2009年01月26日

〔日本政治のしくみ3〕現在のフレーム≒55年体制が成立した背景

〔日本政治のしくみ2〕 現在の政治の仕組みができたのは“55年体制”で明らかになったように、今の政治の仕組みは、戦後アメリカからの独立を回復して間もない“55年体制”で大枠のフレームが固まっていました。
今回は、この“55年体制”が成立する1955年前夜の日本の政治情勢について明らかにしてみたいと思います。

55年体制が成立した背景には大きく3つの要因があると言われています。
①世界的な東西冷戦→日本でも『社会主義(左翼)勢力の台頭→左右対立』
②社会主義≒統制経済を嫌う『国内財界勢力の政治への働きかけ』
③日本をアジアでの社会主義勢力に対する橋頭堡にしたい欧米、特に『アメリカの思惑』
いずれも『社会主義勢力の台頭』が引き金になっています。

8) まず、世界的な社会主義勢力の台頭の経過を振り返っておきましょう。
1917年;ロシア革命
1922年;ロシア⇒ソビエト連邦の成立
1946年;中国国民軍VS共産党の内戦(文化大革命?)
1948年;朝鮮分割(朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国)東西対立表面化
※以降~1989年;雪解け(ベルリンの壁解体)までが世界2大陣営による東西冷戦時代と称されている
1949年;中華人民共和国の成立
1950年;朝鮮戦争(動乱)勃発

🙄 続いて国内情勢に目を転じてみましょう。
1945年WWⅡ終戦から~サンフランシスコ講和条約が発効した1952年までは、日本全土が米軍の占領下にありました。
連合国軍総司令部「いわゆるGHQ」が駐在し、その監視と指導?のもと国会や内閣が機能するという体制です。
1947年には新憲法が施行され、国政選挙なども現在に近いカタチで行われるようになりましたが、内政では経済復興と敗戦処理外交が優先課題だったので、政党活動はあまり活発でない状況です。
1945~1954年までの大半の期間、内閣総理大臣は(1947~48年の社会党の片山哲~民主党の芦田均を除いて)吉田茂で、彼が総裁を務める(民主)自由党が第一党でした。

😈 ところが、先に見た世界的な社会主義(特に労働組合)運動の高まりを受け、
片山内閣総辞職後の’49年、選挙大敗後に分裂していた日本社会党の左派と右派が’55年に再統一、衆院議席の過半を獲得するに至ります。
これに危機感を覚えた財界が、保守系第1党であった民主党(旧改進党)に、自由党との合体を働きかけます。
『吉田vs鳩山5年戦争』を闘った敵同士が、【アンチ社会主義=自由と民主】を旗頭に手を結ぶという劇的な政変が起こります。

これをもって、保守(民主・自由市場主義)系2大政党が大同小異で連立し(反・社会主義の)安定政権=55年体制が確立したのです。(以降の流れは「派閥政治って何?」にあるとおり)
   左が吉田茂氏 右が鳩山一郎氏
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政策論争などすっ飛ばして、社会党に政権を渡さないために成立した55年体制は、現在の「自民党+民主党の大連立構想」と同様で、従米安定政権が維持できれば何でも良かったのではないか?とさえ思われる。

では、戦後日本の従米政治を決定づけたのは何だったのか? この基本路線を敷いたと考えられる『GHQの民主化政策』について次回以降で明らかにしていきましょう!

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前述した『吉田vs鳩山5年戦争』と呼ばれる政権闘争について詳しく知りたい方は、続もをどうぞ!

(さらに…)

  投稿者 nandeyanen | 2009-01-26 | Posted in 未分類 | 5 Comments »