2010年04月28日

私権原理から共認原理への大転換(自分発からみんな発へ)~自分に自信があるのは、敗者のイデオロギーに染まってる証!

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2/28(日)のなんでや劇場「私権時代に求められた能力と、共認時代に求められる能力」
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を受け、「るいネット」のお題「私権原理から共認原理への大転換(自分発からみんな初へ)」 より、皆の役に立つ投稿を紹介するシリーズの第7回です。
第1回は「潮流1:共認原理と私権原理」
第2回は「共認力だけが制覇力と統合力を兼ね備えている」
第3回は’95年、私権原理の崩壊と目先の秩序収束
第4回は社会貢献が売れるわけ
第5回は中高年層、さあどうする!
第6回はあらゆる圧力を排除する個人主義
今回第7回は「自分に自信があるのは、敗者のイデオロギーに染まってる証!」です。
やたら隠蔽し、誤魔化し、言い訳するタイプのくせに自分では気がついていない。
それどころか変に自身があってかつ自分では仕事ができると思い込んでる可能性すらある。
こういう人多いですよね。
このようなうまく行かないときに周りのせいにしたり、経営者でもよく不景気だからしょうがないと言ったりしている輩を、なんでや劇場では「自由派」と呼んでいました。

男女役割共認が企業を変える』コラム編~なんでや劇場レポート(2)~より
【3】もっと大量に(広範に)いるのが、都合の悪いことは隠蔽し、誤魔化し、言い訳するタイプ。このタイプは今やあらゆる企業で蔓延しており、危機的状況である。元々、誤魔化しは私権弱者の手法であったが、’90年バブル崩壊のあたりから私権強者にも増えてきた。
バブル崩壊の時は、金融機関のトップが「バブル崩壊は誰も予測できなかったから仕方がない」と言い訳を繰り返した。今やほとんどの経営者が「不景気だから仕方がない」と言い訳している。

さらにこの自由派について、るいネットに参考になる記事がありました。
ここではそれは敗北主義ともいえる「敗者のイデオロギー」であると言っています。
自分主義は敗者のイデオロギーに転落した② それだけではない。生存圧力の消滅に伴って、人々は(自分以外は全て敵とする私権闘争によって封じ込められていた)共認充足の可能性に収束し始めた。
自分=同一化できる対象(村田さん)
>自分探し」や「個性」などといった、上の世代からの押し付けの言葉に誤魔化されず、意識を「みんな」に向けること。「みんな」の中に同一性を見つけること。(井上さん)
そのような中で、考えてみれば現在「自分って何?」という問いが発されるのは、仲間関係であれ仕事であれ上手くいっていない時であろう。
当然上手くいかないと言う事は、周りの期待と自分の言動にズレがあると言う事である。(逆に上手く言っている時はそのような事は考えたりしない。共認充足が第一の時代には上手く言っている状態とは周りの期待と同化できている状態である。)
しかしそこで「自分」に拘ればどうなるか。ますます周りとずれて行き、その結果益々「自分」に拘ると言う悪循環に陥る事は必然である。
それを断ち切るのは、先ず周りの期待を探り、自分を改める道しかない。つまりトコトン周り発の思考に切り替える事しかない。
その意味で今や「自分」主義とは敗者(負けイヌの遠吠え)の思考なのである。
これは2004年に書かれた記事である。現在では「自分って何!」って悩む人は少なくなったように思う。でも自分主義者 自由派に変わったと考えると今やそれが大量に存在していることがわかります。
彼らが使う言い訳は敗北さえも正当化するということであり、今やそれが敗北主義というイデオロギーと化している。
よく見ると彼ら自由派は「自分って何?」という存在不安すら感じていない。
実はそのことに気がつかないことそれ自身がもっとやばいのだ。
この元々、私権弱者の専売特許だった言い訳・誤魔化しがトップを含め至る所に蔓延し、指揮系統がズタズタになり、私権体制の崩壊を加速しているのだ。
続く まずは クリックして

 

(さらに…)

  投稿者 tennsi21 | 2010-04-28 | Posted in 12.現代意識潮流6 Comments » 

自主管理への招待(2) 社会は、生産力の転換によってしか根底的な変革を遂げることはできない

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「自主管理への招待シリーズ」の第二回目です。
前回に続き今回は、時代が意識生産へと転換した今、生産様式のみならず生産関係の転換の必要を提示しています。
人々の生活は「生産様式」を土台として、その様式に適応するかたちで定められた政治や制度に規定されます。
つまり人々の現実と社会は繋がっており、ならば社会(あるいは会社)からの一方的な法律・規則の「押し付け」も、個人から社会(あるいは会社)への一方的な「要求」も、本質的には社会(や会社)を変えていく力にはなりえません。
社会を規定する生産の「様式」と、日々の生活を規定する生産の「関係」のあり方を考え、提示していくことこそが、社会ひいては日々の生活を変えていくことになるのです。
それは与えられるものではなく、私達が自らその在り方を考えていくことから始まります。
本文紹介のまえに応援をよろしくです。

(さらに…)

  投稿者 heineken | 2010-04-28 | Posted in 未分類 | No Comments »