2012年06月04日

江戸時代の思想17 西欧の侵略に対してトコトン無能だった中国の科挙官僚と、敵を直視した徳川幕府

本居宣長をはじめ、日本の多くの思想家が潜在的に縄文体質から平和な世になっていることを肯定し、一方で戦乱と王朝交代に明け暮れている中国の現実と儒学を否定しました。
そして、日本は平和でよい国という日本(縄文)肯定論が広がり、その根拠は、王朝交代しない天皇がいるからという「尊王論」が登場しました。
 
このように、日本人本来の縄文体質が肯定化され、儒学(中国)が否定される中で、西欧からの侵略圧力がかかってきます。
 
そこで、日本の思想はどのように変化したのでしょうか?
その前提として、西洋の侵略圧力に対して日本の幕閣がどのような対応をしたのか、中国の科挙官僚たちと比較してみていきます。
 
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概説 日本思想史より引用
 

西欧文明との出会い
 こうして「理」の観念が,近世の思想を主導したのであったが,その歴史的な意味が根底から問われたのは,西欧文明との出会いであった。西欧は,ポルトガルとスペインが覇権を競った16世紀に,まず鉄砲とキリスト教をもった南蛮人として登場した。キリスト教の伝来は,思想史的には重要な事件であったが,17世紀以降の徹底した禁教政策によって歴史の表面からは姿を消してしまう。その後の日本は,政治批判やキリスト教と結びつかない蘭学という回路によって西欧文明の一部を受容していく。再び西欧世界が現れた時,世界史は植民地分割の時代に入っていたから,それは,何よりもまず軍事的な脅威として出現した。
 
 かつてこの列島に暮らす人々は,朝鮮半島を通じて中国文明と出会い,文字を学び,物事を概念化することを体得した。高度な制度としての国家を形成する技術も,すべてここから受容したのである。さらに中国文明を通じて,インド亜大陸に生まれた仏教を学び,現世を超越する価値の存在を知るようになった。これらの出会いは,海を隔てた穏やかなものであったが,西欧の軍事的な脅威は,海ゆえに深刻なものになった。海原の広がる限り,彼らはどこまででも乗り込んでくる。しかも西欧文明は,単に軍事力としてあるだけではない。地球の裏側に軍艦を派遣させるには,どれほどの自然科学的な知識や技術力が必要か,未知の世界に臆することなく出向く彼らを支える強靭な精神力は,何に由来するのか。日本ははじめて,理解を絶するおそるべき他者と向かい合ったのである。
 
(中略)
 
 軍事力を伴いながら強烈に自己主張してやまない西欧文明による植民地化の危機を前にして,どのように自分たちの政治的・文化的アイデンティティを守るのかという課題は,東アジア世界に共通に突きつけられた課題だった。結果的に日本は,西欧の植民地となることを免れただけでなく,いち早く琉球王国を近代日本に組み込み,朝鮮半島へ,さらに東北アジアヘと利権を狙っていくことになる。そうした進展は,複雑に錯綜した事柄の連鎖によるものであるが,近世の日本に,その要因のいくつかを求めることは可能だろう。まず西欧の軍事的な脅威に敏感に反応したのは,中国や朝鮮の科挙官僚(読書人)とは異質な性格を日本の指導者層が持っていたからである。
 
 東アジアの中で,なぜ日本にだけ,長期の軍事政権(幕府)が存続したのかという大きな問題に,それはつながる。「武」に対する「文」の支配という東アジア文明の原則は,こと日本にはあてはまらなかった。しかし日本の武士階級は,単に武人だったわけではなく,武人らしい剛毅をもって,しかも「理」の思想の蓄積の中で自己確立する訓練を経て,修身と治国を自己の責任で果たすべきだという理念を疑わなかった。それは,西欧文明との出会いを,ある意味で成功裡に乗りきった一つの要因である。しかしその反面,近世を通じて形而上的な「理」の探求が弱かったことに加えて,幕末以来,「理」が自然科学や軍事技術の面に傾斜して捉えられがちで,心の「理」の探求という次元で,西欧文明と自分たちの思想的な伝統との対決が先送りされたことは否定できない。中国や朝鮮が,西欧文明と自らの精神的な伝統との正面からの衝突に苦悶するのに対して,日本の場合,そうした葛藤を巧みに回避しながら,近世の中に育てられた民族意識の延長上に近代の国民国家を構築したのである。

 
18世紀後半になると西欧の侵略圧力がアジア全域にかかり始めます。
それによって、中国(清)は半植民地化されましたが、日本の徳川幕府は圧力を巧みにかわしながら植民地化を回避し、近代化を図っていきました。
このように、現実の『西欧からの侵略』という圧力に対して中国の官僚政治と日本の徳川政治は全く異なる対応をとりますが、この違いを試験制度(科挙官僚制度)の有無という軸で考えていきます。
 
 
●西欧の侵略に対して、中国の科挙官僚はトコトン無能だった(アホそのものだった)。
【1】西欧に敗北し侵略されたにもかからわず、科挙官僚は中華思想から脱却できなかった。

中村春作「『知識人』論の射程」(『日本思想史研究会会報』第16号、1998.11)より引用
 
佐藤慎一は『近代中国の知識人と文明』の冒頭で、貝塚茂樹が目撃したエピソード、著名な老儒(柯劭)が「『四庫全書』には中国の書ばかりをとっているが、聞くところによると泰西の諸国も近来学問がだいぶ進歩したというから、今度の『続修』には、この西方の蛮夷の著書も少しは採用してもいいのではないか」と、民国十七年(一九二八年)の編集会議に至っても語ったという、たいへん印象的な逸話を紹介しつつ、中国の伝統的「知識人」にとって、華夷秩序思想から近代文明論的自己認識への脱皮がいかに困難な知的組み替えであったか、そしてそうした新たな文明論的相対観に基づく「国民国家」の内在的理解が、彼らにおいてどのように屈折して進行したかを説得的に論じている。

 

「科挙官僚とプロフェッショナルをめぐって」
 
「いわゆる『西洋の衝撃』に晒された十九世紀後半の中国において、政治を担い、各方面にわたる改革―とりあえず『近代化』という言葉で一括しておく-の任務を担当することとなったのは、学者=官僚である士大夫たちであった。別な言い方をすれば、あたかも柯劭のような学者が、官僚としての立場で、近代化の任務を担当したのである。それゆえ、十九世紀後半の中国の近代化には、善しにつけ悪しきにつけ、士大夫の精神構造が刻印されている。
 
十九世紀半ばの中国においては、柯劭のようなタイプの学者が、孤立した少数派ではなくて、多数派であった。しかも単なる多数派ではなくて、知識人世界の圧倒的な多数派を占めていた。加えて、彼らは単なる学者ではなく、同時に官僚として行政を担う存在であった。

 
中国の学者であり、官僚であった柯劭は、「西欧の学問もだいぶ進歩したようなので、『四庫全書』の続編にはこの西欧の著書を少しは採用してもいいのではないか」と言っており、中国が西洋に敗北し半植民地化されているという状況が全く見えていなかったようです。
 
中国の科挙官僚がいかに現実を捨象していたかということがよくわかる事例ですが、柯劭のような官僚は少数派ではなく圧倒的多数派だったようです。
 
このように、科挙官僚は西欧に敗北し侵略されたにもかからわず、中華思想から脱却できず、状況が全く見えていない無能そのものでした。
 
 
【2】西欧の侵略という全く新しい外圧に晒されても、科挙官僚は外圧(敵=西欧列強)を直視せず、古典や先例の中に解答を求めた。
 

「科挙官僚とプロフェッショナルをめぐって」より引用
 
「士大夫の精神構造」
「同時代の世界において、中国以上に完備した礼秩序を有する社会が有り得ないことは、士大夫にとって自明の前提であり、それゆえ、礼秩序そのものが可変的にであるとしても、中国が夷狄である西洋にならって自らの礼秩序を変更しなくてはならない理由は、どこにも存在しないのである。
  
中国文明には、本来、全てが備わっていなくてはならないはずで、たとえ文明にとって末梢的なものであったとしても、自然科学や機械技術が中国に欠如しているという事態は、彼らにとって説明することが困難な事態だったからである。かくて動員されたのが諸子百家の書である『墨子』であった。…このことをもって、士大夫たちは、『西学』の源流が中国に存在すると断定した。西洋の自然科学や機械技術は中国に起源を持ち、それがインドを経て西洋に伝えられ、現在のような隆盛を見たというのである。
 
士大夫にとって、古典や先例から外れる独創的な解答を模索することは、不可能に近いほど困難なことであった。…さらに、古典や先例の中に正しい解答が存在しないことを認めることは、士大夫の自己否定につながることであった。・・・危機への対応策を模索する士大夫たちは、古典や先例の中に正しい解答を求めるほかはなかった。

 
これは、現在の統合階級も全く同じ構造です。
「学者や評論家やマスコミ人=観念思考の専門家たちは、近代観念をメシの種にして生きているので、決して近代観念を捨てることは出来ない。もし捨てれば、たちまちその地位を追われてしまう。『るいネット』「新理論が登場してこない理由2 専門家は根本追求に向かえない」
  
西欧の侵略という全く新しい状況に直面した場合、まずは対象を直視する(=敵の情報を収集する)のが闘う基本ですが、科挙官僚はそれより古典という、科挙官僚の正当化観念に収束します。これでは外圧と対象が捨象されているので勝てるはずがありません。
 
  
【3】族益に励む科挙官僚は、私益(族益)が全てで、国益のことなど全く考えなかった。

専修大学社会科学研究所月報「石川啄木の回心と明治日本論」(2)清朝末期の中国
 
科挙官僚のほとんどは、宗族の「義田」からの収入で科挙試験を受け合格した者であり、見返りに出身宗族の「族益」に貢献する。官僚は儒教的教養で徳治する建前になっていたが、実際は俸給が小額なため「寄贈・手数料・副業(密貿易・墓碑銘揮毫・土地経営)」でレントを獲得し、同族出身の商人に特権=「商業の自由」を付与しレントを得ていた。
 
剰余は族益として狭隘な同族に滞留し祭儀に浪費され、国民経済の拡大=再生産のファンドに活用される経路と制度がない。官僚に高い地租を定められ収奪される自作農は自己所有の土地(編戸)を地租代わりに手放し、小作人(佃戸)に転落する。彼らの土地は地租の安価な「官戸」として宗族に払い下げられ族益の基盤となる。収入不足の小作人は、宗族が族益を投資して経営する都市ギルドに出稼ぎに行っては帰郷する。佃戸は小作料が支払えず、流民となり中国の底辺に淀み、暴徒となる。
 
族益に励む科挙官僚には、中国の資金・生産物・資源・土地など近代化に不可欠な資源を体系的に組織して中国近代化の政策体系を構築する問題関心がない。清朝科挙官僚は、海外から商業的野心をいだいてやってくる者たちに、彼らの儒教的教養で優越感をもって対し、中国には何でもあるから外国に学ぶべきものはないという「尚古主義」を墨守するが、19 世紀産業革命前後の欧米列強が製品と原料の世界市場をもとめ、特使が清朝官庁内にドカドカやってきて、ああしろ、こうしろと指図すると、科挙官僚はただ諾々するだけである。
 
科挙官僚たちが儒教的教養を誇り実践的な事柄を見下す「徳治」の無能ぶりを、早くも1834 年、広東通商の貿易監督官として派遣されたイギリスのジョン・ネーピアに対して暴露する。清朝官僚は、「商業の如き俗事は商人自身によって決定されるべきもので、官の関わるべき事柄ではない」と虚勢を張り、ネーピアに広東から退去させた。ところが、その翌年1835 年、近代国家構築の資金を蓄積するために決定的な条件である清朝の関税収入の監督権限を、何と、外国人に委譲してしまう。
 
地方下級官僚(書史・衙役)はほとんど無給であったため、地方政府は正規の租税徴収以外に地方的徴収[徭役(労役)=付加税(銀納)]を行ってきた。彼らは人民から手数料(陋規)も徴収する。そのレントは「下級官僚→州県官→府省上級官僚」と上納され吸い上げられてゆく。清朝レント・シーキング・システム=「規礼の上納制」である。そのような見入りに汲々とする清朝科挙官僚はひたひたと押し寄せる新時代の波に気づかない、気づいても対応できない。貴重な資源が古い権益を守る軍事費に費やされ、あるいは、外国に流出するのを傍観している。

このように、中国の科挙官僚は、現実圧力(西欧からの侵略圧力)に対してとことん無能(アホそのもの)でした。
  
また、中国と同じく、科挙官僚が支配する朝鮮でも、アヘン戦争で中国が敗北しても、危機意識がうすく、9か月もたってから、報告書が提出されました。その内容も簡単なものだったので、指導者層も国際情勢の急変に気がつかなかったそうです。
 
●それに対して、試験エリートではない徳川幕府は、鎖国時から海外の情報収集に努めていた。
 
【1】幕府の情報収集は鎖国時でも怠ることなく綿密に行っていました。欧米のあくどい手口を知るにつれ、幕府の警戒心が高まっており、通商と呼びかけて、やがて狼に変身する内実も知っていました。この情報収集が日本の植民地化を防ぐ事が出来たのかもしれません。
 

『るいネット』「幕府の情報収集能力が日本の植民地化を防いだ」
 
鎖国の日本は、世界から遠く離れていたにもかかわらず、幕府はアジア大陸の南部で何が起こっているか正確な情報を収集していた。
この一連の報告書は、日本の外で何が起こっているかを知る幕府の重要な情報源であった。その際、驚くべきことは、十数世代にわたるどの将軍の下における幕府も、その報告内容を決して疎かにしなかったことである。
インドが、かくも悲惨なやり方で、もう取り返しのつかないところまでイギリスの完全な支配下に陥ってしまった情報は、日本に大きな不安を与えるきっかけとなった。
 こういった情報を、幕府は長崎の出島にいるオランダ人と中国人の商人たちから定期的に得ていた。情報の流れは日本側で厳しく調整され、極秘情報として形式が準えられた。

 
【2】『るいネット』「幕府は欧米の侵略に対して、防衛のために唯一欧米の武器製造技術を密かに導入していた」
 

アヘン戦争を、江戸幕府ほど高い関心を持って注目していた政府が世界のどこにあったろう。アヘン戦争に至るまでの前史、敗北した彼の中国の惨状を、日本の政府ほど熱心に分析した国も他にはなかった。危機感は幕府内部にとどまらず、広く一般大衆の間にも広がって、侃侃諤諤の議論が行なわれた。アヘン戦争に至る経緯に関する本と、戦争が終わってからの中国の惨愴たる有様が書かれた本が出版され、多くの人に読まれた。
アヘン戦争が終わる1842年、幕府は全ての大名と各沿岸砲兵中隊の指揮官全員に、アメリカの船が江戸湾に入ってきた1837年の時のように挑発Lて砲撃をするようなことを絶対してはならない、そうなったらどんな事態に発展するか予測がつかない、という厳重な指示を与えた。
と同時に幕府は、兵器を早急に近代化し、沿岸と港の防備を徹底的に強化し、二百年もの間放棄していた艦隊を建設して、国の最低限の防衛になり得ると考えた。そういう事情だったので、ペリー司令長官の黒船、東インド艦隊を率いて現れる十年前にはすでに溶鉱炉は操業し、鍛造工場や鋳物工場が建設され、大砲を製造することができる旋盤とフライス盤の開発が始められていた。蒸気機関はオランダの設計図に基づいて造られ、固定した動力装置として次々に工場に設置されたり、エンジンユニットとして船に取り付けられ始めていた。

西欧の圧力に対して、幕府は無策であったかのように歴史では語られますが、幕府は固定観念に捉われることなく、ゼロから西欧列強の情報収集をしており、手を打っているました。
そして幕府は、西欧の金貸しに支配された官軍(薩長)との内乱とそれにつけ込んで西欧が植民地化するのを回避するため、大政奉還という世界史上例のない奇手を打ちます。この幕閣の努力によって、日本はかろうじて独立を保ち得たのではないでしょうか。 
また実は幕閣は優秀で、「明治維新は反動クーデター」という説もある。リンク

「◇ 近代化の基礎は幕府が作った。明治政府ではない」
近代的な艦船の製造はぺリー来航わずか3ヶ月後、幕府は浦賀奉行所の与力たちに近代的造船所の建設を命じ、日本最初の洋式軍艦「鳳凰丸」が翌年に完成している(もちろんまだ帆船であるが)。
 幕府のままでは近代化などおぼつかない、明治維新が必要だった、と言うのはウソで、幕府の方が変わり身ははやかったと言ってもよい。むしろ偏狭な攘夷思想をもった薩摩藩士らが外国人を襲撃したりして、日本を混乱させ、発展を妨害したくらいである。
「◇ 進歩的だったのはむしろ幕閣」
開国が避けられないと判断した老中達は、1858年7月10日にオランダ、11日にロシア、18日にイギリス、29日にアメリカ、9月3日にフランスと一気に条約を結び、諸外国が互いにけん制しあうように立て続けに条約を結んでしまう(この老中達は安政の大獄で失脚する)。この時点で、あまり日本に対する諸外国の危険はなかったといってもよい。このまま徳川幕府に任せていたら、明治政府のような偏執的被害妄想政治にならず、緩やかに立憲君主制に移行し、文明開化の速度も速かったかもしれない。
「◇ 日本は貴重な幕府の人材を失った」
これらの施策を中心に行った人間は、日本最初の株式会社を作らせ、さらに近代殖産興業を指揮した外国奉行、小栗忠順である。
 当時不平等が問題になった、通商条約の交換レートを定める下田条約において、その交換レートでは日本の金貨の純度が高すぎて、3倍くらい金が失われることを知り、小栗はアメリカの造幣局に乗り込んで目の前で金の純度を測らせ、納得させる。そしてすぐに金の量を3分の1にした万延小判を鋳造する。不平等条約でもっとも問題になった点は実は幕府の手できちんと解決していたのである。
 その後、小栗は横須賀製鉄所の建設、富岡製糸場の設計、郵便制度の創設を計画、鉄道網敷設の計画を推進、幕府で初の紙幣発行、さらにフランス語学校の設立と立て続けに、日本の近代化の計画を実行に移していく。
 日本の近代化の壮大なビジョンを描いた幕末の人材、それが失われたのが明治維新だった。

『るいネット』「ロスチャイルドに乗せられた明治維新と日露戦争」
にあるように、実際、明治政府はロスチャイルド政権です。何とか日本の独立を保とうとした幕府は、ロスチャイルドの息がかかった薩長に対抗して、大政奉還という奇手によって内乱を回避し、形上の独立は維持したものの、明治政権はロスチャイルドに支配されてしまったというのが事の真相でしょう。
 
しかし、明治政権をつくった薩長の下級武士→明治の元勲たちも決して無能ではありませんでした。
「幕末の志士亡き後、戦前の試験エリートは失策に失策を重ねた」
 

日清・日露戦争までに至る日本の近代化は、幕末から明治維新の激動期をくぐり抜けた(近代教育を受けていない)下級武士出身者によって実現されたものだった。
西郷隆盛然り、大久保利通然り、伊藤博文、大村益次郎然り・・・。
幕末下級武士出身の最後の大物である、山県有朋が死去したのが1922(大正11)年。
幕末~明治の激動期を生き抜いた指導者群がいなくなり、試験制度のエリートたちが政治・軍事・経済を支配するようになって以降、彼らエリートたちが失策に失策を重ねた結果、日本は道を誤ってゆく。対中21か条要求・シベリア出兵・金解禁など、その事例は枚挙の暇がない。

 
西欧の圧力に対して、対象(敵)を直視せず、トコトンまで無能を極めた中国・朝鮮の科挙官僚たちと同様、試験エリートに支配された大正以降の日本も転落の坂を転げ落ち、金貸しに支配されることになります。
 
 
西欧の侵略に対する、中国の科挙官僚と徳川幕府の対応の違いを試験制度・試験エリートの有無という違いで切開していきましたが、まとめると以下のように言えます。
 
試験制度(科挙官僚制度)は
①正当化観念によって外圧と対象が完全に捨象される。
②エリート意識(私権意識)に塗れて、国益(社会的期待)が完全に捨象される。

それによって試験エリートはトコトンまで無能化するのです。
そして、これは
現代の日本の特権階級(官僚、政治家、マスコミ、学者)も同じ状況にあると言えます。

List    投稿者 MASAMUNE | 2012-06-04 | Posted in 04.日本の政治構造13 Comments » 

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コメント13件

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