2020年07月07日

市場論・国家論9.オランダ→イギリス 産業資本の興隆と産業革命

国内では大雨、洪水の報道でいっぱいになっていますが、

コロナ第2波はじめ、次なる奥の院の作戦には十分注意を払っていきましょう。

 

これまでのシリーズ

市場論・国家論4.金貸しの誕生と十字軍の遠征

市場論・国家論5.金貸しから王侯・貴族=金主(奥の院)へ

市場論・国家論6.西欧「契約」社会の精神構造

市場論・国家論7.大航海時代(ポルトガル→スペイン→オラン→イギリス)

市場論・国家論8.宗教改革とイエズス会

に続いて、引き続きるいネットより、奥の院の起源と歴史をお伝えします。

市場論・国家論9.オランダ→イギリス 産業資本の興隆と産業革命

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 実現塾の要約です。

 

◯オランダ→イギリス 産業資本の興隆

・1500年代前半、現ベルギー周辺にはカルヴァン派の商工業者が集っていたが、ハプスブルグ(バチカン)系の王家が彼らを弾圧したため多数のカルヴァン派の商工業者がオランダに集結することになった。

・そこで、地の不利もあり大航海に遅れをとったオランダの大領主ヴェルフ、ヘッセン(共にドイツ騎士団出身)は、彼ら商工業者を基盤にして毛織物業や造船業を育て、北海貿易の中心とする方向に舵を切った。もちろん、彼らも金貸し業と雇い兵業で伸し上がってきた勢力であるが、新たに産業支配に乗り出したことで産業資本の性格を強めてゆく。これは従来からのサボイやデルバンコ等、旧金貸し勢力に代わる新金貸し勢力の登場であった。

 

・この頃、ハプスブルグは欧州(大陸)の統合で手一杯であり、サボイも大航海に手一杯で、後進地のイギリスには大きな関心を寄せていなかった。この両勢力の隙を突いてヴェルフ・ヘッセンは、イギリスに進出し、毛織物業・造船業を中心に産業基盤を固めていった。

・そして、(サボイの支援の下)1568年ハプスブルグに対してオランダ独立戦争を仕掛け、1588年に遂にスペイン無敵艦隊を撃破。以降、イギリスが制海権を握って、インドに進出し1600年東インド会社を設立すると共にアジア諸国を植民地支配してゆく。

・1618年、サボイ主導の対ハプスブルグ30年戦争に加わり、ハプスブルグからオランダの独立を勝ち取る。

 

・その後、ハプスブルグ(フランス)のオランダ侵略戦争を経て、1689年ヴェルフ家がイギリス王室を簒奪(さんだつ)(名誉革命)。更に1690年東インド会社をヴェルフ・ヘッセンが簒奪(さんだつ)。

・それに対して、サボイ→デルバンコは、ヴェルフ・ヘッセンを包摂してイギリスの金融を支配するために1694年イギリス中央銀行を設立。これは、国家から紙幣発行権を剥奪して、民間の中央銀行に与えるという、大革命であった。もちろん、議会の多数派工作において、サボイ・デルバンコの資金(賄賂)が物を言ったのは言うまでもない。

・その間、ヴェルフ・ヘッセンは英仏植民地戦争(1689~1763)を通じて、フランスを押し退け北米とアジアの縄張りを拡大してゆく。

 

◯イギリスで産業革命が実現した理由

・大航海に遅れをとったオランダのヴェルフ・ヘッセンは、既に毛織物や造船の交易を通じて繋がりがあり、かつハプスブルグやサボイの力の及ばない対岸のイギリスに目を付け、イギリスに産業を興すと共に大航海の基地とするべく動き出す。

・当時、イギリスはノルマン(海賊バイキング)系の大領主が支配しており、騎士団も少数しかいなかった。そこでヴェルフ・ヘッセンは、毛織物や造船の産業を興し、彼ら産業家(ジェントリ)と騎士団を基盤にしてノルマン系の大領主を倒すべくバラ戦争を仕掛け(1455~85年)、大領主を駆逐してノルマン王朝の実権を握った。

・そして、下級貴族(産業家ジェントリ)を基盤とする絶対王政の体制を確立すると共に、重商主義政策によって産業の興隆に邁進してゆく。

 

・他方、大航海に打って出るためには、スペイン艦隊から制海権を奪う必要があったが、当時イギリスではノルマン系の海賊がスペインの商船を襲う略奪行為を繰り返しており、王家も海賊による略奪を奨励していた。

・そこで、ヴェルフ・ヘッセンは、この海賊群(=イギリス海軍)による大航海や略奪を、資金面や造船面や兵器面で支援し、1588年遂にスペイン無敵艦隊を打ち破ると共に、海賊群を傘下に置くことに成功する。かくして1600年には早くもインドに進出して東インド会社を設立、以降、次々とアジア諸国を植民地支配していった。

 

・当時も今も、国家を支配し動かしているのは金貸し(奥の院)である。(従って、王家と言えども只のお飾りに過ぎない。まして、民主主義などと言うのは上辺だけの騙しであって、現代も金貸しが国家を支配していることに変わりはない)

そして、欧州の各国を支配している金貸し(奥の院)の中で、殖産興業を戦略の柱としていたのは、ヴェルフ・ヘッセンだけである。

要するに、イギリスだけは、産業立国を掲げる金貸し(ヴェルフ・ヘッセン)が支配していた。従って、多数の産業家(ジェントリ)が存在し、彼らが議会を支配していた。

それが、イギリスで産業革命が真っ先に実現された理由である。(注:産業革命と言っても、当時は紡績機械と蒸気機関だけである)

List    投稿者 nihon | 2020-07-07 | Posted in 06.経済破局の行方No Comments » 

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