2008年03月18日

『アメリカの共和党と民主党』7・・・アメリカ(人)の意識(2/3) :特殊性意識→ 孤立主義と膨張主義

『アメリカの共和党と民主党』6・・・アメリカ(人)の意識(1/3) :「排他意識」と「アメリカ価値観の絶対化」 の続きです。
今回は、殖民地領、独立戦争時代の背景からもう一歩、アメリカ(人)の意識に突っ込んでいきます 😀
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ここまでの『排他』『アメリカ価値観の絶対化』の意識は、建国以来アメリカの主流で、イギリスからニューイングランドに渡ってきたカルヴァン派ピューリタンの分離派(セパラティスツ)に源流を見ることができます。
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彼らの経歴を眺めると、
ヘンリー8世(1491~1547)、エリザベス1世女王(1533-1603)時代にイギリスにおいて教会を、ローマ・カトリック教会から分離させてイギリス国教会を作った。
しかし、主として政治的理由から出来たものゆえ、その教会形態、礼拝様式は中途半端な面が多かった。
そんななか宗教改革の線に沿ったより純正なプロテスタント教会にしようではないか、という動きがでてくる。
イギリス国教会を内部から純化、ピューリファイしようという意味で「ピューリタン」と呼ばれているグループが出てくる。
それに対してさらに、イギリス国教会の中に止まってそれをピューリファイしようとしても無理であり、信仰を全うしようとするならば、イギリス国教会から出ていかなければならない。分離、セパレートしなければならない、そういう意味で「分離派、セパラティスツ」と呼ばれるグループがピューリタンのなかから出てくる。
彼らはイギリス体制から言えば、異端者であり迫害された。地下運動的に礼拝を守ることもやっていたが、これでは礼拝を守りにくいゆえにイギリスを離れてどこかで自由な所で自分たちの礼拝を守ろう、イギリスから脱出して信仰の自由のあるオランダに行こうとする動きが出てくる。
1608年にオランダのアムステルダムそしてライデンに渡ったが、しばらくして、元来イギリスの質実な自営農民の彼らは、オランダのアムステルダム、ライデンの都市のなかで適応しにくくなり、イギリスのプリマス港からメイフラワー号(1620年9月16日)に乗ってアメリカに移ることになる
ここで重要なことは、渡航費用を工面する商業目的のパトロンの関係もあり、メイフラワー号に乗っていたのは、カルヴァン派ピューリタンのセパラティスツだけではなく、アメリカに働きを求めたピューリタンでない“よそ者”(イギリス国教徒など)が半数を占めていたことである。
この(原初的)多元的構成メンバーでメイフラワー号に乗った102人全体を「プリグリム・ファザーズ」という。
互いに異質なよそ者同士が、「メイフラワー誓約」という契約を結んで、新たなアメリカの地に新しい政治団体、植民地を形成していく。
ここに、多元的な移民国家アメリカの原初形態があり、それが『排他』と『アメリカ価値観の絶対化』の意識につながる源流としてある。

そして、彼らは、イギリス的な制度、思考様式を搬入しつつ、同時にそれを克服して、アメリカの中において独自なものを、特殊なアメリカ的なものを築こうとしていく
それは、宗教的にはイギリス国教会を否定するピューリタズムによって表現されるが、宗教においてのみでなく、政治制度、生活様式、風習などすべての面において、ヨーロッパとの違いが意識され、アメリカの特殊性が意識されていく。
そして、独立革命で政治的にイギリス帝国から分離することによって、思想的・制度的に固定化していく。
.なぜ、イギリス・ヨーロッパの違いを意識し、アメリカの特殊性が意識されていったか
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  投稿者 kirin | 2008-03-18 | Posted in 03.アメリカの支配勢力と支配構造6 Comments »