1/31なんでや劇場レポート2 私権体制の崩壊⇒共同体の時代へ
前記事 なんでや劇場レポート1「遊びの失速」は、何を意味しているのか?に続き、なんでや劇場レポート2です。ここからは、いよいよ私権体制が崩壊過程に入り、2010年はどうなっていくのか?を追求していきます。
(画像引用:http://reco-ja.noblesse-oblige.jp/index.php?title=%E7%A0%82%E6%BC%A0%E5%8C%96%E3%81%99%E3%82%8B%E5%BB%83%E5%A2%9F)
いつも応援ありがとうございます 😀
■遊びの衰弱・性の衰弱が起きた現代は、過去の歴史と何が違っているのか?
過去のいかなる時代にも、遊び・性の衰弱は生じていなかった。では、現代とこれまでの時代では
なにが違っているのか?を考えてみたい。
●極限時代、採集時代、私権時代を貫く共通項があるはず。それは何か?
⇒「明日もその先も、今日と同じ」ということが共通項ではないか。
・極限時代は、凄まじい外圧に晒される状態は今日も明日も同じ。
・採集時代は、平和で豊かなのは今日も明日も同じ。
・私権時代も、今日も明日も私権時代。
・それに対して、現代は、明日、何が起きるかわからない(という不安)
飢餓や戦争や革命の時代は「明日もその先も、今日と同じ」とは言い難いが、性が衰弱したことはないという反論があがるだろう。
⇒しかし、飢餓や戦争や革命によって秩序原理は変わるが、何が起きても秩序は間違いなく存在している。秩序が存在(安定)しているからこそ、それはパターン化できるので「この先どうなるか?」が読める。
人類は極限時代にも生きてきたし、共同体が侵略され大多数が奴隷化した時代にも生きてきた。
戦争に負けても生きてきたし、その間、性は衰弱しなかった。
何が起きても秩序は存在していた。
古い秩序が崩壊or消滅しようとする時は、一方で新しい秩序が登場してきた。
現在は、秩序が崩壊or消滅しようとしているにもかかわらず、新しい秩序は登場してこない。
この社会秩序が崩壊してゆく感覚、しかも新しい秩序が見えない(分からない)不安と焦りが、性欲さえ「それどころではない」と脇に押しやるほどの強い力を持った得体の知れない不安と焦りの正体である。
11/29なんでや劇場レポート(1)性欲が出てこないのはなんで?⇒秩序崩壊の不安と焦り
このときのなんでや劇場でも扱われたように、
【過去】:秩序転換があっても、次の秩序が予測できる。つまり「明日もその先も、今日と同じ」
【現代】:旧い秩序が消えていくのに、次の秩序がどこからも出てこない。
と大きな違いがある。
☆現代は、この社会秩序が崩壊してゆく感覚、しかも新しい秩序が出てこない(分からない)不安と焦りが、「遊んでる場合じゃない、女どころではない」という意識を万人に生起させ、遊び・性がとことん衰弱している。
■なぜ、新しい秩序がどこからも出てこないのか?
これまでに築かれてきた秩序は、すべて私権時代のパラダイムを前提として構築されてきた。一方で現在は、私権体制がいよいよ崩壊過程に入るという状況をむかえている。つまり、私権時代のパラダイム覆す必要がある。にも拘わらず、社会統合を担っている特権階級は依然として私権時代の枠組みの中での思考しかできていない。これでは、私権体制を覆す新しい秩序の提起がどこからも生まれてこないのは必然である。
打つ手はないのだろうか?
ここで歴史を遡って考えてみると、過去に共認社会から私権社会へのパラダイム転換が起きている。このときに原始共同体を破壊したものは、自我、性闘争の封印が解かれ、さらに飢餓の圧力に晒された略奪集団による武力の発現だった。
☆つまり、『理論(観念)』ではなく『力』が共同体を破壊したということ。
このことから、既存の私権体制を破壊する『力』が何なのか?を探ることで、新しい秩序構築の足がかりとなると考えられる。
■私権体制(弱肉強食)の世界を崩壊させる力とは、何か?
ここでは、新しい秩序構築へ向けて私権体制を崩壊させる『力』について検証していきたい。
検証①:武力による武力(⇒資本)支配の破壊はないのか?
○ドル・米国債暴落が起こった場合
・秩序崩壊によって、国家の分裂がおこり、州の独立⇒連合が起こる。この状況で生まれてくる、略奪集団(武装集団)を統合するにはやはり武力が必要になる。
・農業共同体が各地に形成されていくことによる、共同体社会への移行はあり得るかということだが、周囲には略奪集団がゴロゴロと存在することになり、自衛のためには武装することが必須となる。そもそも略奪集団の中で、農業共同体が存続していけるかすら怪しい。
☆いずれの場合も武力で再統合→私権社会としかならず、私権体制は覆せない。
検証②:武力で覆せないなら、それに代る力とはなにか?
私権制度が機能不全に陥り、社会活力は衰弱しているが、現在でも活力が生まれているケースはある。例えば、企業集団において女の充足基調に基づく発信が男たちをヤル気にさせ、男女互いの活力上昇につながっているという現象が起こりはじめている。
男女共認を土台として、その先の闘争共認をどう形成していくかという追求課題はあるが、女原理発の男女の凄まじい引力を基盤にした『共認(充足)力』が、私権体制を覆す変革の『力』になるのではないだろうか?
■私権体制の崩壊、共同体の時代へ
私権体制の崩壊にともない、共認原理への転換の基盤となる共同体企業が、生まれはじめている。
私権意識が衰弱した現在において、もはや企業も社会も、力による序列原理では統合不可能な状況になっているのだと思います。
また一方で中小企業を中心としてですが、従業員自ら、自分達の組織をどうするかという当事者意識を持って、具体的な現業課題に取り組んでいる事例が少なからず見受けられます。
『次代は共同体の時代!』
これらの企業に共通する最大の特徴は、
『共認の場さえ与えられれば、活力が上がっている。』
ということ。
(画像引用:http://aichi-nagoya.com/)
そして、これを実現できている企業は、
①トップが共同体理念を持っている。
②具体的な現業課題においての可能性探索が、活力上昇につながっている。
ということが共通して言える。
従って、企業のトップの認識転換によって場さえつくることができれば、私権企業から共同体企業へと転換していくことは十分に可能である。私権時代の勝者である大企業はなかなか困難かもしれない。しかし、企業の大多数を占める中小企業には、転換の可能性がある。
2010年以降は、このような共同体の上昇過程が進んでいく。現在は、まず転換することで活力UPできるが5年後には方針の正しさが問われる時代となり、いよいよ認識収束が顕在化してくる。
=理論が必要になる。
この状況から、中小企業の共同体への転換・再構築に向けて、男女役割共認を土台とした
『共同体教育』が求められることが予測される。共同体社会の制度設計と平行して、重要課題として取り組んでいく必要があるだろう。
yosshi~
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2010/02/1541.html/trackback
ireland hermes | 2014.02.03 2:52
hermes fr 日本を守るのに右も左もない | 9/23なんでや劇場に向けて~’70年豊かさ実現以降の時代状況と意識潮流年表