尊皇攘夷や右翼思想は、敗者の思想ではないか?
近代日本史を民の生活派VS金貸し派という支配者の対立構造から捉え直していきます。
その前に、まずは江戸時代の支配階級の思想はどんなものだったのか?を検討していきます。
そこで今日は、『時代を見通す力(副島隆彦氏著)の第一章:「義」の思想を日本が受容した』を参考にして、追求していきます!
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①モンゴルに滅ぼされた南宋の官僚文天祥の「正気の歌」が、日本の支配階級に影響を与えた
(画像:http://time-az.com/main/detail/139)
・文天祥の「正気の歌」が700年間日本の支配階級に与えた影響は非常に大きく、日本人の精神史を考える上でとても重要です。(時代と国を超えて、日本の幕末と昭和史を突き動かしました。)
・文天祥(1236-1282)は中国の大官僚で、中国南宋(1127-1279)時代(宋の王朝が北方の遊牧民である遼(契丹)、金それからモンゴルの進出で追われて南へ亡命して出来た王朝)の首相クラスの人物です。
・この文天祥がつかまって処刑される直前のおそらく1281年に作った有名な詩を「正気の歌」といいます。この漢詩が後世、きわめて重要な意味を持ちました。
「正気の歌」
天地に正気有り
雑然として流形を賦す
下っては則ち可獄と為り
上っては則ち日星と為る
人に於いては浩然と日う
沛乎(はいこ)として蒼冥(そうめい)にみつ
皇路清夷に当たれば
和を含んで明廷に吐く
時窮まれば節即ち見われ
一つ一つ丹青に垂る
******************
天地には正しい気がある
それは雑然としていて 様々な形を与える
例えば地に下れば大河や山となって
天に上れば太陽や星となる
人に作用すればそれは「浩然」と呼ばれ
みるみるうちに広がって大空、宇宙に広がって行く
政治の大道が清く正しい時に当たっては
それは穏やかな姿で朝廷にあらわれ
時が行き詰まれば節目となって世にあらわれる
それは一つ一つ 歴史に残されることになる
******************
②文天祥の思想が「尊皇攘夷」や「右翼思想」の源流
・日本の支配階級は、この「正気の歌」を死ぬほど愛していました。
・「正気の歌」は、室町時代(足利時代)の「五山」の秀才の僧侶(高僧)たちが、日本語にこの漢詩をなんとか解読して移植されて「儒学」となり、武士達のインテリの間に広まりました。そして幕末が近づくと水戸学の藤田東湖たちが朝から晩までずっとこの「正気の歌」を読みました。
・1660年代ぐらいに文天祥の思想は、日本で最も偉大な東洋思想として山崎闇斎が創った崎門学により大ブレイクしました。そこから浅見絅斎、栗山潜峰らの後の日本の右翼思想の源流といいますか、愛国主義、民主主義が生まれました。浅見絅斎が書いたのが「靖
献遺言」です。その中で文天祥のこの「正気の歌」が激しく礼賛され、当時の優れた武士たちに強い影響を与えました。
・その後に、「中国夷狄論(日本こそは中朝なり。中国が世界の中心ではない。日本が中心だ)」と「南朝正統論」を浅見絅斎らが切々と説いて、強烈に唱えた。陽明学(王陽明の実践思想)の山鹿素行もこの「中国夷狄論」であり、水戸学も含めた尊皇攘夷の思想の中心になっています。そして、幕末の橋本佐内から西郷隆盛も、そして吉田松陰もみんなこの思想であり、2・26事件の青年将校たちも昭和の軍人たちも同様だったのです。
(西郷隆盛 画像:http://www.kirei-ni.com/portrait/shouzouga/gallery-12.html)
(吉田松陰 画像:http://blogs.yahoo.co.jp/yoshimizushrine/60194978.html)
☆しかし、自分達が学んだ儒教(正統の中国の官僚思想)は、中国の学問であるから日本の知識人たちは、どうしても中国に劣等感が抜けません。
☆一方中国では、思想の大義に従って生きて、そのためにつかまって牢屋に閉じ込められ、そして最後は首を切られて死ぬ。それが自分の名前が後世につながり良いことなのだともされていました。
③中国からの借り物思想を元に出来た中国夷狄論→尊皇攘夷論
・日本の支配階級の一番上の頭のいい学者、知識人たちは、700年間に亘ってこの文天祥を学んでいました。
・南北朝(室町時代の前半)の武将で文人の北畠親房の『神皇正統記』が原型ではないか?という人もいるかものしれませんが、これも少し前の文天祥らの行動の影響が強くあり、もともとは中国伝来であることに他ならないのです。
・日本では、お坊様達が平安時代、室町時代から、儒教の経典の解読をずっとやっていました。
・幕末の日本で爆発的に読まれた本が、平田篤胤の『出定笑語』と頼山陽の『日本外史』と会沢正志斎の『時務策』であり、この3人が幕末のベストセラー言論人であったようです。これらの大人気を博した日本知識人の思想の原型(範型)はまさしく文天祥なのであります。
・そして私たち日本人の思想の正当性の根拠が、中国の儒学者達からもらってきた思想であり、この複雑な心理と悲しみのところに、日本の知識階級のねじれ・哀しみがあるのです。ですからこの考えがねじくれて、「日本こそ世界の中心の国であって、即ち中朝である」という考えが生まれます。それが浅見絅斎が言い出した「中国夷狄論」です。中国こそは夷狄(北方の蛮族)である。日本の方が正当の国である、という考えです。
④中国人の根底にあるのは儒教(孔子)ではなく、道教(関羽)
・朱子学というのは、儒教の一種ではあっても「易姓革命論」と「大義名分論」と「湯武放伐論」を強調しています。易姓革命論とは、中原の覇者である権力者が入れ替わり、その人が新しい皇帝になったとき、王朝の名である姓(姓氏)がかわり、天命が新しい権力者に降りたことから、天命が革まったということだ、とする思想です。
・この「易姓革命論」を日本の徳川氏(江戸幕府)は非常に重視しました。そしてこの中国伝来の思想を日本語においても正統の政治思想としました。ここで孔子あるいは朱子の思想と対立するのが道教(タオイズム)の思想です。儒教と対立するもうひとつの大きな流れが道教(占い、まじない)の寺院を大変大切にしています。
・それに対して、中国民衆は孔子(儒教)の思想が大嫌いです。君子というのは官僚たちのことだと知っているからです。民衆達は、どこの国の官僚たちにも共通することとして、
本心では自分達官僚(の利益)のことしか考えないということを知っているからです。
☆結果として、儒教は官僚の間で広まり、道教は民衆の間で広まりました。
・また日本でも同様ですが、民衆は道教の寺院(道観)にお参りに行きます。浅草の浅草寺に人気が集まるのもその理由です。
〈注目ポイント〉
※日本の支配階級は属国根性が抜けきれず、自らの正当化思想さえ中国からの借り物です。
従ってそこから派生した「日本が世界の中心」という尊王攘夷・右翼思想は、最初から矛盾を孕んでいました。
※文天祥の思想はモンゴルに滅ぼされた南宋の思想、つまり追い詰められた敗者の思想です。朱子学も宋代につくられた思想であり、敗者の思想→観念論である疑いが濃厚です。それが尊皇攘夷・右翼思想の源流というのが事実だとしたら、尊皇攘夷も右翼思想も敗者の思想であるということになります。もともと日本の支配階級の出自は、中国への属国根性が染み付いた朝鮮の中でもさらに敗者の集まりだからこそ、これら敗者の思想が700年もの間受け入れられたのではないでしょうか?
※戦国時代直後の江戸時代初期は、庶民も武士も期待は秩序安定期待でした。それに応える形で徳川幕府が身分序列を正当化するための朱子学を広めました。こうして天下泰平が100年も続き戦乱がなくなると秩序が安定します。戦国時代には浪人たちも戦功を上げることで取り立てられる可能性がありましたが、秩序が安定するとその可能性がなくなり、固定の身分序列の中で浪人たちは窮してゆきます。浪人たちの不満の矛先は徳川体制に向かいます。実際、徳川体制に不満を持つ浪人たちが幕府に対する反乱「由井正雪の乱」を起こしました。
「中国夷狄論」につながる思想を広めた山崎闇斎も山鹿素行も、もともとこの浪人という身分であり徳川幕府に対する不満や批判は相当根深いものがあります。そして幕府を批判し天皇を第一とする後の「尊皇思想」につながる思想を唱えました。
この徳川体制に不満を持つ浪人たちも、安定秩序からのはみ出し者であり、秩序安定期待から外れた敗者ということができます。
「尊皇」から進んで、孔子の思想である万世一系を実現しているのは日本であって、それ以外の国は夷狄であるという攘夷思想が生まれます。中国をも夷狄と看做したのが「中国夷狄論」です。戦乱による権力争いを繰り返す中国よりも万世一系を実現している日本のほうが優れているとする思想が「中国夷狄論」です。
⑤神・仏・儒を全否定した、町人の思想家富永仲基
・江戸時代の中期の1730年代に、富永仲基という思想家がいました。この人は、豪商がお金を出して建てた大阪の懐徳堂(今の大阪大学の前身)で学んだ人です。
・この富永仲基という人が書いた『出定後語』(1745年、後語)という本が大変素晴らしいと語り継がれています。
・富永仲基と同時代の人物に、石門心学を生み出した石田梅岩という人がいます。この人は、日本で初めて教育を学習塾で始めた人です。
・それに対して、江戸では塙保己一(1746~1821)という全盲の人がいました。彼は、総検校という針灸師、音曲師としての職のいちばん上にまでのぼって将軍様にもお目見えしたほどの人で、麹町に私設の学習塾をつくり人を集めました。この頃から寺子屋という考え方が生まれてきました。
・富永は、「神道はおかしい、仏教もおかしい、儒教もおかしい,三つとも全ておかしい」と書いた。富永はそれに対して、日本には「誠の道」というのがあって、人間は正しく商売をやって、まっとうに利益出して堅実に暮らしていくべきだ、それが正しい思想だということを書いた立派な人です。
・富永仲基は神、仏、儒の全てを批判しています。『仏教はインド人という肌の黒い人たちの思想だ。儒教は中国人の思想だ。それらの外来思想を日本人である我々が過度に有り難がるのはおかしいではないか?』とも書いた人です。加えて神道もおかしい(本当は神道ではないか?)とまで言っている人です。
〈注目ポイント〉
※天下泰平が100年も続き、期待の中身が豊かさ期待に変わっていきました。そこで士農工商の最低身分である商人の中から、身分秩序を正当化する朱子学批判が強まり、町民独自の思想が登場します。こうして旧観念を全否定する思想を生み出したのが富永仲基です。町民からこのような思想が登場したことは注目すべき事実であり、可能性ではないでしょうか?
そこで、しばらくは『江戸時代の思想史』を追求していきます!!
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コメント10件
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駿河国 | 2013.02.09 17:44
崇神=伽耶系、応神=百済系はまったく賛成です。ですが「次いで480年頃、葛城ネットワークが、百済から応神勢力を招いて河内政権に衣替えする。」の招いての意味はあまり理解できません。
(葛城が百済人に築造させた仁徳天皇陵と百舌島古墳群)
はむしろ騎馬民族征服説に近いのではないかと思われます。竪穴式から横穴式へ墓制を帰ることは権力者の変更です。いかがでしょう。