なんでや劇場レポート(3) 私権追求に代わる集団の目標は周りの充足、そして男女の共認の輪が認識収束の母胎
前記事なんでや劇場レポート(1)「暴走する構造⇒私権絶対の法制度と圧力低減」、なんでや劇場レポート(2)「民主党の政権交代も、時事系・社会系サイトも偽ニッチである」に続き、なんでや劇場レポート(3)最終です。ここからは、新しい可能性を探索していきます♪私権に代わる集団の目標は?社会の最基底である男女関係は?を追求していきます♪
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これらの図書と本文の内容とは関係有りません
私権追求に代わる集団の目標は、みんなの充足
前回のなんでや劇場で、自我・私権の発生は遊牧部族の集団発であることを提起した。
参照 日本を守るのに右も左もない なんでや劇場レポート③「自我⇒否定⇒私権意識の成立構造~自我の原点は個人自我ではなく集団自我」
この集団発という視点で最近の潮流を捕らえ返せば、この40年は3段階に亘って私権が衰弱してきたことが見えてくる。
‘70年 豊かさの実現によって、国家私権が衰弱(orこれ以上の追求は放棄)
‘95年 バブル崩壊から5年後、企業私権が衰弱(orこれ以上の追求は放棄)
‘08年 世界金融危機を契機に、家族私権が衰弱(orこれ以上の追求は放棄)
この次は個人自我・私権がいつ消滅するか?と考えがちだが、そういう否定形の発想では行き詰る。
共同体・類でさえ、30年来追求し続けてきて、実効力のある答えは見つかっていない。その理由はすでに明らかである。私権絶対の法制度がそのまま残存している限り(まして私権圧力が衰弱し続けている状況下では)、常に少数の私権派が暴走する構造にあり、これは私権制度が解体され共認制度が確立されるまでは続くからである。
我々は「自我を封鎖するには?」というような否定発な問題の立て方を止めて、実現思考で問題を立て直す必要がある。
すなわち、最大の集団目標であった私権が崩壊したら、その次、集団は何を目標にするべきのか?
企業集団は利益追求第一ではあったが、お客さんに喜んでもらうという価値意識は江戸時代から綿々と続いている。一方、社内は序列体制であり、「楽しいから(仲間がいるから)会社に来る」という発想はなかったが、近年登場し始めている。
⇒共認収束の大潮流に乗っかった、社内外を貫く目標。「周り(社内もお客も)⇒社会の充足」が目標になるだろう。
いまや国家は、鳩山の「友愛」や「環境」、オバマの「核廃絶」など、みんなの役に立つ大義名分でないと世界に受け入れられない段階にきている。
日本では、すでに企業の過半が、利益追求を半ば以上放棄する中から、直感的に「周りの役にたつ」方向へと頭を切り替えている。
そして、自己中アメリカは世界中から嫌われ出しており、トヨタなどの自己中企業もそう成りつつある。
このように国家も企業も、みんなの役に立つことを目標にしないと成り立たなくなっている。
では、最後の集団=家族はどうだろうか?「周りを充足させる」ために「自分たちは結婚します」というような理屈はとうてい成り立たない。つまり、一対婚家族では周りの充足という目的など成立しようがない。これは、もはや現在の一対婚家族は変革不能であり、抜本的に新たな婚姻制度に変えるしかないことを示している。おそらく、現在の家庭には共認収束の可能性がないことを、若者も薄々わかっているから結婚しない男女が増える一方なのだろう。
ところが、婚姻制度は社会の最基底部にあるので変革には長い時間を要する問題である。打つ手はないのか?
なんでやカード
女規範・男規範の共認から、男女共認の輪が認識収束の土台へ
そこで、もう一つの概念「女原理の充足基調」の潮流を基盤に据えて考えてみたらどうか?
少なくとも、その潮流が来るべき新たな婚姻制度の土台になることだけは間違いないと考えられる。
では、女原理の充足基調と男原理の闘争基調はどう結びつくのか?(この結びつき方が来るべき婚姻制度の土台となる)
類塾の社内ネットの事例では、女の充足基調に基づく発信に引きずり込まれて男たちがヤル気 になって闘争基調が形成されつつある。リクルート社など一般企業でもそういう兆しはある。
るいネット リクルートの女性力 会社の「空気」は女で決まる!~みんながここで働きたいと願い、みんなが成果を出せる「会社の空気」をつくること~
婚姻制度が社会の最基底部にあるのは、哺乳類では雌雄の引力が最大の引力(活力)であるからだが、全文明史を覆すほどの今回の社会の大転換も、男女の引力を基盤にした社会変革というスタイルになるのではなかろうか。言い換えると、男女の問題を捨象している政権交代や社会派とは無関係な、偽ニッチを吹き飛ばすような、もっと根底的な変革になるということだろう。
今回の変革の土台となるのは男女共認である。そして、男女共認の核となるのは、充足存在という女規範、闘争存在という男規範である。この男女規範を認め合うことが男女共認の原点(卵) である。∵女(男)だけが充足存在(闘争存在)と思っていても無意味。
そして職場において男女共認の輪を広げていくこと。これが主軸。副軸となるのが感トレをはじめとする女共認の場(男共認の場)。これが最初の共認形成⇒認識収束の形である。
注:感トレとは⇒るいネット 感謝と謝罪のトレーニング~最新版~を参照
感トレノート Selection
女としての感度を磨き、女の器を広げるための、日々のトレーニング。それが、『感謝のトレーニング』です。
女、男とは、どういう存在で、生物にとってどんな意味があるのか。女は日々どんな風に、女として期待され、評価され、感謝されているのか。女として、どうやって充足し、どうやって実現させているのか。
それらを、追求し、評価し、喜び、積み重ねていくこと。対象を受け入れて、感謝し、応望し、充足した分だけ、女は“いい女”になります。
類塾の社内ネットの実例からも、この土台さえ形成されれば、いろいろ言われなくても主体的にいろんな工夫が発生してゆく。それくらい男女の引力は凄まじい。このように認識収束の第一歩が男女の規範共認であり、そこから様々なジャンルの認識収束(工夫思考)が生まれるが、それだけでは構造理論までは行き着かない。
既成理論を覆して構造理論が必要になるのは、経済大破局のような状況の大転換が条件になる。男女共認の輪は女原理主導で進んでいるが、そこでは闘争原理は作動していない。それが作動するには経済大破局のような状況の大転換が条件になる。
では、大破局で本当に構造理論への収束は進むのか?
最も有力に考えられるのは、米中は崩壊するが、日本・アジア・イスラム(EUも?)等は秩序が維持されるというケース。つまり玉虫色の破局状況。ここでは、米中崩壊の情報が毎日日本に入ってくる。日本は明治以来、西洋から学問を吸収してきたが、その極である米崩壊という状況では、西洋発の旧観念ではどうしようもないという気運が生じる。ここではじめて新理論の必要性が生まれる。
秩序維持の最右翼が日本だが、それを担うのは闘争存在である男。その基盤は男女共認(女原理)。問題は、玉虫色の破局状況で、新理論期待が女から出てくるのか? 土台である男女共認の輪と、新理論がどうつながるのか? この問題は次回のなんでや劇場で扱う。
by 充足の叫び
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コメント2件
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