2022年07月23日

日本の教育を“教育費”から考える。日本の教育に可能性はあるのか?

社会が大きく変わっていく中、将来を担う子どもたちの活力(≒能力)上昇は欠かせません。
今回は、子どもたちの活力(≒能力)に大きな影響を与える『学校教育』について“教育費”という視点から考えてみたいと思います。

日本という国は、子どもたちの教育をどれだけ重視しているのでしょうか?

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日本における、令和4年度の文教及び科学振興費は、5兆3,901億円。(このうち、文教関係費は4兆114億円、科学技術振興費は1兆3,788億円)

 

日本では、毎年5兆円程度が『教育』に充てられています。
この金額が果たして多いのか?少ないのか?

『教育に対する投資』を国別で比べているのがこちらのグラフです。

2018年の初等教育から高等教育の公的支出が国内総生産(GDP)に占める割合は、日本が4.0%と、比較可能な38か国中31位
さらに、先端教育である大学・高等専門学校において、世界大学ランキングで上位の大半を占める米国と比べると、米国が約2.6%なのに対して日本はわずか1.4%
日本という国は、世界と比べると『教育』にお金をかけていない(≒力を入れていない)のです。

では、これまで日本は『教育』に対して何を行ってきたのでしょうか?(行おうとしているのでしょうか?)

以下は、これまでに日本が行ってきた主な『教育改革』です。

・1872年(明治5年)
義務教育制度の導入。「学制」において、8年間の教育年限(下等小学校、上等小学校4年ずつ)を設ける。
→義務教育制度が導入された背景は、「富国強兵」が関わっていると言われています。国を強くするために国民全員に教育を施す必要があったのです。

・1947年(昭和22年)
「学校基本法」「学校教育法」により、小学校6年、中学校3年、高校3年、大学4年の六・三・三・四制になる。
→これらの変更はGHQ主導で行われました。GHQの狙いは「全ての子どもたちの教育の機会均等」と言われています。(西洋観念を日本国民に植え付ける狙いも大きかったと思われます。)

・1970年(昭和45年)
中央教育審議会による「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について」の答申で、学校教育全般にわたる施策を提言。
→この背景には、ベビーブーム世代の到来と急激な社会変化があります。教育の量的拡大と質的改善を行い、それらの変化に対応しようとしました。

・2002年度(平成14年)
ゆとり教育:年間授業時数の縮減・完全学校週5日
→ゆとり教育ができた原因として挙げられるのが、これまでの詰め込み型教育により、学習内容についていけない生徒が多くなってきたためと言われています。

これらの教育改革に共通・一貫しているのは、「全ての国民」に最低限の教育≒画一的な教育を提供するということ。ある意味セーフティーネットとも言えますが、突き抜けた能力上昇をさせない、悪しき平等主義ともいえるかもしれません。

では、学校教育がそのような状況の中、どうやって子どもたちの活力=能力を育んでいけば良いのでしょうか?

そもそも『教育』とは一体何なのでしょうか?

もともと『教育』は、哺乳類の子ども同士の遊びから江戸時代の寺子屋まで、一貫して現実課題=日常生活の中にありました。
いわば、国が主導して画一的な教育を行うという現代の教育制度こそが、本来の『教育』から外れたものだったのかもしれません。

近年、企業が社内に設置する『企業内学校(学校教育法第1条に規定される学校ではない)』や、企業が設立する『企業立学校』が増えてきています。
また、社会に出た若者が「働き始めたらもっといろいろなことが学びたくなった」と言って、そこから大学や専門学校に通い始めるケースも増えてきています。

国によって定められた『学校』に行き、決められた勉強をする。
それでは、画一的な人間にしかならない。

今後の『教育』の大きなカギは

『社会に出て現実の圧力に触れること』

ではないでしょうか。

 

 

List    投稿者 syu-masa | 2022-07-23 | Posted in 17.これからの教育No Comments » 

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