2/28なんでや劇場レポート(1) 私権時代に求められた能力と、共認時代に求められる能力
2月28日になんでや劇場が行われました。これから3回に分けて紹介します。
テーマは「私権時代に求められた能力と、共認時代に求められる能力」です。
昨今、かつては信頼を得ていた大企業の問題が次々に浮き彫りになってきています。
これらの出来事は何を意味しているのでしょうか?
そしてこれからの時代に本当に求められる企業そして力とはどのようなものなのでしょうか?
私権時代と共認時代に求められる力を対比して明らかにしていこうと思います!
いつも応援ありがとうございます。
前回の劇場の内容は、JAL破綻、トヨタ欠陥車問題が象徴するように、’10年代は私権体制が崩壊過程に入り、共同体が上昇過程に入ったという内容。今回は一歩進めて、私権時代に求められた能力と共認時代に求められる能力は何かを解明する。
●私権時代の力とは、どういう構造だったのか?
強い者が弱い者を従える力の原理に貫かれた時代と見られてきた。その力の代表が武力と資本力。
哺乳類に顕著な性闘争=縄張り闘争⇒力の原理によって集団の固体が序列化され、集団が統合される。人類の私権集団も序列原理で統合されてきた(ex.身分・肩書き)。但し、人類社会における力は武力・資本力であり、動物次元の力である腕力とは異なる。ex.剣の達人がトップになった例はなく、家来にすぎない。
腕力は個体の能力であるのに対して、武力は武装集団の力である。武力さえ集団統合力⇒共認形成力なのである。ここは常識の塗り替えが必要。
また、腕力は個体の属する能力であり、生まれた時はゼロで、その後の努力によって獲得される能力である。それに対して、武力も資本力も個体の能力の外にある。私権の相続によって、武将の家に生まれたら生まれながらにして領土や家臣がついてくる。つまり、個体の能力形成とは別に次元に、既成の力のヒエラルキーが常に存在している構造。
私権の相続も秩序形成のためにできた制度である。それが定着したのは二つのファクターによる。①社会秩序の最基底部を成すのは婚姻制度であり、②その上に、私権が共認されるとあらゆるものが私権の対象となり、私権を獲得しなければ生きてゆけなくなる。こうして働く私権の強制圧力によって万人が私権に収束する私権原理が秩序原理となる。①最基底部にある婚姻制度、②最先端の私権原理、この2つの秩序が合体したのが相続制度である。
私権時代の武力も資本力も共認形成力だが、国民大衆全体を共認形成の対象とはしていない。私権闘争では力を持っていない層を相手にしても仕方がない。既成の力のヒエラルキーの中で力のある上位層をどう抱きこむか、そこに対象は限定されている。⇒上位層との共認形成の手法が、利益誘導(アメとムチ)である。給料を上げればアメであり、下げればムチとなる。利益誘導で相手を抱き込むために、騙し・ハッタリ・誇張・脅しが常套手段になる。
以上が、私権時代に求められた共認形成力の構造である。
●資本力の時代、市場時代もこの構造は何も変わっていない。
武力支配時代では国民大衆は共認形成の対象ではなかったが、少数ながら「名君」がいて、彼らは国民をどう豊かにするかという視点である程度明確な国家ビジョンを持っていた。
ところが、市場(資本力)時代は、1~10まで全部騙しの色彩が強くなる。
武力支配時代の身分制度は建前は永世固定だが、現実には御家騒動は頻繁に起こったし、新体制に変わるごとに旧国家から与えられた身分は吹き飛ぶなど、せいぜい数百年しか続かず、現実には永世固定は存在しなかった。
ところが、市場社会では欧州貴族を始めとする支配階級たちは、その身分と財を私権の相続によって今だに維持している。これは武力支配時代の身分固定よりはるかに長期間であり、力の相続という点では市場時代の方がより強化されているのではないか。
このように市場社会に変わっても、力を保有し続ける最上位とその下の中間層と末端大衆という身分は厳然として存在しており、「市場社会で永世固定の身分制度はなくなった」とか「市場社会では個人の才覚次第で成功するチャンスが開かれた」という話は、「資本主義がすばらしい」と宣伝するための看板にすぎない。しかも、こういうウソが教科書で教えられている。
国民に対する共認形成という観点では、武力支配時代は国民のことを考え一定のビジョンをもった支配層が存在したのに対して、近代市場社会では、共認形成に使われている言葉は「永世身分の解体」から「自由」「個人が絶対」など1~10まで騙しで構成されている。
また、こうも言える。
武力の源泉は領土や身分だが、これ自体は動かしようのない事実で、それ以上のハッタリや騙しは通用しない。それに対して市場商品は幻想価値の産物であり、かつ利益競争の時代である。そこでは、武力支配時代からあった抱き込み能力(騙しや誇張)が全面に出てくることになる。このように市場社会全体がハッタリ・騙しで成立しているからこそ、市場社会ではハッタリや騙しが蔓延してゆくのではないか。
以上が、武力時代と市場(資本力)時代の違いである。
●では、共認時代に求められる能力はどこが違うのか?
そもそも、私権時代と共認時代では、力が必要とされる土台が違っている。私権時代の欠乏の中身は私権欠乏であり、己の私権を獲得することが目的。そのために力の上位層を抱き込む共認形成力が必要となるが、結局は己の私権を拡大するための力である。
それに対して、共認時代は、誰もが共認充足を求めており共認収束している。つまり私権時代も共認時代も必要なのは共認形成力だが、その根っ子or目的が「自分からみんな」へ転換する。周り・みんなを充足させるための共認形成力に全面転換し、その中身は必然的に変わってくる。ex.騙し→事実の共認へ。
これまでは私権弱者でも、みんな発の思いが本当ならば、十分な共認形成力を発揮し成果を上げることは可能なはずである。但し、’10年代は自分からみんなへの転換期・過渡期であり、頭ではみんな発でも肉体がついてこないといった現象が発生する。みんな発の共認形成力にどう転換してゆくか? それが今後10年間の過渡期の課題である。
なんでや劇場レポート(2)へ続きます!
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コメント4件
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正当化な恋愛観念は大切なことですね。