2011年10月14日

近代科学の成立過程1~山本義隆氏の追求を踏まえて、近代思想との関係構造を解明する

「原発問題から見える特権階級・近代科学の問題性11 ~近代科学に対する誤った認識~」
「同12 ~”学び”を忘れた学者達~」
「同13 ~近代科学の源流はキリスト教(=現実否定)にある~」
で、原発危機を引き起こした近代科学の問題性を総括してきました。
さらに山本義隆氏の著『福島の原発事故をめぐって-いくつか学び考えたこと』(みすず書房刊)
を元に、「近代科学の史的総括1」「近代科学の史的総括2」において、
①市場拡大とともに自我肥大し、自然を支配(破壊)してきたのが近代科学であること、
②金貸し主導の戦争→国家プロジェクトの手先となった科学者たちはアホ化していったこと
を明らかにしました。
しかし、尚、科学史には解明すべき課題が残っています。
「近代思想と近代科学の成立過程における関係はどうなっているのか?」という問題です。
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「9/18なんでや劇場4 近代思想の成立過程⇒恋愛観念(幻想)の蔓延」では、次のような内容が提起されました。

「近代社会(=市場社会)は、民主主義や市場主義に代表される近代思想に導かれて発展してきた」というのはどういうことか?
まず近代思想の登場過程からみてゆく。
ルネサンス初期には恋愛観念が蔓延っていった。性的自我の開放である。(最も有名なのがルネサンス後期のシェークスピアの恋愛小説)。次に、その根拠をギリシアに求める復古主義が登場した。
さらにルネサンス中後期には、個人主義民主主義、さらには自然主義が登場し、その先に、デカルトらの17世紀哲学者が登場する。この時代の哲学者は同時に科学者でもあり、科学論の系譜と重なってくる。つまり、ルネサンスの恋愛(性的自我)と、その後の科学思想との合流点にデカルトらの哲学があり、その後にアダム・スミスらの経済学が登場する。産業革命はその後である。この間100~200年のタイムラグがあり、これだけ見ると近代思想が市場拡大を先導したように見える。
ところが、産業革命以降に市場拡大が加速したのは事実だが、それ以前のヨーロッパの市場が停滞していたわけではない。中世~近世~近代にかけて着実に拡大している。
だとすれば、市場の拡大を先導する思想が先行したのか? それとも市場が拡大したのでそれを正当化する思想が登場したのか?という疑問が生じる。
王侯貴族たちの性規範のゆるみor綻びを見て取ったルネサンス期の思想家たちは、それを正当化する恋愛観念(幻想)を作り上げ、その土台の上に民主主義や個人主義、自然主義が塗り重ねられ、それに導かれて市場拡大していった。このように大きく見れば、現実の変化→それを正当化する観念→それに導かれて現実が進んでゆくという螺旋的な関係にある。

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左からコペルニクス像、ガリレオ肖像、ケプラー肖像、ニュートン肖像
画像はこちらこちらこちらこちらからお借りしました。

このように、性欲・物欲⇒私権拡大を正当化したルネサンス思想と科学思想との合流点にデカルトらの哲学があるわけですが、その過程はどうであったのか?
これが、科学史に関する次の追求テーマです。
また、近代社会を導いてきたのは近代思想に加えて近代科学であることは疑いを入れません。
つまり、近代社会を導いてきた両輪とも云える近代思想と近代科学の関係構造を解明するというテーマです。
『福島の原発事故をめぐって-いくつか学び考えたこと』(みすず書房刊)の著者である山本義隆氏は東大在学中は物理学者としての将来を嘱望されていましたが、同時に東大全共闘議長として全共闘運動を指導していたため警察に逮捕され、大学を去った後に駿台予備校の講師を勤めながら、物理学・科学史を研究されていた方です。当時の学生の中で本当にモノを考えていたのは0.数%しかいませんが、その中の一人です。
’60年代の理系学生が共通して抱いていたのが「科学の社会的責任」という問題意識ですが、山本氏は現在に至るまでその問題意識を持ち続けていたようです。実際、『磁力と重力の発見』『一六世紀文化革命』といった科学史の本を著していますが、その問題意識は福島原発危機に対する科学者の責任と完全に重なります。そして原発危機を契機に山本氏が著したのが『福島の原発事故をめぐって~いくつか学び考えたこと』です。
それは山本氏がこれまで追求してきた科学史のダイジェストであり、その内容を掘り下げて調べることで、近代科学と近代思想の関係構造がより鮮明に見えてくると思います。
そのために、山本義隆氏の著『一六世紀文化革命』『磁力と重力の発見』に学び、近代科学の成立過程、その歴史的事実を明らかにすることから始めます。まずは『十六世紀文化革命』(みすず書房 2007年4月刊行)の「あとがき」から、その問題意識を紹介させていただきます。
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ゲルマン民族の大移動とローマ帝国の崩壊により西ヨーロッパでは見失われた古代ギリシャの哲学や科学を継承し保存したのは、ビザンチン社会とイスラム社会であった。中世技術史の研究者リン・ホワイト・ジュニアの言うように「ざっと紀元750年から1150年まで、イスラムは科学活動で先頭をきっていた」(『機械と神』)のである。実際、イスラムは9世紀以降、ギリシャの哲学や医学だけではなくインドの数学や天文学をもアラビア語に訳し、みずからのものとしていた。そしてイスラム社会はまた、技術においても急成長をとげていった。
しかし、西欧はやがてイスラム社会に追いついてゆく。
14世紀頃には、ヨーロッパがイスラム社会にたいして技術的に優位に立つに至った。とりわけその頃に始まる水力駆動の鞴(ふいご)を備えた高炉の建設と鋳鉄の生産の開始は、16世紀以降のヨーロッパの技術的な、したがって経済的かつ軍事的な優位をもたらす原動力となった。
学問的な面では、崩壊したローマ帝国から古代の文芸をほとんど継承しなかった中世西ヨーロッパは、当初イスラムのものに完全に遅れをとっていた。そもそも中世前期のラテン・ヨーロッパにはわれわれが「科学」と呼びうるようなものは存在しなかった。しかし12世紀以降、内部対立で疲弊したイスラム社会が学問への関心を衰えさせていったのにたいして、西ヨーロッパでは「12世紀ルネサンス」というイスラムとビザンチン社会からの翻訳運動が始まり、古代の学問的伝統が復活する。自然についての学問という広い意味での自然科学が西ヨーロッパに生まれたのも、このとき以降である。
こうして、中世も後期になるとヨーロッパは学問的にも技術的にもイスラムを追い越していったと言える。しかし中世ヨーロッパにおける学問と技術の決定的な問題点は、大学で学ばれ教授されていた学問と工房で営まれ伝承されていた技術が、たがいにまったく没交渉であったことにある。
大学の学問-スコラ学の「自由学芸」-は古代の文献に依拠した思弁的学問であり、他方、職人たちの技術-「機械的技芸」-は科学的な裏づけのともなわない経験にもとづいていた。そして、技術が先行していたにもかかわらず、学問は手仕事を蔑んでいた。

17世紀の新科学は、そのような学問を大きく転換させることで形成された。その変化は、職人・技術者のサイドからの働きかけによって促されたものであった。16世紀の段階では、むしろ職人としての芸術家や技術者にそのヘゲモニーがあった。この変化をもたらしたものとして「16世紀文化革命」があった。
彼らは自分たちの技術の秘密を文書化して公開し、それまで蔑まれてきた手仕事・機械的技芸の価値を明らかにしただけではない。そこで逢着した諸問題にたいして合理的な考察を加え、そのことによって、実験的観察と定量的測定こそが自然研究の基本的方法であるべきことを主張し、それまでの文書偏重の思弁的な学問にかわる経験重視の科学の重要性と有効性を明らかにしていったのである。
かくして、論証にもとづく定性的な自然学から測定にもとづく定量的な物理学へといたる道が拓かれ、この16世紀文化革命が学問世界にもたらした地殻変動のうえに17世紀科学革命はなしとげられた。
17世紀科学革命は、大学で高等教育を受け、中世スコラ学によって培われてきた厳密な論証の技術を身につけた知識人が、この職人・技術者の提起を受け止め、新科学形成のヘゲモニーを自分たちの手に取り戻すことによって達成された。
かくして高等教育を受け論証技術にも長けていたガリレオやフックやホイヘンスをはじめとする新科学の推進者たちは、自分の手を使って観測装置を作成し、みずから測定や実験に取り組んだ。
しかしそれは同時に、自然にたいする畏れを抱き人間の技術は自然に及ばないと考えていた16世紀までの職人たちの自然観から、科学と技術で自然を支配しうると考えた17世紀の科学者の自然観への転換をともなっていたのである。その背後には、新しい自然科学は自然を観想的に理解するだけのものではなく、人間が自然を支配し自然力を使役するためのものでなければならないという、フランシス・ベーコンがアジったイデオロギーがあった。
こうして科学に裏付けられた技術という意味での「科学技術」という思想がやがて生み出されてゆく。16・17世紀には科学は先行していた技術から学んだのであるが、18世紀以降は、逆に、科学が技術を基礎づけるだけでなく、科学は技術を先導するようになる。しかもその技術は、まずもって自然を人間に従わせ、自然を人間に役立てる、つまりは自然を収奪することを目的としたものであった。

実際に「科学技術」というものが工業として実践されはじめるのは、近代化学や熱力学が生み出された18世紀後期以降になる。工科系の大学や大学の工学部が作られるようになったのは、19世紀になってからである、それ以降、技術と積極的な結合をはかることによって、科学は高度工業化社会形成の推進力となり、人間社会に大きなものをもたらした。しかしそのことは、ある基本的な矛盾を内に有していた。
もともと近代自然科学とりわけ物理学や化学は法則の確立を目的としていたが、しかしその法則というものは、直接的な応用とは無関係な天文学をのぞいては、まわりの世界から切り離され純化された小世界、すなわち環境との相互作用を極小にするように制御された自然の小部分のみに着目し、そのなかで人為的・強制的に創出された現象によってはじめて認められるものである。
自然科学はそのような法則の体系として存在し、実際にはかなり限られた問題にたいしてのみ答えてきたのであるが、そのような科学にもとづく技術が、生産の大規模化にむけて野放図に拡大されれば、実験室規模では無視することの許された効果や予測されなかった事態が顕在するのは避けられない。そしてそのような効果や事態は往々にしてネガティブな効果をもたらすことになる。
そもそもが、近代西欧の科学技術が自然の支配と地球の収奪を目的としたものであるかぎり、自然破壊や生態系の混乱を生み出すのはほぼ必然であろう。そのネガティブな遺産は20世紀後半になって一斉にプロテクトの声をあげはじめている。
ところで、大規模化された科学技術がそのもつ力と要するコストゆえに強力な国家や有力な社会集団の権力と結びつくのは、ほとんど不可避である。従って問題は、一般に科学技術に正と負の両面があるということではなく、プラスの側面の恩恵を受けるのはがいして地球上の一部の地域の限られた人たち-端的に豊かな国の人たち-であるのにひきかえ、マイナスの側面は、平等にというか、むしろ貧しい階層そして貧しい国の人たちにより多く負わされてきたということにあるだろう。

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「福島原発3号機の水素爆発」
画像はこちらからお借りしました。

その「科学技術」すなわち「科学が基礎づけ科学が先導する技術」の極北に核エネルギーの問題がある。
それまでのすべての兵器が技術者や軍人により経験主義的に形成されていったのと異なり、核爆弾はその可能性も作動原理も百パーセント物理学者の頭脳のみから理論的に生み出されたものである。原子炉もそのバイプロダクトである。その意味では、ここにはじめて完全に科学が主導した技術なるものが生まれたのである。
もちろん、改良を加えられ現在のミサイル技術と結合した核爆弾のもつ、人間の身体と社会そして自然にたいする破壊力の危険性は言うまでもない。原子炉について言うならば、ひとたび事故が起これば恐るべき影響を与えることは、すでにチェルノブイリで実証済みである。
それだけではない。原子炉はたとえ無事故で稼動し終えたとしても、放射線に汚染された廃炉となり、大量のプルトニウムを含めて運転期間中に蓄積された放射性廃棄物とともに、人間の時間感覚からすれば半永久的に隔離されなければならなくなる。
20世紀と21世紀の人類-というより一部の「先進国」-は、あちこちに廃炉と放射性廃棄物の貯蔵所を遺し、何百年も後の人たちがそれらの維持と漏れ出る放射線の対策に追われるという図はおぞましい。
放射性原子核の半減期を短縮させるような技術が見い出せるとはとても考えにくいが、百歩ゆずって将来的にそのような解決策が見出せると仮定しても、それとてコストとエネルギーを要することである。
とすれば、いずれにせよ、現代人が受益したエネルギー使用の後始末を何世代も後の子孫に押し付けることになり、それは子孫にたいする背信であろう。

問題の根っこをたどれば、16世紀までの職人たちがもっていた自然にたいする畏怖の念を17世紀のエリート科学者が捨て去り、人間の技術が自然と対等、ないし自然を上回ると過信したところにあるのではないだろうか。
さしあたっての抜本的な解決策は見当たらないが、17世紀科学革命が生み出した「科学技術」の無制限な成長を見直すべき時代にきていることは確かである。解決はやはり「科学」にしか求められないにせよ、そのときには「科学」自体が変化していなければならないであろう。それがどういうものはいまだ不明確であるが、科学と技術に再検討を迫るいま一度の文化革命が求められているように思われる。

これは科学技術のパラダイム転換と言い換えることもできます。
近代社会を観念・制度的側面から導いてきた近代思想は性欲・物欲⇒私権拡大を正当化したものであり、同じく近代社会の物的生産という側面からリードしてきた近代科学も性欲・物欲⇒私権拡大を原動力として地球から収奪してきたことは明らかです。
従って、科学技術のパラダイム転換とは、私権原理に導かれた科学から共認原理に基づく科学への転換を意味するのではないでしょうか。
そのためにも、まずは近代科学の成立過程を学んだ上で、私権原理のもう一つの産物である近代思想との関係構造を明らかにしてゆきます。
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List    投稿者 staff | 2011-10-14 | Posted in 13.認識論・科学論1 Comment » 

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コメント1件

 australia hermes | 2014.02.02 7:22

hermes abholung 日本を守るのに右も左もない | 人類社会の統合構造(共認原理or自我・私権原理)が自然認識を生み出している

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