ルネサンスの科学(魔術)1 キリスト教を市場拡大の守護神に転換したニコラウス・クザーヌス
これまでは、ギリシャローマ時代から中世キリスト教社会の科学技術の流れを見てきました(科学技術の源流1・2・3・4・5)。ここからは、科学技術が本格的に発展を始める、ルネサンス時代に入ります。新しいシリーズの「ルネサンスの科学(魔術)」第1回目はニコラウス・クザーヌスです。
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あまり知られていませんが、ルネッサンスへの扉を開いた先駆者の1人がクザーヌスなのです。十字軍の開始以降、貿易が活発になり市場が拡大していくと、人々は自我私権の拡大可能性に目覚め、禁欲を旨とするカトリック教会は崩壊の危機を迎えます。彼は、新たな世界観を提示しキリスト教を、市場拡大=自我私権の追究を積極的に肯定する宗教に転換します。彼はどのような理屈を使って、この大転換を実現したのでしょうか。
山本義隆氏の『磁力と重力の発見』から「第9章 ニコラウス・クザーヌスと磁力の量化」の要約を引用しながら、ニコラウス・クザーヌスの問題意識とその論理構造を解明していきます。興味を持たれた方は応援もお願いします。
1 ニコラウス・クザーヌスと『知ある無知』
ニコラウス・クザーヌスは力概念の変遷と発展という面で、決定的な転換点に位置している。彼は一四〇一年、ドイツの片田舎の貧しい船頭の子として生まれたが、領主に引き取られ教育をうけ、教会法を学び聖職に就く。そして当時衰弱していた教会の指導力回復に尽力し、枢機卿に任命され教会改革のために大旅行を敢行し、一四六四年に没した。当時カトリックは大混乱期にあった。一四世紀の続発する飢饉と繰り返されるペスト禍でヨーロッパの人口は激減し社会が疲弊していた。カトリック教会は外的にはトルコの軍事的脅威にさらされ内的には「アヴィニヨン幽閉」とそれに続く「西欧教会大分裂(シスマ)」そしてフス派の反乱などキリスト教会総体の存亡の危機に苦悶していた。クザーヌスはアカデミックな学者ではなく為政の人であり、カトリック教会の組織のために生涯を捧げた。クザーヌスはその激務をこなすかたわらで研究と思索を続けた。
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クザーヌスの神学思想は『知ある無知』に展開されている。神は「無限な真理」であるがゆえに「われわれに把握されない仕方でそれに到達する以外に道はない」そのわけは、私たち人間の知性は、既知の事実と比較するという有限の思考過程の積み重ねによってしか物事を知り得ないから。したがって無限なる神・絶対的真理には到達し得ないのである。このことを自覚すること、あるいは無知に徹することによって無限な神に近づくことが「知ある無知」だとされる。
クザーヌスが研究と思索を続けたのは、市場社会が発展して行く中で、キリスト教(カトリック)が大衆意識から取り残され、衰退していくのを防ぐ事でした。
錬金術・医術・航海術など新しい技術と思想がイスラム世界から導入され、ペストの流行にキリスト教は無力な事が明らかになり、アヴィニヨン捕囚で教皇は王権に敗北し、教皇絶対のヒエラルキーは崩壊しつつありました。キリスト教も、個人の私益追究を肯定し、現実社会に使える自然の力を上手く引き出す科学技術に貢献できるような内容に塗り替えないと生き残っていけません。それを実現するためにクザーヌスが見いだした論理が「知ある無知」だったのです。
2 クザーヌスの宇宙論
絶対的な真理には到達し得ないと言う主張は、ただちに認識の相対化につながる。『知ある無知』できわめて重要な論点は、第一に神に次いで宇宙をも無限と捉えている事にあり、第二には自然認識における数の重要性を主張していることにある。
第一の、宇宙の無限性の主張は物理学的には大きな意味を持っていた。無限な物に中心はないから、宇宙に中心がありそこに地球が静止しているというアリストテレス・プトレマイオスの宇宙像は否定されることになる。そして、中心であり得ない地球がどんな運動にも欠けているということはあり得ないから、地球が運動することは明白なことになる。
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この議論をコペルニクスの地動説の直接の先駆と見ることは困難である。しかし、地球の絶対的静止の否定が、近代的な世界像に向けての決定的な一歩であることは認めなければならない。
地動説に対する最も強固な反論は、私たちの感覚には地球の運動は感知されないことである。それに対するクザーヌスの反論は、運動の相対性の主張である。我々が運動を把捉するのは固定点との比較による。もし誰かが水に浮かぶ舟にいて、周りの水が流れているのを知らず、両岸を見ないならばどのようにして舟が運動しているのを把捉するであろうか。
実は地球と天球の運動の相対性という論点は前世紀にオレームによって語られてはいた。しかし彼は、自然学的には地球の回転は支持できるが神学的根拠から地球は静止していないといけないと結論づけた。しかし、クザーヌスは神学的根拠に基づいて宇宙の無限性を主張し、地球の運動はその論理的帰結であり、それゆえ否定し得ない事実として語られたのである。
クザーヌスによる宇宙の無限性の主張は、地球上の物体の落下を宇宙の絶対的中心に向かう自然運動と見るアリストテレスの見解と、その背後にある宇宙の位階的秩序の否定へと導く。この地球は世界の中で最も賤しく無価値な存在ではないことになる。中世の身分制社会の秩序を端的に反映していた絶対的で位階的な宇宙はクザーヌスによって否定されたのである。
そして、諸天体の相対化は天体から地球への一方的な影響だけではなく、地球から太陽や星辰への影響も認める事になる。地球から太陽への逆影響は中世の占星術においても見られなかった観点であり、これが初めての表明ではないかと思われる。ケプラーが提唱した月と地球の作用・反作用の法則もクザーヌスの影響があるのではないか。
ここで重要なのは、中世キリスト教の自然観である、絶対的な神のもとでの最上級の天から最下層に位置する地球という序列秩序を捨てて、絶対的な神と、その絶対存在の前で全てが相対化された世界という自然観を提示したことです。
中世キリスト教では教皇に服従する封建的な序列秩序により個人の自我私権の追究は封鎖されていました。それが、この論理により、絶対存在である神の前では全てが相対化され、誰もが平等になります。キリスト教=神の絶対性は確保しながら、誰もが平等に自我私権を追究することを正当化します。
さらに、地球を最下層の存在から、他の天体と変わらない重要な存在に転換することで、キリスト教を現実否定の宗教から現実肯定の宗教へ転換します。
こうして、キリスト教は、市場拡大を肯定し、市場拡大を実現するための科学技術の追究も積極的に肯定することが可能になります。市場拡大の可能性に目覚めた人々にとって、市場拡大や科学技術の追究は神の御心にかなうことであると言ってくれるありがたい宗教になります。
3 自然認識における数の重要性
クザーヌスはどんな探求も比を媒介として用いるがゆえに比較的な探求であり、比は数無しには知覚されないとする。ゆえに数は比の可能な物を一切含んでいるとして、事物の認識における数の重要性を主張している。この根拠は聖書外典『ソロモンの知恵』の言葉、「神は万物を数と重さと尺度にしたがって創造された」に求められている。クザーヌスはこの数的秩序を、人間が地上の事物を認識できる根拠として語ったのである。
精神が物を知るのは端的に測ることによるのである。知性的な認識とは、同一度量衡単位に還元することによる量的一元化とそれに基づく定量的測定によってのみ成し遂げられる。クザーヌスは知は古代から権威づけられた書物の中よりも、神がご自身の指で書かれた書物から学ぶことが出来、それは市場の喧噪と街頭の雑踏の中に見いだされると語る。クザーヌスが数を重要視したのは、プラトンやピュタゴラスの影響だけではなく、むしろ商品経済の発展に促された貨幣経済の浸透に触発された物だと考えられる。
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クザーヌスが一四五〇年に書いた『計量実験について』では、プラトンが正式な認識はあり得ないとした感性的経験の世界をどのようにすればより正確な物にできるかが論じられている。事物認識の基礎が量的一元化に置かれ、そのための単位が重量や比重とされている。
植物学の実験では植物が生長した後に土の重さを量っても土の重さがわずかしか減っていないことから、草の余分な重さが加わったのは水によるとしている。金属の組成については、比重が金属に固有の物で、比重の測定で金属の組成を特定しうる事を指摘し錬金術を批判した。医療においても血液や尿の重量測定、脈拍と呼吸の定量的測定を重視し測定法を考案している。クザーヌスは『計量実験について』であらためて「神は万物を数と重さと尺度にしたがって創造された」と書き、この精神は一七世紀に創設されるロンドン王立協会で営まれる新しい科学の指導理念にもなった。
さらにクザーヌスは絶対存在である神の前での相対性という論理から、数字で世界を把握する必要があると言う結論を導き出しています。全ての存在が相対化されると、比較することによってしか把握できなくなる。したがって数字で世界を捉えることが正しいのだという論理です。
かれは、なぜここまでして数や計量を正しいことであると強調したのでしょうか。それは、市場原理が世界を支配し科学技術が発展していく中で、キリスト教がその市場原理や科学技術を肯定し包摂する論理が必要だったからでした。市場原理、科学技術の中心にある数字は神が作り出したものである、市場・科学にも神が宿っているという論理です。
4 クザーヌスの磁力観
クザーヌスは『計量実験について』で秤を用いた磁力強度の定量的測定法を提案している。このもってまわった測定方法が実行可能かどうか、最良のやり方であるかどうかと言ったこと以前に、強度を定量的に測定するべき対象として磁力を捉えたこと自体が新しいアプローチであることに注目しなければならない。もちろんこのことだけでクザーヌスを単純に近代物理学の先駆者と見ることは出来ない。彼はダイヤが磁力を破壊するという古代以来の伝承を無批判に受け入れダイヤが磁力を妨げる能力も測定出来ると考えている。自然に対する中世的理解をそのままにして、定量化の要求だけがアンバランスに突出していることは否めない。
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そのことは、磁力の本性が何であるかという基本的問題の理解においても明らかになる。彼は磁力の本性に独特の擬人的な見解を示しているが、それは神と人との関係を明らかにする比喩として磁力を使っているからである。鉄が磁石からその力を得るように人は神からその生命を授かり、自然的には落下する鉄が磁石の力により落下をまぬがれ上昇しうるように自然的に堕落する性向を持つ人が神の力で高められ、鉄が磁石に向かうように人はその目標として神に向かうというのである。
ニコラウス・クザーヌスによって、はじめて重力と磁力に対する定量的測定の重要性を指摘された。これが忠実に追究されたなら、なぜという存在論的設問からどのようにと言う機能的設問への転換をもたらし、近代数理学としての物理学にいたる第一歩を踏み出すはずだった。しかしそれはずっと後まで持ち越された。ルネッサンスにおいて磁力は魔力としての磁力というヘルメス主義的な理解へと変貌していく。近代科学への道は直線的でも単線的でもない。このことは近代科学の概念や法方が一見非科学的に見える前近代的な観念の内にも育まれてきたと言うことを意味している。
クザーヌスは、絶対的な神のまえでは全てが相対化されるという論理で相対的宇宙論を提示し、カトリック教会の教皇絶対のヒエラルキーや禁欲主義を否定し、個人が自由に現世利益を追求する事を肯定しました。そして、神の前に相対化された自然は計測し数量化することで把握でき、それは神の言葉を読み解くことであるという論理で、市場拡大や自然科学の追究を正当化します。クザーヌスが作り出した論理は、西洋だけで近代科学が発展する大きな要因となった事は間違いないでしょう。
しかし、クザーヌス以降のルネサンスの初期には魔術が復権し、本格的な近代科学の発展には、もうしばらく時間がかかります。次回は、ルネサンスの初期になぜ魔術思考が蔓延したのかを追究します。
参考
魂に宿る神の観念
ニコラウス・クザーヌス 生涯とその時代
クザーヌスの年譜
クザーヌスにおける周縁からの眼差し
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コメント9件
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薩摩と長州の関係が不明です
安倍 VS 小泉の戦いの背景が見えません
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