2009年03月02日

中国の金融制度~改革開放以前の銀行業務(1)

http://http://www.ier.hit-u.ac.jp/COE/Japanese/workingpapers/WP85/85.html%E4%BA%BA%E6%B0%91%E5%B9%A3.jpg
資本主義国から見ると、中国の金融制度というものは、まだまだ「遅れている」と言われるものではないだろうか。
見方を変えると、その「遅れている」部分が中国の金融制度の根幹であると言える。
現在の中国の金融制度を理解するには、改革開放以前のシステムを押えることが不可欠だと考えられます。

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■中国金融機関の特性
今回は、改革開放以前の中国金融機関銀行が、預金・貸出業務をどんな目的で担っていたかに焦点をあててみます。
1950-1990年代の中国金融
随 清遠
http://http://www.ier.hit-u.ac.jp/COE/Japanese/workingpapers/WP85/85.html
より

○預金業務と決済業務
 銀行預金は、「企業預金」、「財政預金」、「基本建設預金」、「機関団体預金」、「都市貯蓄
預金」、「農村預金」となり、農業信用社の場合、「集団農業預金」、「農家預金」にわけられ
ていた。
そのうち、「財政預金」と「基本建設預金」は財政部門から、企業などに支給された投資資金によって発生したものである。当時の中国では、「特定項目の資金はその当初の計画した以外の目的に使用してはいけない(専款専用)」という考え方があり、これらの項目はそれを反映している。企業、機関・団体(軍隊、学校など)部門の預金は総額の大部分を占めている。
しかし、それは決して企業などの部門の資金運用を反映しているわけではない。企業部門の預金は改革開放以前の大部分の時期に「決済用預金(結算戸存款)」と「特定基金預金(専用基金存款)」という二種類しか存在しなかった。また、すべての企業、機関・団体は厳しい「現金管理」下におかれていた。具体的には、少額取引をのぞいて、現金による決済は禁止されていた。このような現金管理は、少なくとも70 年代の後半まで続いていた。企業等の部門の一時余剰資金は、強制的に銀行に預けさせられたといってよい。
家計部門に対応する預金は「都市貯蓄預金」と「農村預金」の一部そして農業信用社の「農家預金」によって構成されていた。農村信用組合を中国人民銀行の下部組織と見なせば、中国人民銀行は実質上唯一の金融機関であった。人民銀行預金は消費者にとって唯一の金融商品であった。
家計部門の現金保有と預金の増減の合計値はそのまま貯蓄行動に対応しているとみてよい。預金合計額は、通常の市場経済における預金、有価証券保有、保険、信託の総計値に相当する。この点を考慮すると、中国の預金規模が低い水準であったといわざるえない。  
国家銀行「都市貯蓄預金」、「農村預金」および農村信用社の「農家預金」を全額家計部門の預金と見なしても、経済規模に対する相対的なサイズが小さい。しかし、当時の中国では、住宅、医療、年金、教育などは国によって無償に近い形で負担されていたので、市場経済における家計部門の貯蓄行動とは単純に比較できない。
○貸出業務
改革開放以前の時期に、一切の貸付は中国人民銀行に集中され、商業信用(企業間貸借)、掛け売り前金取引、手形の発行などはすべて禁止されていた。その意味で、中国人民銀行は企業等の部門にとって外部資金供給の唯一の存在であった。
他方、社会主義経済として「利潤をすべて上納し、統一にプールしてそして分配を統一的に行う(統収統支)」という制度は80 年代前半まで行われていた。すなわち、企業の資本形成、設備投資などに必要な資金は通常で言う自己資金あるいは外部資金のいずれかによって行われるのではなく、原則として「親会社」である国から財政資金の形で分配されていた。唯一の金融機関として供給された資金は生産企業にとって補足的な意味しか持たなかった。
具体的には、企業の資金需要は設備資金など固定資本形成を目的とした「固定資金」と在庫資金などの「流動資金」にわけられ、「固定資金」の全額と「流動資金」の限度額までは財政資金によって分配され、銀行貸出はもっぱら限度額を超えた「流動資金」需要に限定されていた4。また、1953 年1 月に施行された「新貸付制度」にあげられた貸付項目は、以下のようになっていた。「定額貸付(財政部門の支給額以外の資金需要)」、「季節性貸付」、「決済貸付」、「修理貸付」そして「臨時貸付」。
銀行貸付はあくまで企業の資金需要の補完的な存在にすぎない。
それを反映した形で、改革開放までの銀行貸付に、いわゆる長期貸付はなく、すべての貸付は満期一年未満の短期貸付だけであった。銀行部門の資金は、企業投資、社会の資本形成に全く貢献していなかった。そういう意味でこの時期の金融仲介はまったく機能していなかった。
銀行貸出の大部分はサービス業に該当する「流通・サービス部門」に向けられていた。
また、すべての貸付は担保をとらず、「信用貸付」に基づいて行われた。もちろん、手形の発行が許されていないから、市場流通性の高い手形を割り引く形の貸付もなかった。一般的市場経済の場合、こういう担保も取らずに、市場での流通可能性もまったく配慮しない貸付は、貸付全体のわずかしか占めていない。しかし、改革開放以前の銀行貸付のあり方は、土地などを含むすべての生産設備が国有化された計画経済の必然なる結果であるといえよう。同時に、この点は、市場経済への移行の中で発生している銀行不良債権がこういう伝統的な貸出体系と無関係ではないことを意味する。
このような銀行運営のフレームワークは、例えば大躍進の時期に一時的な逸脱がみられ
るものの、基本的には1970 年代の後半まで継続していた。

―引用終わり-
■まとめ
・企業の金融資金を徹底管理(強制預金)していた
・必要性が変動しやすい資金の貸出に限定(財政の補完としての貸出)
・物価の安定を維持するよう考えられていた
・企業と個人にも自由な金を持たせないことで、社会の秩序、労働の意識、活力を牛耳ってた
などが挙げられろと思います。
それは、市場原理の負の面を封じ込めることを絶対として作られたシステムであり、資金流動を抑制するシステム=金を融通しないシステムであったのではないだろうか。

List    投稿者 yamatetu | 2009-03-02 | Posted in 06.経済破局の行方2 Comments » 

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コメント2件

 『たに』 | 2009.06.22 19:07

こんちは。
自分が勝ち組にいると思っている、社会的に立場のよさそうな連中も落ちていくと思います。イランが戦前の日本みたいに干渉されています。
どこかに真珠湾攻撃みたいなこと、またやらせようと思っていると思います。
あいつらのやり方は、いつも同じかもしれないし。
そういう意味じゃ、日本はあまり今回深入りしないように耐えるしかないと思います。
トボケテ、あんたたちの言うとおりに動いたんだけど、13兆円見つかっちゃった!とか、総理大臣エロで捕まったから、また総理決めるの大変で、F22買う話どころじゃないんですよ!とか。
で、オバマの周りには、四面楚歌どころじゃない、完全包囲網があると思います。
普通に考えて、金持ちの金が時間でどんどん増殖している訳で、普通にテレビ見ていると、金が利息を求めて・・・みたいに言ってますが、本当の意味は、一カ月ウン十万の給料で生きてる我々と異なる連中の創造うされたマネーが膨らんでいる訳で、
地域社会に根差した食料を供給できるシステム作りが早急だと思います。ボートピープルも大量発生する気もしますし。
答えにならずにアホなコメントすいません。何分、結局、ああだこうだ言っても、考えても、嘘ばっかりまかり通っていて、何が本当か分からないもんで。

 hermes handbags fake | 2014.02.02 2:36

hermes uk gatwick depot 日本を守るのに右も左もない | 今後、日本はどうなる?世界はどうなる?…新会員からの質問です。

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