2020年01月03日

学校制度の弊害~統合無きまま、「文系」「理系」と教育体系を分割する問題性

明治時代に作られ、現代に繋がる学校制度。
その当初の目的は、欧米列強に追いつく「豊かな国家」「強い軍隊」を作る為事でした。
全国一律の学校制度と教育方針。これは一見、全国レベルで「統合」されているように見えますが、その実態は「学年」という横軸と「教科」という縦軸で教育を細分化したものでした。

 現代に於いてはさらに、高校教育の中で「文系」と「理系」とに大きく分断されます。
両者は全く違った独自の教育系統となり、大学ではさらにその中で「学部」「学科」「専攻」とどんどん細分化されてゆきます。

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 「文系」「理系」その発想こそ明治の国家建設の発想に基づいています。
新たな法体系や国家体制を追究する「文系」、軍事力の背景となる工業や土木を追究する「理系」。諸官省庁もまたその方針の元に編成されました。全ては近代国家建設と富国強兵を実現するという明確な社会課題、統合課題があった上での専門分化であり、だからこそ急速な近代化への原動力ともなりました。

ところが現在の学校は、そうした課題がないままに専門制だけが残存した結果、部分的な知識量は高いが視野が狭い人材ばかりが世に出る事になります。
現代の諸問題は、こうした「統合」の視点無きまま「分化」した教育の矛盾がそのまま表れていると言えます。

それまでの、江戸時代の教育を担った「寺子屋」や「私塾」は、それぞれの地域共同体が自主的に運営し、幼児期から思春期までの幅広い世代が机を並べるものでした。「学年」も「専攻」もありません。
師匠も地域共同体から推挙された文士たちで、僧侶や商人が副業として担う事も多く、現代の専門職としての教師や教授とは一線を画しています。

そしてそこでの教育内容は、その地域で「生きる力」「期待に応える力」を育むものでした。
そこでは細分化した知識ではなく、現実社会で役に立つ応用力や追求力の獲得が目的でした。


豊かさが実現し、科学技術や経済成長へ期待、学歴信仰が無くなった現代、専門化、細分化が進んだ現代の学校教育が実社会で役に立たない事は、子供でも潜在的に感じ取っています。
この古い制度を子供に強制するのではなく、活力のある教育の場を一緒に模索する。日本人の共同体性に基づいた、かつての寺子屋や私塾の姿に、その可能性を見いだせるのではないでしょうか。

List    投稿者 nihon | 2020-01-03 | Posted in 17.これからの教育No Comments » 

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