2012年10月18日

ルネサンスの科学(魔術)9 ~資力支配という統合様式が工業生産⇒科学技術を必要とした

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 前回は「ルネサンスの科学(魔術)8 ~人間(金貸し)が支配する現実世界と神(教会)が支配する信仰世界を線引きした、1500年代ルネサンスの自然魔術~」でキリスト教と自然魔術との関係、キリスト教の二重真理説について紹介しました。
 今回は、山本義隆著「磁力と重力の発見 2」より要約紹介しながら、その後の自然魔術と数学との関係、当時の社会統合様式と生産様式・観念様式との関係を明確にしていきたいと思います。

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山本義隆著「磁力と重力の発見 2」より要約紹介します。

4 ジョン・ディーと魔術の数学化・技術化
John_Dee_Ashmolean.jpg 数学的推論の方法も、魔術とまったく無関係であったわけではないし、ましてや魔術に敵対していたものでもない。
 ディーによると、世界は神が無から創り出したものであり、その創造の局面では自然法則はあてはまらないが、その後は、神による世界の消滅までは、世界は法則の支配に服している。そしてこの法則は、なるほど占星術的因果性を表すものであるにしても、それは厳密な数学の論理に貫かれ、数学でもって理解できるはずのものである。
 したがってディーには、個々の天体からの光の強度が天体からの距離や天体の大きさから計算しうるのとまったく同様に、天体がそれぞれの時刻に地上の人間や物体に及ぼす影響も、その強度を定量的に計算しうるばかりか、光学の技術と同様にレンズや反射鏡等を使用することにより人為的に方向づけ集束させ増幅させることさえ可能と見られたのである。そしてこの理解がディーの自然魔術を性格づけていた。
 その後、ディーは一方では新プラトン主義、そしてまたとりわけアグリッパの影響で数秘術に接近してゆくことになるが、他方では、その魔術思想はより実践的で技術的な側面が強調されるようになる。それを私たちは先に見た1570年の英訳『ユークリッド原論』に付された彼の「数学的序文」に見て取ることができる。
 ここでは最初にディーは、世界が数学的に形成され、したがって数学によってのみ世界を知ることができるという、新プラトン主義的ないしピエタゴラスの数秘術的な思想を展開する。
 学問の目的として「神の栄光」だけではなく、イギリスにおける「国益の増進」と個人の「地上での栄達」を謳っていることに注意していただきたい。このことは新しく形成されてきた国民国家において、おのれの栄達と利害を国力の増進と国家の繁栄に重ね合わせて見る市民層が台頭しはじめていたことを示しているが、その新興市民層のための学問としてディーの科学は語られたのである。
 つまるところディーの科学思想は、数学的で機械的な技術にたいする絶対的な信頼に支えられており、そのかぎりで、まず第一に数学的であり、第二に技術的通用を前提とし、第三に経験的に検証されなければならないという、近代科学の特徴的なありようを指し示すものであった。
 ディーは科学の進歩のためには数学を究めることが基本的に重要であることを理解しそれを強調しているのにたいして、誰もが承知しているように、ベーコンは数学を過小に評価している。このことはベーコンの方法が科学上の重要な成果を産まなかった理由である」というイエイツの指摘は、ディーのこの「数学的序文」が17世紀にイギリスの科学に及ぼした重要性を的確に表現していると言ってよい。
 数学的推論の方法は、魔術思想に対立するものでは必ずしもなかったと言わなければならない。

 ディーの科学の目的は明確に「国益と私益の獲得」と謳われています。
航海技術の発達によって、略奪と市場拡大が可能性が開かれため、禁欲主義であるキリスト教の力は衰退し(邪魔になり)、魔術・数学・科学を身につけた人間が神に替わって主役となり、商人(金貸し)と国家が力を付けていきます。

5 カルダーノの魔術と電磁気学研究
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 こうしてルネサンスの魔術思想は、16世紀後半になって「自然科学の前近代的形態」とも言うべきものへと大きく変貌を遂げることになる。それは一言で言うならば、文献魔術から実験魔術への転換として特徴づけられるであろう。
 その16世紀後半のこの意味での新しい魔術思想を代表するのは、イタリアのジェロラモ・カルダーノとデッラ・ポルタである。彼らの魔術思想のそれ以前のものとの顕著な相違は、第一に古代の文書にたいする無条件の賛美や無批判な是認の姿勢が消滅していることであり、第二にその結果として経験と実験的観測がより重視されていることであり、そして第三に技術的応用に照準が合わされていることにある。
 しかし、カルダーノは、占星術はもとより夢占いや守護霊といったものをも信じていたのである。経験や観測がそれだけで近代科学に直結するわけではない。諸経験を統合し分節化する視点がなんであるのかによって、個々の経験や観測の意味は大きく異なるのである。しかし「カルダーノは魔術的現象にたいして可能なかぎり自然的説明を与えようとした。彼がもっとも関心を持ったのは自然魔術であり、その大部分を彼は共感と反感の用語で説明する」と言われているように、魔術の理解においてはカルダーノはポンポナッツィに近い立場にいたと言える。
 そしてそれと同時にカルダーノは、『自伝』において「特に次の点だけに言及しておこう。私は自然界の事物をめぐってなされてきた観想をどのように技術や仕事に応用すればよいかを教えた。そんな試みは、私をおいてそれまで誰もしたことがなかった」と公言し、このことをおのれの最大の功績と自認している。カルダーノにあっては自然学の理論は、その技術的応用ゆえに重視され、積極的に称揚されているのである。「実用性」こそは時代の要請であり、そこに時代の「自然魔術」が近代科学に変貌し成長していく芽を宿していたことが見て取れるであろう。
 カルダーノにとっては、琥珀の示す静電気力や磁力の研究は端的に自然魔術の問題であった。それを彼は1551年に、カルダーノの自然魔術の書とも言うべき『微細なものについて』において展開しているので、それを見てゆくことにしよう。
 静電気力の要因はいまもって摩擦それ自体ではなく、摩擦にともなう熱に帰せられている。しかし、第一に、類似のものは引き合うという発想がもはや払拭されていること、第二に、近接作用論が貫かれていることは、十分注目に値する。引力は琥珀から放出された「油性ないし粘着性の湿気」が引かれる物体に吸収されることによって生じているのである。力の伝播のメカニズムとしては、プラトンとプルタルコス以来見失われていた機械論的説明の千数百年後のリバイバルであり、その意味で電気力についての近代機械論の説明の先駆であった。
 そして、このカルダーノの静電気力の近接作用モデルと、その磁力との違いについての観察はそっくりギルバートに継承されてゆく。とくに琥珀の力は遮蔽されるが磁力は遮蔽されないこと、そして磁力と異なり琥珀の力は一方的であるというこのやや特異な指摘は、そのままギルバートに受け継がれ、ギルバートによる磁力と静電気力の原理的な区別の根拠に据えられることになる。

科学の実用性が重視され、静電気や磁力に対する説明として千数百年ぶりに、「機械論的説明」が復活します。
 これまでは、理論や認識は崇高なるものとして重視され、実用的な技術や職人は一段低いものとして軽視されてきました。
 しかし、市場の拡大・国益・私益の獲得の可能性が開かれると、実用的な技術が重視されるようになり、別々のものであった自然認識と技術が合流し、それが近代科学技術として求められるようになっていきます。

6 ジョルダノ・ブルーノにおける電磁力の理解
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 カルダーノにおいては、なるほど琥珀は自然魔術の研究対象とされてはいるものの、現実には琥珀の示す力(琥珀現象)は「湿気」を介した近接作用として説明されている。すなわち、力にたいして還元主義の立場が貫かれているのであり、これは著しいことと言わなければならない。
 というのもそれは機械論に通じる道であり、ひいては自然魔術の理論的土台を掘り崩してゆくことを意味しているからである。実際、自然魔術は自然界の諸力を、それにたいしては経験ないし実験によってその効果を見積ることのみ許される「共感と反感」ないし「隠れた力」として、つまりそれ以上説明の不可能な自然の事実として受け入れることにおいて成り立っていたのである。
 そしてこのカルダーノの方向性は、カルダーノ以上に熱心に魔術を信じ語っていたジョルダノ・ブルーノによって、より明白に示されることになる。
 彼の主著『無限・宇宙と諸世界について』は、コペルニクス地動説にたいする支持を表明しているだけではなく、コペルニクスを越えて宇宙が無限であり世界は複数あるという新しい宇宙論を主張したものであるが、『原因・原理・一者について』とともに1584年にロンドンで執筆された。ちなみに、彼が異端として告発された罪状のひとつは、この宇宙の無限性と世界の複数性の主張であった。
 ブルーノは、自然魔術以外にも、言葉や歌詞や数や図像やシンボルをもちいる各種の魔術を列記し、数学的魔術等をも論じている。ブルーノは自然魔術以外の魔術も信じていたようである。
 しかしそれまでの自然魔術論者との決定的な違いは、ブルーノが力にたいする還元主義の立場を採り、磁力を原子論と近接作用によって説明しようとしていることにある。
 古代原子論の影響は顕著である。そしてこの後には「この引力がそのような物体からのそのような部分〔原子〕の流出によって引き起されるという事実は、また、磁石や琥珀が擦られたときには鉄や麦藁をより強く引き寄せることにも示されている。というのも〔摩擦による〕熱は物体の通孔をより広げ、物体をより希薄にするので、より多くの部分〔原子〕を流出させるからである」と続いている。
 このかぎりでこれは力についてのきわめて機械論的な表象である。静電気力と磁力の現象的相違というカルダーノにあった観察は見られないにしても、しかし少なくとも磁力や静電気力は明白に被説明事項として捉えられているのであり、それは、それまでの「隠れた作用」や「共感と反感」と言って済ましていた自然魔術と立場を大きく異にするものである。力の理解においてカルダーノがプラトンとプルタルコスの近接作用論を復活させたとすれば、ブルーノは見失われていた古代原子論の思想を蘇らせたと言えるであろう。
しかしいずれにせよ、ブルーノにおいては思弁が先行していたのであり、カルダーノに見られた観察や実験の重視、あるいは魔術の技術的適用という方向性は見られない。

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 1400年代に新プラトン主義やヘルメス主義の影響を受けてフィレンツェ・プラトン主義の思想家たちが魔術を復活させたときには、魔術には「ダイモン魔術」と「自然魔術」が考えられていた。
 そのさいフィチーノたちがダイモン魔術を論じることを躊躇したのは宗教上の理由であり、その存在そのものは信じていた。しかしロジャー・ベーコンやアリストテレスの影響を受けた1500年代の思想家たちは、ダイモン魔術にたいして、哲学的な観点からその存在そのものを否定することになる。
彼らは悪魔や天使の恣意により魔術や奇蹟が生じるという超自然的な理解を拒否したのである。
 こうして1500年代には、隠れた力を経験から学びとり、その力を操作する術としての自然魔術が「自然科学の前近代的形態」として語られるようになっていった。それは、言うならば魔術の世俗化であり技術化である。つまり自然魔術は、一方ではジョン・ディーの場合のように数学的で技術的な性格を帯びるとともに、他方ではそこから経験的観察と実験的方法が産み出されていったのである。
 そして磁力と静電気力は、とりわけ魔術思想の根拠にある「隠れた力」の典型と見られていたがゆえに、経験的で実験的な自然魔術の格好のテーマであった。
 いずれにせよ数学的推論も実験的方法も、それ自体としては魔術に対立するものではなかったのである。いやそれどころか、ソーンダイクの言うように「実験科学は魔術の外観ないし魔術の支配のもとにおこなわれていた」。
 そしてまた、カルダーノやブルーノのように魔術思想の内に機械論や原子論の還元主義が密輸入されることによって、力にたいする合理的説明の要求もが生じてくることになった。つまるところ、ロッシの言うように「近代初頭のヨーロッパにおいては、科学と魔術はたやすく解きほどきえないまでに絡み合っていた」のである。
 このようにして、一方では船乗りや職人や軍人たちによって観測の対象とされてきた磁力は、他方では魔術師たちの研究対象とされ、かくして磁石研究は16世紀後半に実験物理学と合理的推論の水路に流れ込もうとしていたのである。

 市場拡大の可能性や金の力(資力)が高まり、キリスト教支配力が弱まってくると、科学や自然に対する考え方も「悪魔や天使の恣意により魔術や奇蹟が生じるという超自然的な理解」を拒否するようになり、替わって数学・自然魔術⇒機械論・要素還元主義が主役となってきます。
 近代初頭のヨーロッパ各国を取り巻く、統合(支配)様式が武力から資力へ徐々に移り変わると、生産様式も農業生産から工業生産に転換していきます。
 工業生産に求められる効率化や合理性は科学技術においても同様に求められ、工業生産において機械化・分業化が進められると、科学技術においても機械論・要素還元主義が主流となると考えられます。
 また、魔術もダイモン魔術から、より実用性の高い自然魔術に移行するのは前回「ルネサンスの科学(魔術)8」で示した通りです。
 以上、統合様式(支配様式)と生産様式、観念様式(科学思想)との関係は以下の図ようになっていると考えられます。
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このように、資力支配から市場拡大(国益・私益の確保)の可能性が開かれると、ヨーロッパ諸国は一気に生産様式を工業を発展させ、そのために必要な科学技術を発展させ、より合理性・実用性の高い観念(科学理論or自然魔術)を求めるようになるのです。
 次回は、自然魔術の内容をデッラ・ポルタを中心に追求・紹介したいと思います。
ダイモン魔術・自然魔術については、前回「ルネサンスの科学(魔術)8 」参照。
資力支配は以下を参照。
資力支配とは、金貸しがお金の力で政治家・官僚・学者・マスコミを支配し、彼ら私権エリートが法制度やマスコミによって大衆を共認支配(洗脳)する統合様式である。
金貸しにとっては資力支配という統合様式を維持・拡大することが自らの生存様式であり、そのためには市場を拡大させることが絶対課題となる。
つまり、資力支配のために⇒市場拡大が必要となり、この統合様式が工業生産⇒科学技術を必要とし生み出したのであって、工業生産が資力支配を生み出した訳ではないのである。
このように、武力支配も資力支配も私権時代は、統合様式(支配様式)が、それに最適の生産様式(農業生産・工業生産)を繁殖し拡大させた時代である。

List    投稿者 ginyu | 2012-10-18 | Posted in 13.認識論・科学論1 Comment » 

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コメント1件

 bbgkwdvcl | 2014.03.26 10:20

日本を守るのに右も左もない | 自給期待と日本の近未来15 ~追求力の時代、金貸し支配も崩壊する~
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