2012年08月14日

前期魔女狩り1480~1520 市場拡大のために農村の共同体的風習を破壊した魔女狩り

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「ルネサンスの科学(魔術)1 キリスト教を市場拡大の守護神に転換したニコラウス・クザーヌス」
「ルネサンスの科学(魔術)2 キリスト教会に対する金貸しの観念闘争の武器(魔術)→神中心のキリスト教から自我中心の近代思想への転換」
「ルネサンスの科学(魔術)3 フィチーノとアグリッパの魔術観と自我暴走の時代ルネサンス」では、
ルネサンスは、メディチ家をはじめとする金貸したちが魔術を振興し、魔術の力によって人間が神に成り代わろうとした時代、つまり西欧人の自我が暴走し始めたであることを明らかにしてきた。
そしてルネサンス期は、自我の暴走の現れである魔女狩りの嵐が欧州全域に吹き荒れた時代でもある。
その犠牲になったのはほとんどが大衆、とりわけ女たちである。
魔術(呪術)的な業を使う者は魔女というレッテルを貼られ、殺されていった。
魔女狩りは1480~1520年の前期魔女狩り、1560~1670 後期魔女狩り(魔女狩りピーク)に分かれる。前期はカトリックが主導、後期はプロテスタントが主導した。
それ以前から異端審問はあったが、魔女狩り、つまり女をターゲットとした迫害が始まるのは、1480~1520年にかけての前記魔女狩り以降である。

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「『魔女誕生』:はじめに」から引用。

魔女狩りは、“魔女狩りの手引書”といわれる『魔女の槌』が著わされた1480年代に始まり、その後一時停滞し、1580年代に再び、魔女についての新しい文献が出て再燃し、今度は大きな被害をもたらしたという。これを一続きの流れとして見がちである。しかし、実際には二つの大きな波としてみることができる。宗教裁判所が先頭に立って行ない、犠牲者は限られていた1480~1520年と、世俗裁判所(領主・国王)が行ない、被害は大きかった1580~1670年とである。仮に前者を前期魔女狩り、後者を後期魔女狩りとする。
魔女と呼ばれるものは昔から──つまり、魔女狩りが始まる以前から──存在した、としばしばいわれる。確かに、超自然的な行為を行なう人々の存在は信じられていたが、しかし、とりわけ女性に限られていたわけではない。もっともそれは『魔女の槌』の登場までである。とりわけ女性を妖術と結びつけてその悪を論じた『魔女の槌』が1486年に世に出ると、以後この本は版を重ね、“魔女狩りの手引書”として影響力をもち続けることとなる。従って、この『魔女の槌』によって、魔女=女性というイメージが確立されたといっても過言ではないだろう。
そこで、『魔女の槌』に至るまでの、魔女的要素(妖術、悪魔崇拝、秘密の集会など)と性との係わり合いの歴史を見ることによって、魔女がとりわけ女性として意識されるようになった過程を考察してみたい。
以下では、まず民衆独自の呪術概念およびそれに対する教会の対応について考察する。ここでは、魔女狩り以前に、魔女的ともいえるさまざまな呪術概念が存在していたにもかかわらず、また、女性についての非難が多かったとはいえ、教会の対応が寛容であったことが明らかにされる。その一方で、実際に教会や世俗権力から異端として厳しい弾圧を受けた存在について、次に考察する。ここでは異端が魔女的要素によって迫害されていること、しかし、性別による区別はなかったことが説明される。

「『魔女誕生』:第一章 教会の民衆教化にみられる魔女的要素と性」から引用。

キリスト教受容以前には、キリスト教とは異なる、民衆独自の呪術概念があった。民衆の呪術概念に対するキリスト教の見解は、その現実性を「否定」するものである。その中心にある思想は、そのような概念を頭の中に描き信じることは「悪魔にだまされて」そうするのであり、つまりは、それらは現実には起こり得ないことである、というものであった。このような否定的見解をもとに民衆の呪術概念を駆逐し、キリスト教的思想統一を目指して、キリスト教の教化がおこなわれてきたのであり、その教化の具体的指導書が「贖罪規定書」である。その目的とするところは、民衆の悪しき誤りを正し、キリスト教信仰の定着を図ることであった。このため、魔女的な行為を行なったり信じたりしたとしても、課せられる罰は、そう厳しいものではなく、まして火あぶりにされることはなかったのである。

「『魔女誕生』:第二章 迫害を受けた人々、いわゆる異端の魔女的要素と性」から引用。

将来には、新たな決まり文句が、単なる隣人同士の日常生活のもめごとに利用されることになる。もちろん、“魔女”である。しかし、15世紀前半までは、そのイメージはできていなかった。そのことは結局、性別の問題から確かめられる。これまでみてきた裁判では、以後の魔女狩りに特徴的であった、被告の性別による差はみられない。15世紀前半までの裁判では、とくに女性に非難が集中しているわけではなく、1438年のラ・トゥール・ドゥ・パンにおける裁判では、むしろ被告はほとんど男であった。また、民衆の呪術概念もあまり強調されていなかった。
キリスト教世界に害悪をもたらす女性という後世の魔女のイメージは、1486年に出た『魔女の槌』で、初めて現われるのである。

「『魔女誕生』:第三章 『魔女の槌』による、魔女=女性イメージの確立」から引用。

『魔女の槌』の著者は、インスティトリスとシュプレンガーという二人の異端審問官である。
女性に対する伝統的な蔑視がなかったわけではない。キリスト教では、女性は男性よりも劣るものとして、常に論じられてきた。しかし、実際に(贖罪ではなく、死をもってなされる)迫害の対象として女性が強調されるのは、『魔女の槌』の誕生以後である。
まず、なぜ、とりわけ女性が迫害対象として取り上げられることになったのであろうか。この点から考える場合、インスティトリスらの個人的背景について見る必要がある。それは、マリア崇拝である。
マリア崇拝とは12世紀よりヨーロッパに広まったものであるが、それはまず11世紀から、修道士や聖職者のあいだでおこりはじめ、熱心にマリアに祈り、罪を告白し、詩でほめたたえ、マリアの神秘を瞑想するようになる。この時代から、マリアに捧げられた祈祷集がさかんに編まれるようになる。
マリアは、その「処女にして母」という処女性により、宗教生活のモデルとなった。イヴが処女性の消失により楽園を追放されたのなら、マリアはその処女性によって勝利を獲得する。すなわち、原罪を犯したことによる二重の罰からの自由(妊娠出産の苦痛という罰からの自由、社会での男への服従という罰からの自由)をマリアは有するのである。初期中世から盛期中世にかけて、修道院の模範となったものは、このような性の穢れからまぬがれた処女=純潔性を、魂の救いの前提条件としていたのである。
インスティトリスとシュプレンガーは、熱烈なマリア崇拝者だった(とくにシュプレンガーは、聖母マリアの幻をみたといわれている)。その一方で女性蔑視の伝統をになう聖職者でもあった。マリア崇拝は、処女聖母マリアが現実の母とまったく相応し得ない男性の精神の産物であるため、それだけいっそう現実の女性に対する蔑視が強化されることになる。
そこでは、女性が男性より迷信にしばられることについて、三つの理由が挙げられている。
それによると第一に、女性の方が軽信であるため、悪霊はとりわけ信仰を堕落させようとするときに真っ先に女性を攻撃するからであり、第二に、女性はもともと男性より感受性がつよく、別の霊の啓示を受けやすいためであり、第三に、女性は弱いので、まじないによって密かにもっと簡単に復讐する方法を探しているからである、という。
イタリアの歴史学者カルロ・ギンズブルグの研究『ベナンダンティ16-17世紀における悪魔崇拝と農耕儀礼』は、キリスト教の教化後も、イタリアのフリウーリ地方の農民の生活の中で持続してきた「ベナンダンティ」という異教的民族信仰が、異端審問を通じて、審問官の考える悪魔崇拝へと変容していく過程を実証的に描いたものである。
審問官たちには、農民たちの概念が理解できなかった。そのため、その理解できないものを、自分たちが理解していたもので“置き換え”ようとしていたのである。その結果として、「ベナンダンティ」の概念は、「魔術師」の概念に変えられてしまい、異教的民族信仰が悪魔崇拝へと変容することになる。
この『ベナンダンティ──』の考えを『魔女の槌』に当てはめた場合、著者インスティトリスらがその概念を押しつけようとした何らかの存在、すなわち、非キリスト教的あるいは反キリスト教的な存在があったと考えられる。そのような存在として浮かんでくるのが、「賢女」である。
賢女とは、どのような存在であるかというと、例えば、薬草集めの女であり、出産の時に助けてくれる隣人の女性であり、大家族や親族に病気が生じたときに頼りとなる母・祖母である。手をかざして病気を治したり、悪の魔術を防ぐお守りやその他の手段を講じ、そのうえ多くの者は、占いや愛の魔術も取り扱った。
全般的にみて賢女とは、実際の経験から直観と多くの呪文によって生活のさまざまな場面やいろいろな苦境に際して、忠告を与える術を心得ていた老婆、とくに具体的には、「産婆」をさすとみてよいだろう。
民衆の生活にとって身近な存在であったこれらの女性は、その不可思議な知識や能力を身につけているために、敬われる存在であるとともに、恐れられる存在でもありえた。なぜなら、病気を治したりできるのなら、逆に病気や災いを引き起こしたりもできるだろうと考えられたからである。
『魔女の槌』における“魔女”とは、民衆の文化をそのまま受容することの出来なかったエリートから見た民衆文化、すなわち、自分たちの理解枠にはないものを、自分たちの理解していた要素で置き換え説明した結果、生まれたものといえるのではないだろうか。
つまり、民衆の呪術概念を、幻想として否定できるうちはよかったが、15世紀の諸裁判にみられるような異端の増加に対する教会の危機感により、それが現実味を帯びてきたとき、もはやエリートは、自分たちが理解していた悪魔学によって解釈しなければ、その概念を受け入れることができなかったのである。言い換えるならば、『魔女の槌』における“魔女”とは、純粋に想像上のものではなく、民衆の文化・概念が、エリートというフィルターに通された結果、生まれたものといえるのではないだろうか。

このように、魔女狩りは金貸しに支配された一握りのエリートが大衆に対して仕掛けたものである。
その狙いは何だったのか?
それを明らかにするために、1480~1520年の前期魔女狩りの時代背景を述べる。
1300年代    ルネサンス(恋愛小説)
1400年代    ルネサンス(絵画・建築~魔術)+活版印刷術
1400年代半ば~ 大航海時代(1488喜望峰発見、1522マゼラン世界一周)
1480~1520 前期魔女狩り(主導したのはカトリック)
1517      ルター免罪符批判→宗教改革(異端審問批判)
 その後、1560年まで魔女狩り沈静化するが、再び
1560~1670 後期魔女狩り(プロテスタントによる魔女狩りピーク)
前期魔女狩りは大航海時代と重なる。
大航海という侵略開始によって支配階級・エリートだけでなく、西欧全体が自我・私権に収束した時代である。但し、農民は共同体的風習を残存させていた。
そして、この前期魔女狩りの主勢力はカトリック教会である(∵宗教改革前夜でプロテスタントは登場していない)。
【1】魔女狩りによって農村の共同体的風習が破壊され、市場が拡大した。
「『魔女誕生』:第三章 『魔女の槌』による、魔女=女性イメージの確立」によると、彼らカトリック教会のエリートは、農民の間に残存する民衆文化=共同体的風習(その担い手である老婆・産婆)に魔女というレッテルを貼って迫害した。それは何故か?
当時のカトリック教会のエリートは、既に金貸しに支配されていた。実際、当時のカトリック教会は金集めにやっきになっており、その代表が免罪符の販売であるが、その主導したのはフッガー家とメディチ家(およびメディチ家出身の教皇レオ10世)である。
私益収束したカトリック教会は免罪符を売るためには、不安と罪悪感を煽る必要があり、そのために残存する共同体的秩序(安心基盤と充足)を破壊しようとしたというのが、まず考えられる理由である。実際、当時、秩序が不安定だったドイツは、免罪符の最大の市場であった。
さらに、カトリック教会の背後にいる金貸しは、さらなる市場拡大を目論んでいた。
農村を市場化するためには残存する共同体的風習を解体し、バラバラの個人(私権主体)に解体する必要がある。
実際、共同体的なるものを解体し個人を原点とする観念や制度を作り上げなければ、近代市場はここまで拡大しなかっただろう。集団を原点とした共同体的社会であれば、集団共認によって過剰な物欲にブレーキがかかるからである。
つまり、大航海時代の幕開けによって私益収束したカトリック教会と金貸しが、さらなる市場拡大のために、農村に残存する共同体的風習を破壊しようとして仕掛けたのが、前期魔女狩りであろう。実際、魔女狩りが激しかった地域の一つが、古い異教的(共同体的)伝統が残る山岳地帯や森林地帯であったこともその傍証である。
『るいネット』「原始人類集団のリーダーは、精霊信仰⇒祭祀を司る女であった」にあるように、原始時代以来、集団のリーダーになったのは経験智の高い婆さんである。
その名残は西欧の農村にも残存していたはずで、だからこそ金貸しとカトリック教会は、共同体的風習の要である老婆を狙い撃ちしたのだと考えられる。
これが、前期魔女狩りの直接的な理由であるが、その背後には、西欧の男たちの女性恐怖があるのではないか?
【2】西欧の男たちは、女の復讐に怯えていた。
「『魔女誕生』:第三章 『魔女の槌』による、魔女=女性イメージの確立」には注目すべき記述がある。魔女狩りの根拠の一つとして「女性はまじないによって密かにもっと簡単に復讐する方法を探しているからである」とある点である。
これは西欧人の男たちが「女から復讐されるかもしれない」と常に怯え続けていたことを示唆している。
西欧人の出自である略奪集団の婚姻様式は略奪婚であり、西欧の男たちは力の原理で女を調達し支配してきた。ところが、ここに根本的な矛盾がある。力の原理は男の原理であり、女が主導する性原理は全く別の原理であって、力で押さえつけられるものではない。従って当然、女たちの反乱が起こる。具体的には不倫や子供の囲い込みである。例えば、ゲルマン人の神話「神々の黄昏」は、ゲルマン人の女の挑発や子供の囲い込みによる秩序崩壊の危機感を反映している神話である。「西洋人の禁欲主義の源流(ゲルマンの性闘争による秩序崩壊の危機意識とキリスト教の禁欲観念)」
十字軍開始以降、西欧に広まったマリア(聖女)崇拝は、西欧人の女性恐怖の裏返しである。現実の生身の女性を恐れていたからこそ、頭の中で架空観念の聖女マリアを捏造し、その架空観念(現実には存在しない女像=マリア信仰)に基づいて現実の女を否定し、魔女狩りを行ったのである。
まとめると、
【1】略奪集団発の西欧の男たちの女恐怖を土台として、
【2】大航海の始まりで西欧人が(支配エリートも大衆も)強く自我収束し、
【3】そこで金貸しとエリートが市場拡大のために農村に残存する共同体的風習を解体するために魔女狩りを扇動し、共同体的風習のリーダー的存在であった老婆を中心に女たちが犠牲になったのである。

宗教改革が始まると同時に前期魔女狩りが沈静化する。それは宗教改革側(プロテスタント)が攻撃したため、カトリック教会が魔女狩りを手控えたからであるが、その半世紀後の1560~1670年に今度はプロテスタントがより苛烈な魔女狩りを仕掛けることになる。
プロテスタントが何故、魔女狩りを仕掛けたのか?(続く)

List    投稿者 staff | 2012-08-14 | Posted in 13.認識論・科学論No Comments » 

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