ドル・米国債は暴落するのか?⇒米国経済の実態構造は?
「ドル・米国債は暴落するのか?」を検証するにあたって、米国経済の実態を構造的に押さえておく必要がある。叩き台として『ヤスの備忘録 歴史と予言のあいだ』09年8月4日の記事「地獄の夏を検証する1」を紹介する。
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米国経済の現状
直近のデータをみると米国経済は最悪期を脱し、次第に回復しつつあるととの印象を受けるかもしれない。GDPは1947年以来、4期連続のマイナスだがマイナス幅は前期比1.0%と縮小しているし、個人消費もマイナス1.2%と、2009年1月~3月度のマイナス6.4%よりも縮小幅ははるかに改善している。さらに住宅着工件数の落ち込み幅も次第に縮小し、最悪期を脱しつつある。
このような比較的に明るいデータから、米国経済はすでに底を打ち、これから回復が始まるというのが主要メディアの一般的な認識になりつつある。ストラトフォーのような愛国的なメディアは、回復過程はすでに始まっており、新たな好景気が始まる兆候だとしている。あとは、米国のGDPの7割を占める個人消費が回復すれば、不況からの回復は本格化するだろうという。
グローバル経済の3つの柱と個人消費
ところで、日本を含め、中国や韓国などのアジア諸国の経済は製造業を中心とした輸出経済である。経済の対外依存度はきわめて高い。
一方、米国経済は、個人消費がGDPの7割を占める典型的な消費経済である。要するに、消費が生産をはるかに上回っている国であるということだ。この米国の旺盛な国内消費のため、アメリカは製造業を中心とした国の最大の輸出市場となり、そうなることで世界経済をけん引してきたというのがグローバリゼーションの枠組みである。この結果、グローバル経済を支える3つの柱が成立した。
1)米国の旺盛な消費需要
2)米国に還流して財政・貿易赤字を補填するドル建て投資の流れ
3)還流してきたドル建て投資を新興国へと再投資する流れ
つまり、米国は旺盛な個人消費が支える巨大な国内市場を海外に開放するが、輸出国は自国通貨の高騰を恐れ、輸出から得たドルを自国通貨に換えることができない。そのため、各国はドルをそのままドル建て投資として米国に還流してやるほかなくなる。その一部は、米国の巨額な財政赤字と貿易赤字を補填すると同時に、一部は投資銀行などの手によって新興国へと再投資される。この再投資は新興国の発展をさらに刺激し、米国向け輸出を拡大させる。
このような3つの循環によって支えられていたのがこれまでのグローバル経済であった。一見して分かる通り、このグローバル経済のモデルが作動するための最大の条件は、米国の旺盛な消費と巨大な国内需要の存在である。これが循環の始まりであり、起点である。
そして、この消費需要を作り出していたのが、ローンの証券化などによってリスクも見えなくさせ、無限に金を創造する錬金術としての金融テクノロジーだったのだ。この金融危機でこのシステムは大きな変更を迫られ、かつての姿はもはやない。金融テクノロジーに依存して消費需要を形成するシステムはもはや過去のものとなったのである。
製造業による需要とその限界
オバマ政権は、今年度72兆円に上る景気刺激策を立ち上げた。その重要な柱の一つが環境関連産業などの新しい産業分野の立ち上げたである。かつての金融テクノロジーに代り、いわば製造業を経済の柱に据えようとする政策である。しかし、このブログでも何度も書いたが、製造業が生み出す需要が金融テクノロジーの作り出す消費需要を置き換えるとは思えない。
製造業の作り出す需要とは、次のようなものだ。まず新しい産業分野に巨額の設備投資が行われる。設備投資はさまざまな生産財の需要を生むので、大きな波及効果をもち、他の産業の景気をけん引する。すると、労働力に対する需要が増大するので賃金が上昇する。その結果、国内の消費需要は伸びるというものだ。以前にも述べたが、これを設備投資循環とよぶ。
つまり、これは製造業のような産業の発展によって得られる消費需要である。それは、金融テクノロジーのような錬金術がバーチャルに作り出す需要の大きさとは基本的に比較にならないということなのだ。言うならば、普通に仕事をもち徐々に伸びて行く所得の範囲で消費することと、無尽蔵にカネを借りまくり、消費しまくるのとの違いである。当然、後者が作り出す需要のほうが巨大であるに決まっている。
いままでのグローバル経済が金融テクノロジーの作り出す巨大な消費需要に依存して循環していたとするなら、オバマ政権がいくら新しい産業分野を立ち上げたとしても、これに置き換わることなどできるものではない。
現在、アメリカなどの主要メディアのエコノミストの意見では、金融危機で個人消費は大きく落ち込んだものの、予断は許さないが、時間がたてば確実に回復するので問題ないという。米国にとっても世界にとっても、米国の個人消費の回復が不況脱出のカギになることは間違いない。
だが、設備投資循環の需要が金融テクノロジーの需要を置き換えることはどだい不可能なので、主流のエコノミストがいうように、個人消費は時間がたつと回復するというようなものでは決してない。もはやかつてのシステムはほころびてしまっており、古いシステムへとは戻ることなどできないのだ。
ドル建て投資の変化と財政・貿易赤字の補填
金融テクノロジーが創出したバーチャルな需要が消失すると、これまでドル建てで還流し、米国の財政・貿易赤字を補填してきた各国の投資の流れも大きく変化することとなる。各国から投資として還流してきたドルも、もとはといえばそのかなりの部分は米国が輸入代金として各国に支払ったドルである。大本の米国の消費需要とそれを創出する構造がほころびてしまったのである。米国に還流するドル建て投資の額もかなり縮小せざるを得ない。
周知のように、米国は巨額の貿易・財政赤字を抱えている。金融危機以降の巨額の金融安定化予算、および経済刺激策により、赤字は天文学的な水準に達していることは改めて説明するまでもないだろう。これまでは赤字がいくら巨額でも、各国から絶えず還流してくるドル建て投資によって補填され、財政破綻やドルの極端な下落は阻止されていた。
だが、最近この状況にも大きな変化が生じてきた。下は貿易赤字と対米証券投資だけのグラフだが、大きな変化が起こっていることが分かる。
まず金融危機が起こる前の2006年の数値だが、これを見ると、海外からの対米証券投資によって貿易赤字がほぼ毎月完全に補填されているのが分かる。しかし、2009年では海外からの対米証券投資は大きく縮小しとり、もはや貿易赤字は補填されなくなったことを示している。
確かにこの数値は、海外からの多々ある投資の形態の一つの米国証券の投資だけを表しているにすぎない。また、補填の対象になっているのは貿易赤字だけで、財政赤字は省かれている。しかし、これとほぼ同じことが米国債を始め、すべての投資分野で起こっていると考えて差し支えないだろう。ということは、米国の天文学的な貿易・財政赤字はもはや補填されてはいないということなのだ。
米国経済の実態
こうしたことから実際の米国経済の実態が見えてきそうである。すなわち、特に環境関連産業などへの巨額に経済刺激策によってさらなる悪化をなんとか阻止しつつ、貿易・財政赤字の補填の不可能性の露呈からいつドルが大きく下落してもおかしくないリスクをかかえながら、なんとなく小康状態を保っているというのがいまの米国経済の実態なのではないだろうか?
このような実情を見て、もはや米国と世界経済はかつてのグローバル経済のモデルに戻ることは実質的に不可能であることを認識する論説も多くなっている、最近保守的な経済紙、エコノミストに掲載された「消費をやめて(Dropping the Shopping)」や、金投資の大手「ギルドインヴェストメントマネージメント」が掲載した経済記事などはその典型だろう。特に後者の論説は、現場の投資家に米国主導の経済システムが終わったことをはっきりと認識すべきだと切々と説いている。
’70年頃先進国では、貧困の消滅によって私権への収束力(私利私欲)が衰弱し始めた。人々はこれ以上の物的充足を得る為に、あくせく働こうとはしなくなり、物的欠乏が飽和限界に達したことによって、市場は拡大を停止し縮小過程に入った。にも拘らず、この社会を差配する全世界の統合者(政・官・財および学者・マスコミ)たちは、なりふり構わず市場の拡大を続行し、不足する需要を補うべく大量の国債を発行して、日本では800兆円を超える財政赤字を累積させてきた。
その結果、増刷された紙幣がダブつき、経済は必然的にバブル化する。そして全世界がバブル化した。バブル化とは言い換えれば借金経済でもある。市場をバブル化させた原動力は国家の借金であり、金融機関もレバレッジ倍率(資産/自己資本)、つまり借金ふくらませて投機を膨張させてきた。つまり、’70年貧困の消滅以降、市場は見せかけの数字上の成長を維持するためには、借金経済化→バブル化するしかなくなったったのである。
加えてアメリカの場合は、アメリカへの輸出代金がそのままアメリカに流れる資金(米国債・米株・金融商品など)となっていたという構造である。つまり、世界市場はアメリカの借金を駆動力として見せかけの成長を続けてきたとも言える。アメリカ自身が数字上の成長を続けていた時はこの仕組みは成立しえたが、それは既に経済危機によって崩壊した。金融危機によって開いた大穴(これ自体がこれまでの借金のつけである)をアメリカ自身で埋めなければならなくなったということである。従って、長期的にはドル・米国債が下落するのは間違いない。
しかし短期で暴落するか否か?は、これだけでは判断できない。もう一つのファクターを検討する必要がある。世界中の巨大投資家、その二大勢力である欧州貴族たちと金貸し達が、どう判断するのか?彼らのせめぎ合い⇒サバイバル競争がどうなるか?にかかっている。
(本郷猛)
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コメント4件
匿名 | 2010.01.21 21:56
unimaroさん、コメントありがとうございます。
>裁判所への検察や法務省事務次官級からの圧力というものはあり得ないでしょうか。
検察からの圧力というよりか、むしろ検察と裁判官が結託していると思います。
>三権分立というタテマエから、それぞれ独立しているように見えるが、警察も検察も裁判所も、実質的には政府の管理下にある。たとえば警察や検察が、反政府的な行動をとることは、まったくないとは言えないが、あまりない。
(http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=224233)
検察と裁判官の結託や、起訴便宜主義により有罪率99.9%になっていると思います。
こうした構造を変えていくには、国民の圧力=評価圧力が必要ではないでしょうか。
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shoes mtb 日本を守るのに右も左もない | 裁判官はなぜ誤るのか
unimaro | 2010.01.17 23:25
お疲れ様です。
お邪魔いたします。
裁判所への検察や法務省事務次官級からの圧力というものはあり得ないでしょうか。
ことが大きな事件になればなるほど、早く解決させたい、と、犯人を作りだす癖があるようです、警察・検察ともに。
組織的に違いますが、結局その上の上に居るトップが事務次官ですよね。法務大臣は神輿なだけでしょう、多くの場合。
現在の検察のゲシュタポぶりを見ると、昔からそういったことをし放題だったと見ても無理は無いのではないでしょうか。
自民が裁判員制度を取り入れようとしたのは、そういったとこをどうにかしたかった、が、自民というもの自体もその仕組みに組み入れられているのでどうしようもない、だから苦肉の策で一般人に望みを託すかたちしかなかった、と。それを米国からの要求にすれば、検察や法務側も断れない、と。だが、検察側がOB連中を炊きつけ、弁護士側として反対運動を起こした、とか。
自民にも官僚にもまだまともな者は居るような気がします。
それらが、その時点でできることをできる限りやった、と。
民主になった今、その頸木が無いので自由に改善できる、だからこそ検察が民主に政権を取らせないよう頑張った。
自民のまともな者たち側が、やはり検察のゲシュタポぶりに嫌気がさしていたため、民主勝利を消極的に支えた。
それが先の選挙での違和感丸出しの自民の消極ぶりだった、と。
まぁ検察だけではなく、郵貯他いろいろあるのでしょうが。
などと素人愚考をいたしております。
失礼しました。