2010年01月04日

12/29 なんでや劇場レポート①~学者・官僚・マスコミは骨の髄まで金貸しの手先である~

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昨年最後の第110回「なんでや劇場」のテーマは、
学者・官僚・マスコミは骨の髄まで金貸しの手先である
でした。
これまでの「なんでや劇場」でも、「特権階級の無能化と暴走」や「意識潮流としての秩序収束」の問題
を扱ってきました。今回は、これらの意識潮流が歴史的に何を意味するのか?
さらに掘り下げた議論が展開されました。
レポートは、2回に亘って報告します。
【P.S.】冒頭の絵は、トマス・ホッブスの『リヴァイアサン』の挿絵です。リヴァイアサンというのは旧約聖書に出てくる海の怪獣のことです。山の上から出現している巨大な人体は、よく見ると無数の人間たちの集合体になっています。これはネーション・ステート(国民国家)の先駆モデルとされています。このような西洋人の思想は、どうも日本人には馴染みにくいと思うのは私だけでしょうか。当時の人々の意識に同化してみる必要がありますね。
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るいネット秀作投稿より引用します。
’09年末なんでや劇場は、市場論の史的深化を踏まえながら、09年の諸現象を象徴する「特権階級の暴走と無能化」の本質に迫る勉強会となった。
1.’09年は「特権階級の暴走と無能化」が決定的になった
’09年は脱官僚、政権交替、事業仕分けと大衆の特権階級への疑念が顕在化してきた1年でもあったが、他方で、既得権益を死守せんとする、特権階級の暴走、そしてその無能ぶりが明らかになった年でもあった。
小沢・鳩山といった「政治主導」を掲げる政治家たちへの執拗な「司法権力(検察)の脅し」そして「共認権力(マスコミ)の中傷」。小沢に食ってかかった宮内庁官僚の発言。普天間における国益を無視し防衛利権に固執し続けるマスコミの売国的報道。菅谷さん事件のような権力犯罪。
・・・・「国民のため」という大前提を喪失し、自分に都合のよい正当化観念を掲げて、己の利権拡大に固執するばかりの「特権階級」の暴走はあまりにも目に余る。なんといっても検察もマスコミも権力の一角を担う以上、絶対不可欠な「公正・中立に対する配慮」を投げ捨てて、偏向し、裁量権を拡大利用するその姿はまさに「暴走」というしかない。
しかも国民のため、みんなのためという対象性を喪失した言説、政策方針は、現実を混乱させるばかりの失策続きである。その結果「官僚は無能」と大衆からそっぽを向かれつつあるにも関わらず、そのような現実すら理解できていない、というのだから、もはや「無能」の極みでもある。
2.果たして歴史上、ここまで特権階級が暴走し、無能化したことはあっただろうか
古代(武力支配)国家において、国王が暴走することはあったが、国王の臣下である官僚や学者が暴走を起こすことはなかった。また国家統合という課題を忘れ、序列に胡座をかくものは、下克上や革命によって転覆させられる。その意味では、古代国家は、力と力がぶつかり合うが故に、無制限な特権階級の暴走は食い止められていた、ともいえる。
ところが市場社会になり市場権力(金貸し)が国家権力を上回るに至ると、暴走に歯止めが効かなくなる。事実、戦争の規模は近代になって何十倍にも膨れあがっていく。
とはいえ、貧困が消滅する’70年以前は、国益の拡大=国家私権の拡大=国民利益の増大、というベクトルを逸脱するような売国的行動には国民の監視圧力も働いており、それ故にそれなりに三権分立も機能していたし、マスコミも司法も「公平・中立」という大原則を逸脱することはなかった。
ところが’70年以降、国民の私権圧力が衰弱したことをいいことに、特権階級は権力行使と己の私権確保に埋没するようになり、売国的行動が多発するようになる。つまり私権圧力衰弱下での少数私権派の反動的勢力拡大である。つまり、特権階級は偽ニッチの罠に落ちたのである。
3.市場権力が国家権力を上回るに至ったのは何故か? 
古代市場は「略奪」そして宮廷サロンにおける性市場に発生する性幻想をテコにした幻想価値の捏造(騙し)にもとづく商品市場により発達した。しかし国家に寄生して始まった古代市場の規模は国家規模の枠内にとどまっていたし、性市場も家父長権の下で、その肥大化には歯止めがかかっていた。
しかし、近世になると性市場は都市全体に広がっていき、それを契機に商品市場は国家の枠を超えて拡大していった。決定的だったのは、ルネッサンス時代、人間主義(ヒューマニズム)という名の下で自我・私権・恋愛・自由の追求が是とされたことである。
古代において、私権闘争は序列原理=身分制度によって箍がはめられており、暴走できないようになっていたが、ヒューマニズムは、自由、恋愛など自我・私権の追求を正当化し、序列原理を解体していく。そして、無制限な自我・私権の追求を是とする人々の意識潮流が形成されていったことで、国家権力も、市場主義を是とするしかなくなっていった。
その結果、市場権力(金貸し)は国家権力の枠を超えて無限に拡大し、暴走するようになり、金貸しの意向を受けた学者・近代官僚・マスコミも国民の利益という枠を踏み外して暴走するようになったのである。
このことから近代思想は、その出発点から金貸しによる自我・私権の拡大を正当化のための思想であり、近代思想に立脚した学者・官僚・マスコミは骨の髄から金貸しの手先であるといえよう。実際、ルネッサンスの作家や芸術家たちを支えたのは、金貸し(メディチ家)であったし、教会に替わってマスコミや学者を育て、古代官僚制度に替わって近代民主国家=近代官僚制度を作りだしたのも金貸し(ロスチャイルド等)であった。
つまり近代市場社会成立の背後には欧州の都市全体に広がった無制限な自我・私権の追求を是とする人々の意識潮流があり、その成立背景には、自我私権追求を正当化する近代思想があり、さらにその奥には彼ら近代思想家・芸術家たちを支えた金貸しの力があったのだ。
【P.S.】教科書で習うルネッサンスなどの近世・近代史も、「金貸し」の視点(戦略)から眺めることで全く別の歴史の真実が浮かび上がってきます。明日は、西洋の特殊性も踏まえた歴史の総括を展開します。
請うご期待!! by hassy
(明日へつづく)

List    投稿者 hassy | 2010-01-04 | Posted in 12.現代意識潮流6 Comments » 

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コメント6件

 通りすがり | 2010.08.11 11:30

これは自壊だな。

  | 2010.08.13 11:53

堤未果は「貧困大国アメリカ」シリーズを読んだ時にびっくりしたが、この本も早速注文しよう。しかしすげえ肝のすわったジャーナリストだな。

 山だ | 2010.08.13 20:59

日本の末期を表す、原爆騒動と同じだ。
http://2006530.blog69.fc2.com/blog-entry-390.html

 member | 2010.08.18 12:30

通りすがり様、コメントありがとうございます。
今でも既に自壊している。
ということは
ドル・米国債が暴落すれば完全に崩壊しますね、アメリカは。

 member | 2010.08.18 12:33

誠さま、コメントありがとうございます。
是非、ご一読ください。
「自由の国アメリカ」が虚飾であること、実像は全く正反対であることがわかります。

 member | 2010.08.18 12:36

山だ様も、コメントありがとうございます。
「昭和20年の4月に、日本の皇后が赤十字国際委員会に一千万スイスフランの寄付を申し出たというのである」
この話は興味深いですね。

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