2010年10月17日

10/17なんでや劇場に向けて(4)~中世都市の法律と恋愛観念⇒ルネサンスの成立過程

引き続き、10/17なんでや劇場「社会共認の歴史⇒これからは事実の共認」の参考に、中世都市の法律と恋愛観念⇒ルネサンスの成立過程を再掲する。
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■中世都市の法律の成立過程
ヨーロッパ世界における自我・私権収束⇒近代思想の騙し構造の原点は、キリスト教の内面と外面の使い分け⇒面従腹背⇒騙しの正当化→自我の温床空間の蔓延にあったのではないかと述べたが、11世紀まではこの自我の温床空間は、頭の中だけの自由空間にすぎなかった。
ところが国家権力を凌ぐ共認権力と化した教会を金貸しが買収し(「国家VS教会の対立が秩序不安定化の原点」参照)、次いで、十字軍遠征による掠奪と交易によって商業(投機)貴族化した欧州貴族と金貸したちは、国家(皇帝)権力に対する(自我・私権の)自由空間を現実世界に作り上げることに成功する。それが中世ヨーロッパの都市である。
私権体制は必然的に面従腹背⇒自我発の自由空間(自己正当化と他者否定)を発生させる。面従腹背を正当化したのがキリスト教だが、貴族たちは黙って皇帝に面従していただけではない。王朝の転覆をはじめとする数多の私権闘争の歴史が証明しているように、貴族たちは皇帝の権力が強い時は面従腹背しているが、彼らは常に隙あらば私権の拡大⇒自らの思い通りになる自由空間の拡大を狙っていた。
十字遠征で掠奪した富を元手に商業(投機)貴族化した彼らは、皇帝権力に対して反抗し始める。そして戦争資金に窮した皇帝から土地を騙し取ってできたのが中世ヨーロッパの諸都市である。つまり、中世ヨーロッパにおける都市の拡大とは、支配権力(皇帝権力)に対する自由空間の拡大と捉えることができる。
ここで、それまでの支配観念であるキリスト教では、貴族たちにとって不都合(限界)が生じる。キリスト教はあくまで面従腹背のすすめであって、面従腹背しているだけでは私権は拡大できない。そこで、キリスト教による面従腹背(騙し)の正当化を土台として、自我・私権の正当化に思想体系を組み替えたのがルネサンス~近代思想であるが、キリスト教と近代思想を結ぶ媒介項が存在する。中世ヨーロッパの諸都市で作られた(自由空間にとって都合の良い)法制度がそれである。
面従腹背のすすめであるキリスト教では、貴族や金貸しの私権拡大要求には応えられない。そこで、中世都市の法律家たちは、大昔の「ローマ法」を引っ張り出してきて、商業(投機)貴族や金貸しにとって都合の良い解釈を加えた法体系を作り上げていったのである。(こうしてみると、法律家とは、神学論争=キリスト教の解釈論を重ねていた神官たちと本質的には変わりがない。)
その拠点となったのが中世に始まる大学である。その後も、大学は(人文・社会系の学問分野を中心として)市場の支配階級に都合の良い解釈論を捏造してゆくが、それは大学の起源である中世都市の支配階級(商業貴族や金貸し)に都合の良い法解釈から始まっていたのだ。いやむしろ、大学とは、都市という自由空間の拡大に都合の良い解釈を捏造するためにつくられたというべきかもしれない。
中世のドイツに「都市の空気は自由にする」という諺があるが、一度、都市という自由空間が作られ、それを正当化する法制度が出来上がると、国家権力に不平不満をもつ者たち(これまで面従腹背してきた層)が、都市に続々と流入してくることになる。こうして都市は自我・私権が「実現」できる空間として自我派・私権派の巣窟となっていく。その先に開花したのがルネサンスである。
■恋愛観念とルネサンスの成立過程
十字軍遠征開始(1096年)直後の12世紀に入ると事態は一転する。突如として、南フランスやシチリアに恋愛を叫ぶ言葉が百花繚乱のように現れ、性的自我を美化する恋愛観念が急速にヨーロッパに広がってゆく。これはルネサンスに先行すること、約200年前のことである。
また12世紀には恋愛物語として名高く、ヨーロッパで広く読まれた「トリスタン・イズー物語」も成立している。この物語は、王妃と騎士の破滅的で情熱的な恋愛物語で、王から邪魔されたりして、決して結ばれることがない設定になっており、最後に死んでから結ばれる。全体を通じて幻想的で奇想な雰囲気を持つ物語。
1096年十字軍遠征の掠奪による市場の持続的拡大が始まったのとほぼ同時に、性的自我を美化する恋愛観念が登場し、急速に広まった。このことは、十字軍遠征を契機として、中世キリスト教の面従腹背⇒自我・私権収束へ、性的自我の抑止⇒性的自我の称揚へとパラダイムへと急速に転換したことを意味している。十字軍遠征が性的自我のスイッチを入れたとも言える。
ちなみに、それら性的自我の正当化観念(恋愛観念)は自前で作り上げたものではなく、12世紀当時スペインを占領していたイスラムの宮廷サロンの世界を都合よく解釈して作り上げたものらしい。
身分秩序が確立した中世では、私権の拡大可能性が閉ざされており(キリスト教による性的自我封鎖も相まって)男の自我・性闘争も封印されていた。その結果、女の性的商品価値も低下して、婚姻相手は親が決めるなど、性も家父長権を始めとする身分秩序の中に封じ込められていた。これがルネサンスのヒューマニストたちが言う中世の束縛である。
ところが、十字軍による掠奪~交易を契機に持続的な市場拡大が始まり、自我⇒私権拡大の可能性が開かれた。そして、それまでヨーロッパ人の心底でマグマのように渦巻いていた性的自我というパンドラの箱が一気に開放された。そして、恋愛観念が都市を中心として急速に拡がってゆく。そして、14世紀になると、性的自我⇒恋愛至上主義の主体である個人を原点とする思想が登場する。ルネサンスのヒューマニストたちによる「人間性の回復」や「個人の自由」である。
ちなみに、それら性的自我の正当化観念(恋愛観念)は自前で作り上げたものではなく、12世紀当時スペインを占領していたイスラムの宮廷サロンの世界を都合よく解釈して作り上げたものらしい。
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List    投稿者 staff | 2010-10-17 | Posted in 12.現代意識潮流1 Comment » 

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コメント1件

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