2023年03月18日

今、世の中が求める探求型授業とは~おかしいという感情こそ宝物~

〇探求科授業を始めて

 

文科省も経団連も教えられて終いではなく、主体的な学びを必要としている。そんな中、学校や習い事でも「探究型」「探究科」という言葉を耳にするようになった。

私たちも、6年前に「探求科」という授業を始めたが立ち上げから今まで「事実の追求」をもとに授業を実施してきた。

 

これまで自然の摂理、生命原理・市場や国家の成り立ちなどを追求してきた。この授業を通して、今まで当たり前だからと考えてこなかった「なんでぜ学校に行くのか?」「なんで勉強が必要か」という心で感じていた言葉が出てくるようになり、子どもたちの封鎖された感情が言葉や行動になっていった。こちらもその様子を見て、可能性をに感じていた。

 

しかし、可能性とは裏腹に自分の苦しいことや嫌なことから逃げたり、文句ばかり言っている子どもたちを見て、塾講師として私は不安にも感じていた。

探求科を通して追求することで、学びに対しての苦しさやいやな気持ちを言葉に出来るようになったが、文句ばかり言って何もしようとしない子どもたちを見て、「社会にでても周りの足を引っ張る人材になるんじゃないか」「大人になってから充実した生活を送ることが出来なくなるんじゃないか」という危機感すらあった。

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〇子どもたちの変化

 

そんな中、先日の探求科の授業で「SDGs」から社会状況を追求した。

SDGsの印象を聞くと小3の男の子から

「いいことをやるには、自分たちがなにか制限されなければならない。だから、こんなことやりたくないし、本当にいいことだと思わない」

とはっきりと言ったことから、授業に参加している全生徒が彼の気持ちに「分かる」となっていた。

そこから更に違う生徒から

「だから、もっとちゃんとSDGsを知らないといけないんじゃない?」

と前向きな発信に、最初に発言した彼も「そうやなあ。なんで大人がそんなことしてるのかちゃんとしらなあかんなあ」とみんなでSDGsが生まれた背景を考える事になった。

 

すでに3年以上、ずっと受講している生徒たちは、「嫌」「おかしい」という感情を宝物にして可能性に向かうことができる!それがSDGsの追求を通じて、開花したように感じる。

 

〇これから求めらえる授業とは

 

現在の教育は、先生が教えることが正しい。そこで感じる「なに?」「なんで?」はもちろん、「嫌」「おかしい」「もやもや」の不整合感、さらに「おもしろい」「楽しい」「好き」などの充足感を素直な感情を出すことができない。むしろ、そのような感情は「点数に関係ないから」と不要とされている。

 

そうやって封鎖してきた20代は、感情を出す経験がないままなので、話を聞きながら「大丈夫?」「大変でしょう?」「苦しんでしょう?」と問うことで、自分が苦しいこと気づいたり、何に困っているかわからないまま仕事を勧めていて、失敗するまで気づかないということが起こる。

 

しかし、SDG sの子どもを目の前にして、「おかしい」「変だ」などのマイナス感情であったとしても、それを出すことが追求のきっかけになる。

だからこそ、不整合や可能性を鮮明にし、言葉化させる機会を充実される教育環境が必要では!?

そしてこれは、探求だけではなく、各科目の学びにも必要不可欠な物ではないかと考える。

List    投稿者 oka-jun | 2023-03-18 | Posted in 17.これからの教育No Comments » 

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