【日本の活力を再生する】“働く”をつくりなおす企業4~まずは、なんでもやってみる~
前回は江戸時代の百姓と現代の副業とを比較しながら紹介しました。(前回リンク)
今回は、現代において百姓的に働くとはどういうことか?どのようなものがあるのか?を紹介します。
【共同体的精神=多様な役割を見つけ出し担い合う】
もともと百姓は、農業を仕事としながら、その地域のなかで足りないもの・役割を見つけ出し、担い合い、“兼業”していました。
地域をどうする?どう良くしていく?を持ちながら、何でもやってしまう。そんな共同体的精神があり、それが当たり前でした。
この「地域」を「企業」に置き換えてみると、現代における百姓的働き方のヒントが見えてきます。
現代、大企業では課題をとことん細分化・専業特化させていき、たった1つの課題・仕事のみをさせるようになりました。会議の席決めしかしない、出張手続きのみやる、などなど。企業のなかで1つの部署・所属・組織的位置付けだけが彼らの役割となってしまった。(これを聞いてしまうと「副業」をする感覚も分からなくないなあと思います)
ただ、
日本の企業のほとんどは中小企業だという事実を忘れてはいけません。
300人前後~数人の企業の人たちは、会議の席決めも、手続きも、掃除も施設整備も、自分たちで担っています。
実は多くの人が百姓のように“兼業”しているんです。
(副業ブームは、国やマスコミが大声出してつくりあげたもの。いかにも、それが主流化しているに見せかけているだけなのでは?という仮説も浮かびます)
実際の事例をひとつ、紹介します。
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≪カヤックにはもともと「兼任の文化」が根付いており、人事部専属社員であってもディレクターを兼任していたり元クリエイターが人事を担当していたりと、明確に分断されていない文化があった。…社員の重大なミッションは、「社員が面白く働ける仕組みを考えること」。採用活動にももちろんかかわることになるが、それよりも「全社員で面白く働ける環境を作る」というところに重点が置かれている。https://media.o-sr.co.jp/news/news-854/≫
≪全員人事部という肩書が名刺についたことや事例が出たことによってみんな人事部として本当に誰と一緒に働きたいのかというところは意識して普段からいろんな人と接したりとか、働く中でも自分が一緒に働きたい人ってどんな人だろうと考えるようになったと思います≫
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人事課題に対して、企業内で完全に役割・役職、それに従事する社員を固定するのではなく、みながその役割を担うという体制です。以前の全員経営とも近しい感覚ですね。
(【日本の活力を再生する】“働く”をつくりなおす企業2)
全員が人事に所属しながら各事業の仕事も“兼業”しているといったかたちです。
実は、わたしも企業内のあらゆる役割と事業課題を“兼業”しているんです。
採用サイト運営や面接といった人事課題、社内会議の席決めや準備といった組織課題などなど。もちろん企業の経営源となっている本職もやりながら。
(時には社員向けに居酒屋企画をやったりもしています(笑))。
入社した時から、この働き方・働く感覚が当たり前でした。
たまに、他社の方と話をするなかで、上記の話をすると「色々やってて、大変そうだね」と言われることがあります。
それに対しては、いつも「楽しいですよ」と答えます。
そもそも、「仕事は大変なもの」なのでしょうか?
なんでもやれる、やってみることが出来る。そこには、大変という意識は全くなく、ただただ楽しい気持ちだけ。
カヤックさんのような企業体制づくりは、地域をどう良くしていくか?を考えていた百姓のように、企業をどう良くするか?を社員ひとりひとりが考えるようになると感じます。そして、それが良い意味で「当たり前」の感覚になり、企業づくりに頭をフル回転させていく。ここに頭を使った分だけ、企業人材としても、人間としても成長していく。逆を言えば、そういった取り組み方へ柔軟に転換できる企業が、この先、生き残っていくのではないかと思います。
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ebizoo | 2022.03.08 21:07
最近面白くない。
類チームが果たすべき使命を放棄したんですか?
子どもは未来そのもの。それに真正面から向かえない事情があるなら、それは間違いではないですか。
類ネットの知的頂点をなすこのページの意味がない。
100年後、歴史の転換点になるかも知れない2022年 遥か遠くから眺めるような視点 類ネットの存在理由が問われているような気がしてなりません。
残念です。