「私権」にかわる「贈与」の発想。「所有」から「開きだす」事にこれからの可能性がある
私権社会は、市場を舞台にした「取引関係」や「契約関係」による富の流通と私益の追求によって発展してきました。
市場経済が爛熟した現代に於いては、その対象は土地や物品だけではなく「知識」や「技術」、「人材」にまでおよび、それらを守る為に特許制度や知的財産権といった法的基盤まで整備されています。
まさに、あらゆるものが私権の対象であり、誰かの所有物であるという発想です。
一方、古代の物流の本質は 「贈与」でした。
交換取引や富の追求ではなく、共同体同士の友好と親和の為にその集団が持つ貴重なものを無償で他集団に「贈与」し、その広がりで関係構築を図ってきました。
現在「翡翠」や「黒曜石」がその原産地から遠く離れた場所で見つかるのは、この「贈与」の連続による古代ネットワークが広範囲に亘っていた証拠です。
そしてこの「贈与」の対象は、決して物品だけではなく、「技術」や「構造認識」も含まれていたと思われます。
こうした「技術」や「構造認識」は様々な集団を巡る中で、その切れ味が磨かれて行った事は想像に難くありません。
そしてこの「贈与」の発想は、現在の閉塞した経済や私権社会の構造を打ち破る可能性を秘めているのではないでしょうか。
すなわち技術も認識も、「個」の所有物ではなく「社会」のものであり、開きだす事によって社会の役に立ち得るという発想です。
すでにインターネットの世界では、「私有・私権」という枠を取り外し、ソフトを積極的に開示する事で、多くの人の塗り重ねによる進化を可能にしています。
今や「私有」より「開く=贈与する」事の方が大きな進化の可能性を秘めています。
そしてこれは、社会統合理論の構築・進化もまた然りです。
今までの社会統合理論は学者や思想家といった、それこそ社会から隔絶された人達の私有物でした。主義や思想に人名が冠されるのもその顕れです。
しかしこれからの時代はそれでは適応出来ません。
統合理論もまた社会の物、社会に開いて行くと言う発想の転換が求められています。
そしてその事こそが、閉塞を突破し統合理論を進化させる可能性を持っています。
私権社会が行き詰まった今、私たちは歴史認識に学び、私権社会以前の本源集団が持っていた思考や認識を活かして行く事に、その突破口を見出すことが出来るのではないでしょうか。
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