2012年02月08日

12/29 なんでや劇場レポート(2)~学校やマスコミによって刷り込まれた「絶対に正しい」という旧観念が理論追求忌避の元凶~

前回の『12/29なんでや劇場(1)~私権時代の観念追求は、大衆を観念統合するためのものだった』では・・・
・原始人類~部族間の同類闘争の時代まで、本能・共認機能で外圧をとらえ、それを言葉化して共有するために観念は使われていたこと(観念を使って追求していたわけではない)
・観念追求の歴史は、私権時代に入ってからで、3,000~4,000年程度しかなく、専ら、大衆を統合(支配)する道具として観念が追求されてきたこと
が明らかにしました。
現代は100%そのような状態になっていますが、その中でも、10年ほど前から、“もったいない”“節約志向”“社会の役にたちたい”“食欲”など、新理論の土台となるような、潜在思念が生み出す瑞々しい言葉が登場し始めました。
このように、可能性が出始めているにも関わらず、誰もその先の、新理論の追求に向かわないのはなぜなのでしょうか?
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(さらに…)

  投稿者 Hikaru | 2012-02-08 | Posted in 未分類 | 9 Comments »