江戸時代の「身分制度」とヨーロッパの「階級社会」は何が違うのか。
日本は明治維新を境に、教育、文化、社会制度等、日本古来の様々な伝統や文化を一新します。世に言う「文明開化」です。
欧米列強の植民地支配の圧力を廃し、一刻も早く先進国に追いつく為の国家改造に踏み切ります。
この大転換は功を奏し、短期間で富国強兵と殖産工業を実現させ、日清戦争・日露戦争という2度の大戦を勝利に導きます。
この国家改造を成し遂げる為に、指導層は前時代(江戸時代)の体制や諸制度を否定する事で、近代国家、近代思想の素晴らしさを浸透させてゆきます。前時代の封建制は古い制度として負のイメージを植え付けられました。
しかしこれは日本に限った話ではありません。
欧米諸国も市民革命や民主化、近代化を進めるために前時代の封建制や絶対王政を否定し、現政権の正当性を謳います。
しかし同じ封建制でも、ヨーロッパのそれと日本とでは大きな違いがありました。
江戸時代の「身分制度」とヨーロッパの「階級社会」は何が違ったのか。なぜ日本は短期間での近代化や制度改革を実現出来たのか。
以下、「るいネット」にて紹介されている、『日本の復元力』(中谷巌/著)の記事について紹介します。リンク
【日本の復元力~経済的にも文化的にも庶民階層が主人公だった江戸時代】
●明治の近代化は江戸庶民社会の賜物?
江戸時代、身分制度は確かにあった。だから、不平等がまったくなかったわけではない。
しかし、実態的に見ると、武士は志を高く持って困窮に耐え、商人は身分は低いが経済的には裕福であるというある種のバランスの取れた社会構造だったので、庶民が支配階級である武士階級にとてつもなく痛めつけられて悲惨な生活を強いられたという「階級社会論」は当てはまらない。ここが、一部の特権階級と大多数の下層階級から或るヨーロッパの階級社会との大きな違いである。
これでもか、これでもかと搾取される社会であれば、搾取される側は「いくら働いてもみんな取られてしまうんだったら、さぼっていたほうがいい」と開き直ってしまうだろう。あるいは、心がすさんで当事者意識をなくし、「隙あらば悪いことでも何でもやってやろう」という気持ちになるかもしれない。
しかし、日本の江戸時代はそういう構造ではなかった。支配階級の武士たちが威張り散らし、庶民から無理やり奪い取るということもあまりなく、むしろ庶民のほうが元気だった。庶民たちは、自分たちこそ社会の主人公だという意識すら持っていたのではないだろうか。現に、歌舞伎、浄瑠璃、浮世絵、落語など、いろいろな文化が生まれているが、これらはすべて庶民がつくり出したものである。庶民が自分でつくり、自分で楽しむ。室町時代の文化、武家中心の「詫び」「寂び」という文化を土台にしながら、自分たちに合うエンターテイメント性の強い文化を江戸庶民たちがつくっていった。それが江戸という時代の大きな特徴である。
日本以外の先進国でこのような文化・芸術活動の中心部分が庶民層によって担われる社会を読者はご存じだろうか。多分なかなか思いつかないのではないだろうか。筆者の知る限り、世界中どこを探してもそのような社会はないからだ。ヨーロッパの文化、たとえば現代のフランス文化の中心は宮廷文化である。フランスに限らず、イギリスでもスペインでもだいたい似たようなもので、日本の江戸時代のように、庶民が大きなパワーを発揮して文化を築き上げたという話など、寡聞にして聞いたことがない。
そういう意味で、経済的にも文化的にも庶民階層が主人公になったという、極めて特異な社会ができ上がった。これが江戸という時代の大きな特徴であるのだが、さらに、江戸の庶民を語るときには寺子屋の存在を忘れるわけにはいかない。江戸時代も後期になると、庶民たちも少しばかり余裕が出てきたのだろう、自分の子どもを寺子屋に通わせるような親が増えてきたからである。
(中略)
しかも、寺子屋というのは幕府が教育制度として定めたものではなく、庶民たちが自主的につくったものである。もちろん、武士たちには藩校という藩の教育機関があって、そこで武士道や儒教を学んでいたが、庶民たちは自分たちで寺子屋をつくって、先生を呼んできて子どもたちに学ばせていた。読み書きそろばん、それから仏教の基礎的な教え、そういったことはみんな寺子屋で学んだのである。
(中略)
こうやって江戸時代を眺めてみると、江戸時代は巷間言われているような暗黒時代などでは決してなかったことがわかる。もちろん、一部には理不尽なこともあったろう。しか し、全体として見た場合、庶民階級が実質的に文化創造者の役割を担うという、極めてユニークな歴史を刻んだのが江戸時代であった。
(中略)
思うに、こういった庶民中心の社会こそがまさに日本であり、それが日本の近代化や経済発展の原動力になったのである。一般庶民はエリートではない。けれど、基礎的なことはきちんと理解している。しかも、何と言ってもやる気がある。白分たちが何とかするんだという当事者意識もある。それは江戸時代までの歴史の中でつくり上げられてきたものであって、維新後の近代化のスピードが異様なほどに速かった理由はここにある。つまり、それだけのベースがすでに築かれていたわけだ。
もし、日本の江戸時代がヨーロッパの階級社会のように、庶民がしいたげられているだけでやる気のない、ただふてくされているような存在だったら、あんな急速な近代化なんてとてもできる相談ではなかっただろう。明治維新から30年足らずで日清戦争、40年足らずで日露戦争を戦い、幸運も幸いしたことは間違いないが、何とか2つとも勝つことができた。それもやはり江戸という文化蓄積の時代があったからこそであろう。
(後略)
以上、引用終わり。
一部の特権階級による搾取と抑圧、それにより市民の活力を奪い不全を鬱屈させていた欧州の階級社会と、
身分制度により階級闘争・試験闘争を抑止し、安定した社会構造の中で市民が活力と生命力、思考と知的好奇心を開放させてきた江戸時代の日本とでは大きな違いがある事が分かります。
そしてこれは現代社会にも繋がっています。
階級社会が残存し国内でも様々な矛盾と軋轢を内包させ、結果として訴訟や要求運動が常態化している欧米諸国に対し、日本は政治家や資本家といった特権階級に依存する事無く、市民発での企業改革、教育改革が進められています。
脱私権、脱お上の精神は、実は古来より日本人に伝わる精神性です。江戸時代の長い太平の世の中で、それが醸成・練磨されてきました。
近代の政治・経済システムとそれらを支えてきた近代思想がその限界を露呈した現在、こうした江戸期の諸制度、諸文化の見直し、市民の主体性と、そこに宿る精神や可能性を再評価する事に一つの突破口が有るのでは無いでしょうか。
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