【日本の技術の神髄から学ぶ】~金属加工・製鉄② 職人の精神性が生み出す世界一の”技”~
前回、日本のモノづくりの強みや可能性を探るなかで、このように、日本には数多くの世界で最高峰・唯一の“質”を確保しつつ “量”も生み出している世界でも稀にみる力持っていることが分かってきました。日本企業同士を繋ぎ合うことで、新しいモノづくりの仕組みが見えきそうですが、この『質と量を両立する”技”』はどうやって生まれてきたのでしょうか?
ヒントは「地域の歴史」にありそうです。
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1.金属加工・製鉄技術の地域性
調べていく中で面白いと思ったのが、世界レベルの「オンリーワン・ナンバーワン技術」をもつ企業が「ある地域」に固まって存在していること。
それも、調べていくと県という単位ではなく、「町・市」という非常に小さな単位の地域に密集しています。
例えば前回紹介した企業でいうと…
新潟は「燕・三条」。島根は「安来」。大阪は「堺」。岐阜は「関」。これらが突出して世界レベルの企業が多い市町村になります。
それぞれの地域の歴史を追っていくと「日本刀・大工道具」を鍛冶により作ってきた歴史や、鍛冶に必須の炉の材料である「煉瓦」そして材料の「鋼づくり」を行ってきたことが見えてきました。
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『燕・三条』
・世界有数の金属産業の町“燕三条”。「金属」の加工で異なる道を歩んだ燕と三条、それぞれの姿
『安来』
・たたら製鉄の流れをくむ高級特殊鋼「ヤスキハガネ」に伝統技術を応用した精密加工で挑む
「堺」
「関」
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このように各地で追求してきた歴史が語り継がれています。
2.職人の”技”
さて、これらの地域を中心に作られてきた日本刀ですが、世界で最も強く切れ味鋭い刀剣と言われています。また日本の大工も仕口や継手を代表として、日本の木加工技術は世界一とも言われていますが、その技術を支えてきたのは良い大工道具であり、どちらも世界クラスの “質”を持つ道具。
これらの“質”は、現代のように分かりやすい開発目標がある製品開発によって生まれたのではなく、愚直に「より良いもの」をつくることに向き合い、終わりない追求に何世代もの職人たちが没頭し、“技”を追求し続けた果てに、結果として“世界一の質”にたどり着いていた、というものだと思います。
その“技”の凄さが発揮された、面白い逸話があります。
長篠の闘い、関ヶ原の闘いで有名な「鉄砲の大量生産」には、「関」出身の八板金兵衛という刀鍛冶の存在がありました。
鉄砲は16世紀に伝来したものであり、世界的には後発。当時輸入されたのはたったの二丁だったそうですが、そのうち一丁を渡され、大名から自国での開発を任されることになった八板金兵衛は、鉄砲を見たのは初めてだったにも関わらず、複雑かつ精密な部品の役割・仕組み・製作方法のほとんどを見抜き、『わずか1年』で、鉄砲の量産を可能にしてしまいました。
そして、鉄砲伝来から30年後には、世界の50%以上の鉄砲は日本にあるほどに生産力が進化し、さらには独自の工夫により「好きなタイミングで打てる狙撃用火縄銃」「雨でも打てる火縄銃」など銃の性能を高めて量産し、国外に輸出を行うほど発展させてしまったそうだから驚きです。
3.共同体が繋ぐ、職人の精神性
同じ鉄でできているとはいえ、刀と鉄砲は全くの別物。その異なる二つのモノに対して原理を見抜き、優れた工法を生み出す力は驚異的。
これらは「鉄を素材により良いものをつくる」という答えのない問いに対して、没頭し、愚直に“技”を磨きつづけたからこそ、鉄砲のような定型的な答えのある工業製品をつくる”技術”は余裕で超えていた、ということだと思います。
また、優れた“技”だけでなく、技の習得の背景にある仕事への向き合い方≒職人の精神性。これらの良い部分を一個人・一集団だけが独占するのではなく、共同体で共有し、切磋琢磨し合ってきたこと。そして現代に至るまで、分断することなく受け継いできたことが冒頭にあげた地域が「世界オンリーワン・ナンバーワン技術」の集積場所となった要因なのだと思います。
この職人たちが磨いてきた、 “ 技 ”と“ 精神性 ”を途切らせることなく繋いでいく 『地域の共同体性』こそが、日本のモノづくりの強さの根源にある、のではないでしょうか。
次回は、これら驚異的な技と能力を育む『職人の世界』を探っていきたいと思います。
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