【情報戦】 13. 何故、黒い貴族たちはイギリスに進出したのか?
■何故、黒い貴族たちは、イギリスに渡ったのか?(金貸しの立場からの分析)
■何故、イギリスは、黒い貴族を受け入れたのか?(国家の立場からの分析)
イギリスに諜報機関が設立されたかを探るには、時代状況と、その変遷を追うことが必要となる。
今のエリザベス女王につながるウィンザー家はヴェネチアの黒い貴族の系譜であり、
彼らは、もともとローマ・カトリック教会(バチカン)を騙して、十字軍遠征を演出し、中近東からの略奪を繰り広げた。
しかし16世紀、金貸しが台頭してくるとローマ法王庁は、次第に金貸しに対する批判を強めるようになる。
それに対抗すべく、ヴェネチアの黒い貴族たちがたてた戦略が、
一方では、内部にスパイ勢力というべきイエズス会を作り出し、他方では、拠点を(ローマから離れた)イギリスに拠点を移す戦略であったという。
実際に、イギリスのキリスト教はバチカンとは別のイギリス国教会という組織によって仕切られている。はじめはドイツを中心に宗教革命を引き起こし、バチカンからの独立を図るとともに、南米・アフリカ・インド交易に有利な海洋貿易の拠点としてイギリスを押さえにかかったのであろう。
そしてこの黒い貴族たちが、ヴェネチア→ドイツ→イギリスと拠点を移し変えるのに、付き従いながら、新参ものの宮廷ユダヤたる、ドイツ出身のロスチャイルドも、その拠点を、イギリスに移していった。
またロスチャイルドがイギリスを拠点としたのは、大航海時代の世界海運を主導したスペインの利権は先行するハプスブルグ家に独占されていたからであろう。
以下太田龍のサイトより引用
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「島のクラブ(クラブ・オブ・ジ・アイルズ)」とは、英国王室を核とする秘密世界政府であり、ルーツはヴェネツィア寡頭権力(=ヴェネツィアの黒い貴族)
16世紀初頭、黄金のルネッサンス運動が起こり、イエス・キリストの教えにより純化されたヨーロッパの列強とローマ法王庁(バチカン)は、ヴェネツィアの寡頭権力(オリガルキー)を邪悪なるものの元凶、高利貸し、あらゆる種類の腐敗、謀略の巣窟として告発した。
そのとき「ヴェネツィアの寡頭権力」の立てた対策は、
(1)「彼ら」の主力をロンドンに移し、ロンドンを新しい「彼ら」の世界帝国の首都に育成する
(2)そのために、英国の国家を丸ごと乗っ取る長期作戦を実施する
(3)「彼ら」の力の一部をローマ法王庁とイタリアに残し、バチカンのなかに「彼ら」の「トロイの木馬」を埋め込む(「イエズス会」はその一つである)と伝えられる。
ロンドン(そして英国)は、「彼ら」の思惑どおり、200年(16世紀初頭~18世紀初期)にして「彼ら」の手の内に落ちた。
G・コンタリーニはルター、カルヴィンを操作し、キリスト教会の分断と破壊を目的として、いわゆる宗教改革騒動を起こさせた影の張本人だという。
「イエズス会は、1601年に北京に布教の根拠地を確立したが、イエズス会(北京)は同時に、麻薬を含む極東貿易の中心勢力としても機能した。英国東インド会社が、ヴェネツィア寡頭権力の前線部隊であると同時に、麻薬貿易による莫大な黒いカネは、ヴェネツィア陣営が18世紀の6~70年のあいだに英国の国家簒奪を完成させるのに貢献した」
また、「1783年の、シェルバーン卿によるクーデターによって、英国の国家権力は、アジア阿片貿易の当事者である金融・政治勢力[これはもちろん、ヴェネツィア寡頭勢力の一派であろう]の手に引き渡された」(同前)という。つまり、この「シェルバーン・クーデター」によって、英国東インド会社とその麻薬貿易が、そっくり英国の国家機関(英国外務省、陸海軍、植民地管理にかんする部局、そして英国諜報部など)に移行したものと見られる。
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以上より、
黒い貴族たちが、イギリスに渡った理由は、5世紀半ばに始まった大航海時代、当時ポルトガル・スペインの王族はレコンキスタの戦費負担により国の資金繰りは火の車状態だった。
実質的に資金提供者はベネチア商人(黒い貴族)だった(リンク)。また、この時代に起こった「宗教改革」の画策もベネチアの金融勢力(黒い貴族)だった。
「イエズス会」を組織し、現地の王族・軍人たちに接近し、金貸しと共に武器を売りつけた。そして戦争によって作り出された貧困をテコに、教徒の拡大を図っていった(リンク)。
国家(王)が大航海に関して、直接的なプレイヤーではなかった。ゆえに王族自体に力はなく、30年戦争(1618~1648)を期に国家権力を弱めた「ポルトガル・スペイン」は捨てられた。
ハプスブルグと敵対関係の「オランダ」と、支配下に無い「イギリス」へシフトする。
また、太平洋や、大西洋に出て行くには、地中海奥深くのベネチアよりも、大航海時代(海洋貿易)の拠点としてイギリスは適していたからだ。
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