2020年06月04日

日本人と天皇家の起源②・・「南朝」「北朝」の覇権争いと、それらを陰で操ってきた秦氏

古来より日本の支配層は、「北朝」「南朝」に分かれて覇権闘争を繰り返してきました。

平安時代末期の、実質的な日本の支配氏族である「藤原家」の北家と南家への分裂。
また鎌倉幕府滅亡後の後醍醐天皇と足利尊氏の対立は、「北」と「南」で朝廷を二分する戦いに発展しました。
この平安時代から続く「南朝」「北朝」の政争は、より公家色が強く、百済系で固めていた南朝。早くから武家と関係を持ち政治色が強い北朝。と大きく分けることが出来ます。

しかしそのままでは、別の王朝、別の国家になりかねません。
実際、中世のヨーロッパでは、民族ではなく血族による王朝が烏合離散を繰り返しました。

日本は南北に細長い列島国家でありながら、このような結果にならなかったのは何故か。
ここに、両派を超越しながら藤原氏を支配し、日本全国に広がって根を張っていた「秦氏」の存在がありました。そしてその力と情報の基盤は、秦氏を中心とした神社(諜報)ネットワークでした。
(さらに…)

  投稿者 nihon | 2020-06-04 | Posted in 04.日本の政治構造No Comments »