2013年12月11日

新概念を学ぶ23~生物史から社会の存在構造を学ぶ~

 前回、「新概念を学ぶシリーズ22」では、人類の原基構造を解明し、現代社会の諸問題(諸欠陥)と突き合わせれば、その突破口を見いだすことができうるということを扱いました。
 今回は、人類の根幹部分である集団や社会の最基底部には何が存在しているのか。そして、現代社会においてそれば機能しているのかというところを見ていきたいと思います。
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実現論:序「ト.人類の雌雄分化と人類の弱点」より引用します。

 特に深く自戒すべきは、私権時代の男たちである。私権闘争存在たる男は、少なくとも顕在意識においては私権第一・仕事第一と観念しており、それ故に解脱過程を「必要ではあるが不充分なもの」、あるいは単なる発散過程であって「取るに足りないもの」と見做しがちである。従って、性や女についても同様に「不充分なもの」、あるいは「取るに足りないもの」と見做し続けてきた。現にこれまで、私権時代の男たちは誰一人、性や女の問題を社会構造上の最基底の問題として真っ正面から取り上げ、追求しようとはして来なかった。だが、実は意識下では(=肉体的には)、外圧の低下に即応して、何よりも強く性や女に解脱収束していたのである。にも拘わらず私権時代の男たちは、男支配の社会に安住し、表面上は性や女を軽視し続けてきた。それが、やがてどのような結末をもたらすことになるかを、この時代の男たちは誰一人気付けなかったのである。

 生物史を紐解いていくなかで、雌雄の関係性は大きな意味を持っています。それは、今まで新概念を学ぶシリーズでも扱ったとおりですが、あらためて見てみましょう。
 
 原モグラは、オスもメスも夫々の縄張りを持ってバラバラに暮らしていました。原猿以降は雌雄の関係が大きく変わっています。メスたちが、首雄の周りに集まって同居する様に成ったという点です。つまり、オス同士は集団を形成できなかったけれども、首雄とメスは性的引力を下敷きにして、生殖集団(首雄と数匹の雌とその子供たち)を形成した訳です。
 この生殖集団こそ、サル・人類における集団形成の原基構造です。もちろん、この集団は、首雄が闘いを担う闘争集団でもある訳ですが、重要なのは、この集団が共感機能を発展させた充足共認や更には役割共認(例えば、オスは闘争と庇護、メスは出産と親和という様な)によって統合されている(つまり、雌雄共認によって形成されている)という点でいままでにない、関係性が築かれたのです。
 そうしてメスを庇護する首雄が存在するようになった後、この原猿の首雄が直面した不全は、縄張を持てない弱オスたちが恒常的に縄張を侵犯するというものです。それは性闘争の本能に基づくものであれば、発情期間中だけの闘争で済むし、かつ一度退けた敵は敗従本能が働くが故に、しばらく向かってきません。つまり弱オスだけではなく首雄が陥ったのも、本能を超えた不全だったと考えられます。
 この本能を越えた不全を解消するために、首雄はメスに対して不全解消期待が生じた。それに対して、同じくメスたちは、激化する弱オスたちの縄張侵犯(それは、首雄に対する縄張侵犯だけにとどまらず、飢えを解消するためにメスの縄張にも及んだと思われます)という同じく本能にない課題(不全)に直面したが故に、メス同士の性闘争を解消し、首雄と同居の道を選んだ、と考えられます。
 ようするに、本能を超えた不全は首雄にも雌にも存在していた。だからこそ、本能的な性的引力を超えたより強い雌雄解脱共認が必要であったのである。これは後の、真猿以降、人類に至るまで変わらない不変構造であるが、私権時代を扱うときに、人類の社会構造を最基底で規定しているのは雌雄関係=婚姻様式であることをあつかってゆきたいと思います。
 社会の存在構造を考える上で、どんな学者であれ、今までは「性や男女関係」というものを対象にしてこなかった。しかし、生物史を紐解く中で、集団の最基底部には雌雄共認があるということが明らかになり、改めて社会の存在構造を見直すきっかけを得る事になったのです。
 私権時代ではその名の通り、権力やお金を得ることでよい女を得る事ができるという社会構造にあり、雌雄解脱共認を満たし合う関係ではなく、経済力や権力に支えられた雌雄関係であるとも言えます。社会の存在構造の最基底部にある雌雄解脱共認を軽視した私権時代そこが、人類の過ちの原点といえるでしょう。
今後、時代毎の雌雄解脱共認の形を紐解いてゆきたいと思いますが、その適応様式は現代に至るまで一貫しており、全く変わっておらず、社会問題の突破口を考える上で必要不可欠な認識なのです。

List    投稿者 pandaman | 2013-12-11 | Posted in 13.認識論・科学論No Comments » 

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