アメリカ崩壊後、イスラム世界の可能性はあるのか? 1.マレーシア編
※この塔は、クアラルンプールにある超高層ビル「ペトロナスツインタワー」で、イスラム様式でマレーシアのモスクに似せて作られています。
当ブログの過去の記事『アメリカ崩壊後の世界~イスラム世界の可能性は?』で
目前に迫るドル暴落・アメリカ崩壊後の世界において、人々が奪い合い殺し合う事態が起きるのか、調和的な世界に移行するのか、その大きな鍵を握るのが世界人口65億人の約20%を占めると言われるイスラム世界の動向です。民主主義や人権といった西洋的価値観とは相容れず、日本人にもなじみの薄い彼らですが、その本源性には大いに着目すべき点がたくさんあります。
と記しました。そこで、イスラム教の共同体規範について調べてみました。
イスラム教の具体的な規範内容としては、労働せずに預金して富を死蔵することや、金を貸しつけて儲けたりすることが禁止されていたり、一夫多妻制(男に都合の良い制度ではなく、それぞれの妻に対して公平な対応が必要とされており、一対婚制度よりも高い本源性が求められる)が挙げられます。
中でも、今回着目した規範内容としては、イスラム教徒の義務である『喜捨(ザカート)』です。一体、『喜捨(ザカート)』とは、どのような規範内容なのでしょうか?
『喜捨(ザカート)』は、自発的に寄付や施しをする、という意味です。これはイスラム共同体の相互扶助に基づくもので、こうした善行によって、より天国に近づくという意味も持ち合わせています。
また『喜捨(ザカート)』を通じて、富の偏りを均しています。イスラムの富の分配と資本主義および共産主義との違いは、稼いだ後に共同体のための自律的な還流がザカートによって構成員の義務として仕組まれていることです。
インドネシアでの具体的な施しについては、貧しい人が一人1年に米1リットルで許されるのに対し、金90g以上の余剰財産所有者は財産の2.5%を供出する必要があります。これらをイスラム教財団が受けとり一定の基準で貧乏人に配分します。(貧民は『喜捨(ザカート)』を受ける資格があります。)また、義務としての『喜捨(ザカート)』以外に自発的な意志に基づく喜捨もあり、断食明けとメッカ巡礼後の犠牲祭りのときに、金持ちは資力に応じて羊や山羊を喜捨し、解体された肉が貧乏人に配られます。 他にも、土地や資金の寄進を受けて教会や孤児院を建て、社会福祉を行ったりします。
このように、『喜捨(ザカート)』は、事実上の租税として機能しかつ社会保障としての役割を果たしているのです。イスラム教の規範内容の中でも、この『喜捨(ザカート)』という社会制度が徹底されれば、アメリカ崩壊後の社会でも、秩序維持を保つ可能性が高いと思われます。
そこで今回は、東南アジア諸国の中で、イスラム教を国教とし反米色の強い「マレーシア」と、世界最大のイスラム教徒を抱える「インドネシア」の2国における『喜捨(ザカート)』の確立状況を調べ、アメリカ崩壊後の両国家の可能性を探っていきます。
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■マレーシアの概要
マレーシアは東南アジアのマレー半島部諸州とボルネオ島にあるサバ、サラワク両州および連邦特別区から構成されており、総人口およそ2,664万人、その民族構成は、マレー系65.1%、華人26.0%、インド系7.7%です。
また宗教別の人口構成は、最大多数派のイスラームが60.4%、仏教19.2%、キリスト教9.1%、ヒンドゥー教6.3%、儒教・道教およびその他の中国伝統宗教が2.6%となっています。
■マレーシアにイスラム教が浸透した理由
マレーシアにイスラム教が浸透し始めたのは、14世紀頃です。当時のマレーシア(マラッカ王国)は、中東と東アジアを結ぶ航路の寄港地であり、様々な民族が行き来し中継貿易が盛んでした。この地域を支配していた国王が、王国を隆盛させるために、アラブの商人を引きつける必要があったので、イスラム教を受け入れました。
国防同盟関係にあった明王朝(現在の中国)の海軍大将もイスラム教徒だったので受け入れる素地はあったにせよ、当初はアラブ商人を呼び寄せるため、いわば利益を求めて宗教を受け入れたと思われます。
当時は大航海時代前だったので、ヨーロッパ諸国の影響を受ける前に、イスラム教国化されたため、キリスト教はごく限られた地域にしか浸透しませんでした。また陸路よりも海路での交流が活性化していたので、隣国のタイ王国や大国のインド以上に、イスラム商人との関係を深めていったため、イスラム教の影響が国内に浸透していきました。
16世紀以降、マレーシアは欧州諸国に支配され続け、18世紀に英国にマレーシア全土が植民地化されてからは、錫鉱山や農業プランテーション開発の必要上、インド人や華人の移住が進んだことで、ヒンドゥー教や儒教も輸入されていきました。
戦後独立し1970年代になると、マレー人の間で、『ダウワ運動』と総称される、イスラムへの回帰、イスラムを生活・社会の規範として取り入れる様々な運動が起きました。その代表格が、青年層によって組織されたマレーシア・イスラム青年運動(ABIM)です。
1981年にマハティール政権が成立し、1982年にはABIMの総裁であったアンワル副首相がマハティール政権に合流してからは、行政にイスラム的規範を反映させる「イスラム化」政策をとるようになります。
そのため、行政においても、特に教育、金融、流通、さらには司法などにも「イスラム化政策」が導入され、外交やモスク建設予算増額などにも「イスラム化政策」の影響が見られるようになりました。
■マレーシアにおける『喜捨(ザカート)』
マレーシアでは、『喜捨(ザカート)』を、国策として取り入れています。この『喜捨(ザカート)』は、税額控除として認められているので、このインセンティブによって、喜捨する人たちは喜捨を集める機関に競って支払っています。
ディディン・ハフィドゥディン教授は、マレーシアにおける『2001~2006年の喜捨と税の受け取りデータ』を示し、喜捨の増加が税支払いの増加を伴っていることを指摘しています。従って、喜捨が税額控除となるのであれば、喜捨も税収もかえって増えていくことが分かります。
今までの流れをまとめると、14世紀頃マレーシアにイスラム教が浸透していきますが、国内に広く浸透したのは、戦後のマハティール政権の「イスラム化」政策。マハティール政権が、行政にイスラム規範を反映させた政策(『喜捨(ザカート)』の国策化など)をとったため、国内にイスラム規範が広く浸透していきました。
■アメリカ経済崩壊後のマレーシアの可能性
今後のマレーシアを考える上で、ルックイースト政策で工業国に転換したマレーシア経済を牽引してきた輸出産業の動向を注視する必要があります。マレーシアはGDPの30%が製造業で、その中でも、電子・電気製品が過半を占め、アメリカ・シンガポール・日本・中国へ輸出しています。
アメリカ経済崩壊後、物的市場が縮小し、贅沢品から縮小していきます。一方で、生活に不可欠なエネルギーや食糧は、そこまで縮小しません。従って、電子製品などの高付加価値品を輸出するマレーシアは、製造業の輸出が伸び悩み、マレーシアに進出している外資が撤退していくと思われます。
製造業の縮小で失業者も出てくると思いますが、マレーシアは土地が広く人口も少ない上に、気候にも恵まれているので、農業に最適な環境なので、今後、工業から農業にシフトしていくと思われます。また、マレーシアは天然ガスなどの資源を発掘できる国なので、信用収縮経済では貿易の主導権を握ることになります。
■結論
これらを踏まえ、アメリカ経済崩壊後のマレーシアを考えると、今後製造業などの高付加価値品の輸出は衰退していくことになりますが、イスラム規範も国家全体に行き届いている(喜捨制度も国策として取り組んでいる)ことに加え、衰退する製造業の受け皿として、農業・資源が充実していることから、人々が奪い合い殺し合うといった大きな混乱も発生せずに、安定した政治体制を保つことができる社会になるのではないでしょうか。
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