に反し原発ゼロ社会を目標に、原発関連健康調査信憑性?対馬の文化財を盗難より守れ

 選挙意識の北海道民主は「原発ゼロ社会」政策を盛り込む、議事録公開文書中身は信じ難いの一例:福島県の県民健康管理調査検討委員会の議事録は情報公開請求を受け…

 カオス | 2012.12.19 20:57

不正選挙の証拠
神奈川9区 (比例区 )「500の束の検査で全く同じ筆跡のものが大量に出て来た」
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201212/article_201.html
そうです!

 black hermes | 2014.02.02 13:32

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 mbt changa shoes | 2014.02.22 11:24

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 kei | 2014.03.21 20:26

ほんと、気づけばにほんの資産はみーんなとられちゃって、選択肢もなくって、これからどうすんのよ?となっているところですね。だんだん苦しいのは庶民だけじゃなくなってくると思います。
学校というのは、社畜養成所であり、白襟、ネクタイは資本主義の奴隷です、と宣言しているように感じます。
今後の増税で、大企業を通さない生活が主流になってくるでしょうね。もちろん邪魔されるでしょうが。

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