2012年03月08日
江戸時代の思想5 日本の現実(共認体質→秩序収束)と儒学観念との断絶に直面した儒学者たち
1748年頃の「朝鮮通信使来朝図」
画像はこちらからお借りしました。
「江戸時代の思想3」では、次のような提起をしました。
共同体が解体された中国における地主⇒科挙官僚の正当化観念(儒学)を、共同体が残存し共同体質が色濃く残る日本の徳川体制下で、一部の知識人が真剣に学び始めたことにある。
つまり、共認の土壌が全く違う日本に、儒学という観念だけが輸入されたわけである。
その結果、どんなことになっていったのか?
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