2013年06月25日

米国の圧力と戦後日本史(総集編1) 戦後3年間で、アメリカによる日本支配の根本は完成されていた

 半年に亘って追求を続けてきたこのシリーズも、現代に入り、日本の現在進行形の課題であるTPPについても議論した。その上で、今まで議論した内容を軸に、近い将来における日本社会の状況を予測した。そこで、今回からは「米国の圧力と戦後日本史」シリーズでこれまで追求してきた内容を振り返り、まとめていく。
 
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(吉田 茂)

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2.日本の徹底破壊を狙った初期占領政策(自主独立を目指した重光葵 vs 対米隷属を進めた吉田茂)
 1945年に日本は降伏文書に署名した。これに伴い、GHQは日本に①英語の公用語化②治外法権③米国の軍票を法定通貨とする旨の布告を出す。これに対して、理を尽くして反抗した人物が重光葵(まもる)だ。GHQの完全な支配化にあっても腐ることなくアメリカに対して物申す重光のような政治家がいたのである。今回の追及を通して、歴史の表舞台には出て来なかった重光のような政治化の存在を明らかにすることができたことは大きな発見であった。
 しかし、アメリカが求めたのはアメリカの要求に全て従う外務大臣である。そこで登場するのが吉田茂である。脱米派の印象もある吉田だが、実際は米国の要求を積極的に受け入れ、その方針に従わない人物は次々に排除していった。結果として吉田は日本の保守本流=対米従属派を生み出すことになったのである。
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(重光 葵)
  
3.アメリカは占領期であっても、閣僚を完全にコントロールできていた訳ではない
 対米自主派の代表格であった石橋湛山は大蔵大臣として駐留費削減の交渉を成功させた。この交渉において、石橋はアメリカの立場に立ち、中長期的なメリットデメリットを説いた。アメリカも両国の状況を冷静に捉え、交渉にのった方が今後の支配を進めやすいと判断し、一旦受け入れるという立場を取ったのである。
 一方でアメリカは、石橋が反米のシンボルになることを恐れたため、従米派の吉田茂に石橋を追放させた。吉田は、その後も従米路線へ突き進んでいくことの引き換えに長期政権を実現することになる。天皇制もまた、アメリカが日本を支配する上では、利用価値があると判断したため残された。戦後日本の憲法や日米同盟の有り様などは、当事の権力者達が自らの地位と引き換えに決めたものなのである。
 
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(石橋 湛山)
4.冷戦直前の占領政策。アメリカGHQの内部対立に翻弄される日本
 GS(GHQ民生局)が支援した片山哲(てつ)(社会党)に続いて総理大臣になったのが、対米自主路線派の芦田均(ひとし)だった。芦田は、昭和電工事件(冤罪)のスキャンダルによって逮捕され、総辞職することになる。
 当事件は、G2(GHQ情報担当部局)が摘発したものである。この背後には、日本の民主化を最優先に考えるGSと共産圏との戦いを最優先に考えるG2との対立があり、更にその背後にはアメリカにとっての外圧(国際政治の状況)の変化があった。つまり、国際状況の変化は、アメリカの政治状況の変化を生み出し、日本の政治状況を変化させていくことになる。

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(片山 哲)
5.米国は占領中期には、半永続的に日本の民主主義を支配しコントロールする力を掌握した
 1945~48年の間、日本の主要新聞はもれなくGHQの検閲を受けていた。また、昭和電工事件で芦田首相を失脚させた東京地検特捜部は、GHQの下請け機関であった。つまりアメリカは占領中の1948年の時点で、日本の検察とマスコミを手中に収め、日本の首相を都合の良いように操る力を1948年の時点でもっていたのである。
 検察・マスコミを手中に収めたということは、アメリカが日本を完全に支配する力を手に入れたということである。そこで、当時共産圏との闘いを演じていたアメリカにとっては、日本を再起不能にさせるよりも、日本に市場拡大の一翼を担わせ、再軍備を推進することにより「ソ連の防波堤」にするほうが好都合だった。つまり、アメリカは日本支配の戦略を「再起不能にさせる」から「共産圏に対する防波堤にする」に転換したのである。
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(芦田 均)
 1945年の敗戦から、日本はGHQによる占領下にあった。この時代のアメリカの中心課題は日本を民主主義国家に変えていくことであった。民主主義国家にするということは、一見日本の好きなようにさせることのように見える。しかし今回の追求で明らかになったのは、アメリカが日本を民主主義国家に変える一方で、日本支配の構造を確立しようとしていたと言うことである。アメリカは日本のマスコミと検察を手中に収めており、日本を完全に支配する力を手に入れていたのである。
 このような支配の構造の根本が確立されたという意味でも、アメリカに逆らった重光のような政治家が歴史の闇に葬り去られているという意味でも、占領期日本の状況は注目に値する。
 
 次回は、サンフランシスコ平和条約以降=独立以降の日本の状況を見ていく。

List    投稿者 yoko3 | 2013-06-25 | Posted in 03.アメリカの支配勢力と支配構造No Comments » 

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