2012年06月04日
江戸時代の思想17 西欧の侵略に対してトコトン無能だった中国の科挙官僚と、敵を直視した徳川幕府
本居宣長をはじめ、日本の多くの思想家が潜在的に縄文体質から平和な世になっていることを肯定し、一方で戦乱と王朝交代に明け暮れている中国の現実と儒学を否定しました。
そして、日本は平和でよい国という日本(縄文)肯定論が広がり、その根拠は、王朝交代しない天皇がいるからという「尊王論」が登場しました。
このように、日本人本来の縄文体質が肯定化され、儒学(中国)が否定される中で、西欧からの侵略圧力がかかってきます。
そこで、日本の思想はどのように変化したのでしょうか?
その前提として、西洋の侵略圧力に対して日本の幕閣がどのような対応をしたのか、中国の科挙官僚たちと比較してみていきます。
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