2013年12月25日

新概念を学ぶ25~言語の獲得によって人類は進化もすれば退化もする可能性を孕むことになった

『実現論』「前史ヘ.人類:極限時代の観念機能」では、観念機能は人類が獲得した新たな進化機能であると同時に、その観念内容によって進化もすれば退化もする可能性を孕むことが指摘されている。

この観念機能(特に言葉)は、サルが頼りにする表情や身振りによる共認よりも、遥かに多様で容易な共認を可能にし、共認内容の無限の組み換えを可能にする。従って、観念機能こそ、DNA進化に代わる新たな進化機能=共認機能の完成形態であると言える。しかし、観念機能がDNA組み換えを超えた新たな進化機能であるという事は、その機能を獲得した人類は、その共認=観念内容によって進化もすれば退化もする可能性を孕むことになる。
   
人類の最先端機能たる観念機能は、あくまでも本能回路や共認回路を充足する為にある。もっと簡単に言えば、現実課題に応えるためにあり、行動を導く為にある。従って、観念機能は、精霊信仰以来一貫して目の前の現実世界(自然や同類)を対象化してきた。そして現実対象⇒事実認識の蓄積によって、人類の生存様式を進化させてきた。  
本源集団が解体された私権統合社会では、現実課題に応える為の観念機能は専ら私権の獲得に収束し、自分のことしか考えられない人間を作り出した。当然その私権闘争は、本源価値を抑圧し、解体してゆく。しかし、共認回路の充足の必要は、絶対である(サル・人類はそれなしには生きられない)。そこで、観念機能は(私権追求とは別に)現実には失われてゆく本源価値を、頭の中だけで対象化することによって、共認回路を充足させる方向に向かった。こうして、現実対象不在の架空観念(神や愛や自由、つまり古代宗教や近代思想)が捏造されていった。それによって、人類を進化させてきた観念機能の認識ベクトルは、現実対象から不在対象(頭の中に内在する本源価値)へと180度逆転させられてしまったのである。
それだけではない。本来の観念機能は、本能課題や共認課題に直結して行動と一体となって作動するが、現実対象を捨象したこの即自観念(頭の中に内在する本源価値を言葉化しただけの観念)は、現実の一切の活動から切り離され、ただ「観念」それ自体の為に存在する。これは観念の倒錯である。

この観念の倒錯思考は、現実の外圧を捨象するという意味で自閉思考と云ってもよいが、この人類固有の欠陥である観念の倒錯あるいは自閉思考はどのようにして生まれたのであろうか?
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「人類の観念機能⇒言語機能と脳構造(小脳と右脳左脳)」で提起した仮説は、次の通りである。
【1】右脳が360度の(外圧)情報探索、左脳が照準力を担っている。
言語(発声)機能に使われる筋肉(球筋)は、もともと呼吸や食物摂取をはじめとする基本的な生命維持に必要な筋肉で左右両脳の支配を受ける。これは、片側の脳に障害が起こっても、生命維持に不可欠な球筋が麻痺しないためである。
ところが、言語機能の場合だけ、右脳の支配を抑制制御する仕組みを脳は作り上げた。これが言語機能における優位半球(左脳優位)である。
言語機能は意識を固定化するために登場したが、意識を固定化するには強力な照準力が必要とされるので、右脳の支配を抑制制御し、照準力を司る左脳が優位に働く仕組みを作り上げた。
これが、言語機能における優位半球(左脳優位)が形成された理由だと考えられる。
左脳が優位が始まったのは、500万年前の観念原回路が登場した時ではなく、100万年前?に言語機能が登場して以降だということになる。そして、5000年前の文字の登場以降、左脳優位が加速したということになる。
【2】ここで注目すべきは、観念原回路と言語機能の違いである。
鳥類には知性(観念機能や共認機能)はないが、言語機能(聞いて真似て発声する機能)はあるように、言語機能は観念機能とは独立して存在し得るものである。
人類は極限時代(原始時代)500万年に亙って恒常的な餓えに晒され、共認充足を唯一の命綱にして生き延びてきた。そして、元々同類を対象とする共認回路を自然・宇宙に対して作動させ、宇宙との共認(対話)を試みた。そこで人類が万物の背後に観たのが精霊である。この回路が観念原回路である。
この観念原回路は360度外向きに放射する徹底した前方思考であり、ここから予知・霊感思考が生まれた。つまり、観念原回路では左脳(照準力)だけではなく、右脳(360度の外圧探索)もフル稼働させている。原始人類は全身全霊で自然に同化しようとしていたのである。
このように観念原回路は、無数の要素や力が有機的・複合的に絡み合って働いている自然世界or自然の摂理を全的に対象化する回路であるのに対して、言語機能は単語がそうであるように、ある特定の限定された対象を概念化(言葉化)するものである。
これが言語機能がデジタル構造(タコツボ構造)を持つという所以であり、それは360度の外圧情報の中から一点に照準を絞り込む照準力の成せる業である。
【3】人類の脳は360度の外圧情報探索を司る右脳の働きを抑制制御することによって人類は言語機能を獲得したが、これは人類にとって両刃の刃であったのではないだろうか。
まず、360度の外圧情報探索を司る右脳の働きを抑制制御することは、外圧捨象という生命にとって自殺行為とも言える危険な行為である。
そして、人類は言語機能を手に入れることによって、右脳の360度の前方思考を抑制し、左脳によって専ら内面のみに照準を当て探索する危険性を孕むことになる。云わば言語機能の獲得と同時に外圧を捨象する危険性も孕むことになった。これが「人類は進化もすれば退化もする可能性を孕むことになった」と云われる所以ではないだろうか。
【4】実際、人類以外に外圧捨象する生物は存在しない。
例えば、自閉思考は共認回路の欠陥であるが、同じ共認動物であるサルにはスキンシップを嫌がる自閉サルはいないことから考えて、自閉思考を生み出すのは人類固有の言語機能だと考えられる。
先に述べたように、360度外向きに放射する徹底した前方思考である観念原回路の前提には共認充足がある。ところが、共認非充足の場合は、逆転して自分の内側に収束する。それは脳内に-捨象+収束のドーパミン回路が作り出す充足回路があるからであるが、それは短絡充足なので、そこから省略思考→限定思考に嵌りこんでゆく。
つまり、共認非充足の場合は、右脳は抑制制御され、左脳がひたすら短絡思考・省略思考に向かってゆく。
同時にこの思考は自分の内側に向かうので、潜在思念によって対象全体を感覚的・直観的にキャッチする能力は劣化してゆく。そして、自らが短絡した一面でしか対象を捉えられなくなる。
それでも採集時代までは、人類は共同体社会で共認充足で充たされていたので、思考は充足可能性を求めて外側に収束し、右脳の働きも抑制されることはなかっただろう。
ところが、5000年前の略奪闘争によって共同体が破壊され、共認非充足が常態化すると、人類の左脳は、充足可能性をひたすら内面に求めて(内面に照準を当てて)収束してゆくことになる。交易や徴税の必要から文字が登場すると、左脳の働きが加速され、内面収束が加速したであろう。
さらに生涯固定の身分制度が確立し、私権の強制圧力によって現実世界では共認充足の可能性が閉ざされると、現実(外界)を捨象し、ひらすら内面収束する古代宗教や近代思想が作り出された。

今も現代人の頭の中には、恋愛・自由・個人・人権etc、自我発の自己正当化観念が無数に詰まっており、そのの無数の自己正当化観念に囲まれたその中心に強固な「自分」という観念を形成し、あたかもその「自分」観念こそが自分の本質であるかのような錯覚に陥ってしまう。
その結果、自己正当化観念で武装された内圧ばかりが高くなり、その分、外に向かうベクトルが衰弱し外圧をキャッチする力は衰弱してゆく。これが自閉化である。
つまり、共認非充足(あるいは、そこから発生する自我収束)が360度の情報探索を司る右脳の働きをトコトン抑制制御し、左脳による内面探索を生み出す。
これが自閉思考の構造ではないだろうか。

【5】西洋の近代科学についても同じことが言える。
近代科学は、一般に自然を虚心坦懐に眺めあるがままに記述するものとされている。
しかし現実には物理学は、複雑で多彩な自然を特定の立場から単純化・理想化し、更に特定の現象を捨象することから始まる。
例えば、近代物理学の法則とは、数学的処理になじむように人間が単純化し、理想化し、抽象化した現象の法則である。
無数の要素や力が複合的に絡み合って働いているのが現実の自然世界(宇宙の運動)であるが、近代科学者たちは、関係する要素や力をほんの数個に限定し、その他の要素を捨象した人工的な特殊限定空間で実験を繰り返してきた。そうしてできた科学法則は、現実には存在しない特殊空間(実験室)でのみ成立する限定的な法則にすぎない。
この近代科学の要素限定思考も、360度の外圧探索を抑制した限定思考・短絡思考の産物と考えて間違いない。
では、なぜ西洋において要素限定思考の近代科学が登場したのか?
日本をはじめとする水や食糧が豊かな地域では、採集部族は自然の恵みに感謝し、同化した。そこでは、自然世界を全的に対象化し、人間に都合よく要素を限定し利用するという意識は生まれなかった。
一方、イラン高原の砂漠やヨーロッパ半島の森林をはじめとする水・食糧が乏しい世界では、自然に同化しても自然は恵みを与えてくれないので、自然と対決し支配するという姿勢が生まれ、そこから自然の中から人間に都合の良い要素に限定して利用するという意識が生まれる。一点突破思考とも言える。
これが、自然環境が厳しい西洋において近代科学が登場した風土的前提である。
まとめると、
共認充足であれ自然環境であれ、外部世界に可能性が見い出せないとき、360度の外圧探索を司る右脳の働きは抑制制御され、左脳の照準機能に偏向する。
その結果、可能性を都合の良い部分に限定的に照準を当てる限定思考(一点突破思考)が生まれる。
これが、古代宗教・近代思想・近代科学を貫く倒錯思考・自閉思考・限定思考が登場した理由である。
そして、それは人類の言語機能の獲得がもたらした両刃の刃だったのではないだろうか?

List    投稿者 staff | 2013-12-25 | Posted in 13.認識論・科学論No Comments » 

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