原油が枯渇する日
◆店頭ガソリン最高値へ 来月、新日石も卸価格引き上げ -2007年7月28日 中日新聞
石油元売り最大手、新日本石油は二十七日、八月出荷分のガソリンなど石油製品の卸価格を、七月に比べ一リットル当たり四円十銭引き上げると発表した。小売価格への転嫁が進めば、レギュラーガソリンの平均価格は一九八七年の統計開始以降の最高値である百四十四円十銭(昨年九月十一日)を更新する可能性が強まった。
石油価格の上昇は「原油の枯渇」を暗示している、とする驚くべき記事があったので紹介します
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◆『石油の隠された貌 』エリック・ローラン(著) 枯渇するガワール油田 -『株式日記と経済展望』
1日6バレル消費するごとに1バレルしか発見できない石油の浪費と逼迫状況は、前例のないオイルショックの前夜といえる。
(中略)
これほど石油が高騰しているのにOPECが増産を見送っている。サウジアラビアなどは今までは石油が高騰すれば増産して高騰を抑えてきましたが、今回はサウジも増産を見送っている。これはおそらく増産したくともできない状況にあるのだろう。サウジアラビアの石油埋蔵量は国家機密でもあり、その機密を探り出すのは非常に難しい。
エリック・ローランの『石油の隠された貌』という本では、サウジアラビアの石油に関する機密情報が書かれている。様々な方面からのインタビューなどからすると、サウジアラビアのそして世界最大のガワール油田はすでにほとんど掘りつくされて、採掘可能埋蔵量600億バレルのうち550億バレルはすでに掘り尽くされてしまった。新たなる巨大油田は1967以降発見されていない。
このようなサウジアラビアの機密情報を一番知っているのはアメリカのオイルマフィア達だろう。だからアメリカは無理をしてまでイラクに侵攻してイラクの石油を確保しようとした。アメリカの国内油田も枯渇してサウジアラビアの巨大油田も枯渇しようとしている。世界のオイルピークもすでに過ぎたのかもしれない。
1バレル75ドルという石油の値段は、これからやってくる本格的な石油ショックの予兆に過ぎないのだろう。
(中略)
産油国が発表する石油埋蔵量も全くのデタラメであり、投資を呼び込むために過大な数字が発表される。
(中略)
石油は数千メートルも下の地下から採掘するものであり、井戸水のようにポンプで吸い上げても数千メートルも吸い上げられない。周囲に海水を注入して押し上げるのですが、長い事やっていると出てくるのは海水ばかりになってくる。地球上最大のガワール油田はそんな状態になりつつあるのだ。
原油の枯渇は、遠くない将来にやってくる。それは「市場の崩壊」に直結する。
産油国や石油メジャーの都合によって、事実は巧みに隠蔽されてきた。石油価格の上昇を止められなくなって、いよいよそれは明るみになってきた。
「市場システムをどうする?」という課題が、もう目の前に突きつけられている。
参考記事
『石油の隠された貌』ローラン,エリック著(書籍紹介)
「石油大手の利益成長に陰り、生産量減少やコスト増に直面」NIKKEI NET
「原油価格はなぜ上がる?」ALL About
「(石油の消費量は)国民一人当たり1日5リットル」石油豆知識
「本当の環境問題は石油の枯渇と食糧問題」るいネット
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コメント4件
tabtab | 2007.09.15 23:55
植民地にはならなかったけれど、国際金融の影響≒支配という構造は明治時代より現在まで変わっていないと思います。これからの日本を考えると、国際金融という魔手から逃れる為にも、近代観念を捨てて、共認(共同体的)体質を取り戻す必要があると思います。
ireland hermes | 2014.02.02 0:55
hermes 1970 bags 日本を守るのに右も左もない | 明治維新の実像「幕末期に入った国際金融資本の魔手」
y.suzuki | 2007.09.11 22:29
確かに、この時代以前から黄金の国ジパングは、侵略意欲を掻き立てるに足るほど黄金を流出させていたようです。その中で、イスパニアの無敵艦隊を破り、貿易という収奪システムを高度に進化させたイギリスが制海権を握ったことが清国の次に日本へ進出するアドバンテージをもったことは否めません。
同時期にフランスは幕府への売り込みをやったし、スイスなども横浜に商館を置き、倒幕や佐幕で混乱する藩への売り込みに躍起になっていたようです。その背後には 欧州本土の戦争が終結に近づき、使い物にならなくなったから旧式兵器を売りさばくために商人が押し寄せてきたようです。日本は清国の次の標的となっていたのは間違いないでしょう。
tabtabさんの最後の仮説は大いにありうると思います。
西洋人には理解できない精神構造=共認体質が日本人の尊厳を守ったといえます。この意味では司馬史観は間違いではないといえるのではないでしょうか。
それ故に、維新以降、新渡戸稲造の記した武士道が注目されたのだろうと思います。