2012年02月19日

江戸時代の思想2 中国の支配観念=儒学は、科挙官僚の正当化観念である

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画像は『感謝の心を育むには』からお借りしました。
江戸時代の思想を考えるに当たり、儒学、とりわけ朱子学は無視できません。
儒学は江戸時代になってから中国から輸入されたものですが、その思想体系は(本家本元の中国では)どんなものであったのか? 
まず、その思想体系を押さえてゆきます。
(孔子がつくった儒教と区別する意味で、「儒学」という名称を使います)
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『日本政治思想史』(渡辺浩著 東京大学出版会)「第一章 中華の政治思想-儒学」の要約です。
孔子によって大成されて以後、他の諸思想との抗争に勝利し、紀元前から2000年以上、世界屈指の大帝国の正当思想として君臨した儒学の政治思想の体系を概観する。

●天と人
天・地・人からなるこの世が、この世のみが存在する。あの世などというものは無い。仏教者が言うようにこの世は所詮「虚妄」だなどということもない。
天とは現代日本語では「大自然」「大宇宙」に近い概念で、人間も大自然・大宇宙の一部であり、その働きによってそこから生まれ、そこに帰ってゆく。天の大いなる働きによって、人間も生かされている。これが不動の基本的な天意である。こうして儒学者は、超越的人格神など無しで、天=大自然に依拠して、倫理と政治の哲学体系を構築しようとした
人間の生も、他の動植物同様、天の営みの一部であるが、人は禽獣とは違う、特別に優れた「万物の霊」である。儒学の経典である五経の一つ『書経』に、「天地は万物の父母、惟れ人は万物の霊」とある。
人間は禽獣と異なり、社会的・倫理的・文明的に生きる能力を天性として持つ。その意味で人の性は善である。
こうして儒学者は、人間普遍の人らしい自然な(本性に即した)生き方があり、そこには社会性・倫理性・文化性が含まれると考える。

●礼と道
儒学者たちは、人らしい生き方の具体的様式を礼と呼ぶ。礼は、日常の作法・儀礼・冠婚葬祭等の儀式・社会制度・政治制度等の一切を指す。そこに、人の社会性・倫理性が具体的に現れる。この礼こそが禽獣と人を区別するものである。
しかも礼は、恣意的に制作できるものではなく、時代ごとの変遷はあっても、その根底には人らしさの基本原則がある。それが道である。
道は、人である以上当然に行くべき道であり、また、人である以上、誰でもが通れる道である。特別な能力を持った人のみが通れる道は、天下の大道ではない。人ならば皆が通れるから人の道なのである。
この道を辿ったからといって、天国・極楽に到着できるわけではない(天国や極楽など存在しないから)。人は人である以上、そこを歩むべきであり、歩めるのである。

●五倫と五常
出家して結婚せず子も作らないなどというのは道ではない。万人ができるわけではない特別な荒行も道ではない(邪道である)。この現世にとどまり、良き社会人として、幾重もの人間関係の中で真っ当に生きてゆく。それが人間らしい生き方=道である。
儒学者によれば、この世における主要な人間関係は、父子・君臣・夫婦・長幼・朋友の5つである(五倫)。それぞれにおいて実現すべき正しい在り様が、親・義・別・序・信である。中でも重要なのが父子(母子も含む)であり、それが人倫の基本である。
人は必ず誰かの子孫として生まれ、誰かの親となるべきものだからである。つまり、人は、ただの個人としては存在しない。人は孤立した抽象的存在ではなく、必ずある親の子として生れる。それは否認不能の絶対的な絆であり、それが他の一切の規定に先立つ。だから、親に孝を尽くすのは当然である。
人は、相手に応じて変わる様々の社会的倫理的役割を有する多面体であり、この5つの人間関係が良好に営まれるには、常に5つの徳が必要である。仁・義・礼・智・信の五常である。この五常があいまって、五倫もうまく営まれ、人間らしく生きることができる。

●天下と天子
しかし、人の本性は善であるが、現実の人々は、人の道を踏み外し、不仁。残虐なことさえ行う。
超越者はおらず、凡人が凡人を統治できるはずがないから「自治」も解決策たりえない。誰か優れた人が、人々を導くしかない。それが統治者である。人間らしい生活にとって、統治・支配は不可欠であり、統治の存在もまた天意なのである。
統治者になるのは、強者ではなく、五常の徳を兼ね備えた人間としての選良である。そのような人は自ずから人々に推され、人々は自ら従う。そのような統治者を天子と呼ぶ。人を生成し、人らしく生かしめんとする天の意思の代理人である。
それは人々に推されて天子になるのではなく、天の思し召しとして代理人指名があったと儒学では解釈される。これを天命が下ったと表現する。

●君・臣・民
天下の統治は天下の万民のためである。天子のために万民がいるのではなく、万民のために天子がいる。その天子の統治は仁政(慈しみの統治)である。政治とは、特別に優れた人が、人らしさに劣る人々を、人らしさの本質である誠実な慈愛をもって助け、導くことである。
天子がいかに優れた人であっても、一人で天下は治められない。天子の補助者が臣であり、天子と臣は君臣の関係を結び、共に民を統治する。
臣は天子ほどではないとしても、人として優れた人(徳のある人)である。いわば道徳官僚である。臣の選抜が理想的にいけば、民として残るのは相対的に愚人・小人ばかりとなる。

そして、君は臣を信頼し、臣は君に忠であるべきであるが、それは隷従ではない。君が間違っていれば諌めるべきである。三度諌めてその言が容れられなければ、君臣関係を返上すべである。
民の君への忠誠義務は、説かれない。民は相対的に愚かで十分に道徳的でないからであり、その民を教導するのが君なのである。従って統治とは教育である。民が治まらず世が乱れるのは、君の責任である。
(日本では往々誤解されているが)儒学は民に教え込んで「忠君愛国」を勧める教えではない。統治する側が学び、信ずべき教えである。

●礼楽・学校・科挙
以上のような統治をなすために必要なのが、礼学・学校・科挙である。
政治の本質は暴力ではなく、法を定め罰することも本筋ではない。統治は第一に、人の模範である天子の徳の感化(徳治)としてなされるべきである。具体的には、礼を定め、それを率先し、正しく美しく振舞えば、民も己の野蛮さに気づき、正しい秩序に向けて興起する。
また、楽(音楽)も重要で、美しく正しい宮廷音楽は、人を内面から淘冶し、善き生に導く。
第二に、教育の制度化(学校)である。政治は教育であるなら、国家が学校を設立し、教育すればよい。
第三に、徳のある人の臣への登用である。その主要な方法の一つは、郷挙里選という、地方から人望のある人を推薦させることであり、もう一つが科挙である。有徳の人を選抜するには、道を記した書物(四書五経)について論文を書かせ、それで選考すればよい。
中国では科挙は既に6世紀には実施され、10世紀北宋の時代には完全に確立し、20世紀初めまで続いた。

●修己治人
人の本性は善であるから、誰でも努力次第で孔子のような聖人(生まれながらの完璧な人格者)になれる。この聖人になるための努力を修身と呼ぶ。修身が進めば、まず家族関係がすばらしく上手くゆき、己の身を修めた人格者は統治者となる(修己治人)。そうすれば国は治まり、天下は平らかになる(修身・斉家・治国・平天下『大学』)である。

●三代と革命
儒学者によれば、聖人(完璧な人格者)が天下を治めた理想の世がかつて実在した。堯舜三代、夏~殷~周の三王朝の時代である。最初の政権交代は禅譲であったが、やがて世襲制になって夏王朝が始まった。
儒教が理想の王朝と呼ぶ以上、最高の人格者に天命が下り政権交代が行われるべきで、世襲はおかしいはずだが、儒学、例えば孟子はこれをしたたかに正当化する。世襲制も、現に人民が従っているという事実を以て、それも天の意思であると正当化し、世襲による皇帝も人格者と看做されたのである。
世襲による皇帝が暴君である場合には、どうなるのか?
第一に「天人相関」である。天下統治の善し悪しは、天の活動と無関係ではない。天子が善い統治をすれば天の運行も順調だが、逆であれば天災が起きる。それは天子の統治に問題があるのであり、それに対する天の警告、天罰である。天災も人災であり、政治問題、天子の徳の問題である。
第二は放伐による革命である。
暴政を続ける天子に、臣が諌めても聴かなければ、臣は退去し天下の民心も離れる。天命が改まり、天命を受けた新しい天子が登場する。新天子は旧天子を追放し征伐してもよい。これが禅譲による革命の対極をなす、放伐による革命(易姓革命)である。暴力による王朝交代もこうして正当化される。
孟子も暴君殺害を断乎肯定しており、朱子学を大成した朱熹も、厳しい条件付きで放伐革命を原理的には認めている。暴君(旧天子)の臣が旧天子を征伐しても主君殺しとして糾弾されることはなく、聖人として尊敬される。

●華夷
天は一つであり、道(人らしい生き方)も根本的には一つである。従って、天命を受けて人々を導く天子も一人のはずである。つまり、文明の中心は全人類にとって一つであり、天子は全人類の指導者であるはずである。しかし、天子の感化にも限度があり、現実には人らしさに欠け禽獣に近い未開部族が残り続ける。これが、中華に対する夷荻である。
これは基本的には人種主義ではない。礼を身につけ道に従うならば夷荻も中華の人たりうる。現に、中華的生活様式が周辺民族に拡大浸透した結果、言語・風貌・身長等の大きな地域的差異にもかかわらず、互いに同一民族だと固く信じる漢民族が形成された。
夷荻を暴力で征服し、強制的に文明化させるのは、仁とは言い難い。そこで天子は、夷荻なりの支配様式や風俗習慣を認めてやる。夷荻の長の使者が朝貢してきた時には、天子は遠方の臣として、夷荻集団の長の支配の正当性を承認してやる。

つまり、徳のある人物が徳のない民衆を導くべきであって、徳のある人物とは『四書五経』を勉強して科挙試験に合格した官僚である。
これが中国の支配観念となった儒学の中核である。
もちろん、儒教をつくった孔子は、官僚が民衆を支配すべきであるなどとは一言も言っていない。
孔子の儒教が官僚に都合よく歪曲され、科挙官僚制による支配の正当化観念になったのが儒学である。
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List    投稿者 staff | 2012-02-19 | Posted in 04.日本の政治構造3 Comments » 

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コメント3件

 unimaro | 2013.02.19 8:45

何事も一面だけを切り取って語るのは、ちょっとアレですね。
当時までの歴史文化を考えれば、その土地の文化の一つとして、たまたま体罰というものを持っていなかった、だけだと。多分昔の日本以外にも、第一次大戦以前は体罰を文化の中に持っていなかった(概念すらなかった)地域を探せば多いと思います、例えば中央アジアやチベットやアフリカやアラブ圏などもそうではなかったかな?と想像されます。そう考えると、子供のころから家畜以上に体罰を与えていた白人文化の方が異常なことになるかも知れません。
なぜ、体罰などという概念を持つ必要もなかった文化だったのか?その理由こそ重要であり、それがないから、今の日本の異常な社会(一例:これほど子供が自殺する地域が世界のどこにある?)が少しは見えてくるのではないでしょうか?

 TSS | 2013.02.19 13:50

私の経験では
師範学校出身の先生はなぐったりたたいたりしなかったが、教えるのもうまく児童が自然と授業に集中するように指導していたが、新制大学の先生は児童がなにも悪くなくても突然切れて全員往復ビンタなどを平気でしていた。授業も雑談で脱線する事も多く、今から考えると教えるのはへたくそで児童もついていかなかったためであろう。ストもするし困った存在であった。今の人たちは昔の師範学校の先生を知らないのはかわいそうである。

 browse around this website | 2014.03.28 17:13

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