2014年05月15日

【情報戦】12. 金貸しの嘘によって仕組まれた十字軍遠征

 

情報戦の歴史的意義と今後を展望する、情報戦シリーズ。近代諜報の拠点、イギリス情報局の設立まで解明を進めてきた。シリーズを通じて、もともと諜報のもつメリットよりもデメリットの大きかったヨーロッパでいかに金貸しが諜報活動に力を入れ、ついに諜報国家イギリスをつくったかが見えてきた。

 
 シリーズの中で彼ら金貸しが諜報に手を染めたのはローマ・カソリック教会に潜伏したイエズス会あたりに端を発すると考えてきたが、諜報大国イギリスの出自をさぐるとヴェニスの黒い貴族と呼ばれる勢力に行き着き、彼らはイエズス会以前の十字軍遠征のはじまりに遡って、教団を利用すべく諜報活動を実施してきたことが分かってきた
 
英国諜報部の元政治科学将校だったジョン・コールマン博士は、「聖ヨハネ騎士団は後に英国諜報部の一部門となり、今日もそうである」(「神殿の丘の陰謀」)と指摘しており、現在の諜報機関はイエズス会からさらに十字軍遠征開始時の騎士団の歴史にまで遡る。
 
そこで、今回は近代市場社会の起点と言われる十字軍遠征について分析し、それが金貸しに仕組まれた横暴であったことを取り上げる。

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◆十字軍遠征   ヴェニス人が東方貿易の競争相手を破滅させようとして始まったのが十字軍遠征

十字軍の遠征は、当時、勢力を拡大しつつあったセルジュク・トルコによるパレスチナの占領、および聖地エルサレム巡礼を行なうキリスト教徒への迫害に対する、解放をめざした「正義の戦い」というのが通説とされてきました。しかし、これこそキリスト教的世界観のみに偏した、「独善的」な歴史観といわねばなりません。

十字軍はフランスの修道士ペトルス・アミアネシス〔1050~1115〕の提唱によって始まりました。彼が語るイスラム教徒の〝残虐〟物語が人々の心をゆさぶり、大きな原動力になったのです。ところが、それは真っ赤な嘘だったことがわかっています。エルサレムへのキリスト教徒の巡礼の旅を軍隊なしではできないようにしたのは、こうした完全にでっち上げられたイスラム教徒の残虐行為なる風説にもとづくものだったのです。

第1回十字軍では、ゴドフロア・ド・ブイヨン〔1061?~1100、エルサレムの王(1099~1100)〕に率いられたロレーヌ人やトゥールーズ伯レモン〔1041/42~1105〕に率いられたプロヴァンス人たちが辛酸をなめました。兵士として徴募された男たちは、大きな利益が得られると約束されて十字軍に参加したのですが、実際に利益を手にしたのは、ヴェニスの黒い貴族やゲルフ家などでした。

第2回の十字軍では、商業的利益と略奪が主目的でした。ノルマン人のシチリアのルッジェーロはギリシアの島々を奪取することによって資産を形成したと言われています。

第3回の十字軍では、イングランド王リチャード一世〔1157~99〕が大金と引き替えにギドリュジニャ〔1129~94〕に売却したキプロス島を奪い返しました。ギドリュジニャは、フランスの十字軍指揮官で、エルサレム王の娘と結婚して1186年にエルサレムの王になりましたが、翌年にはイスラムの英雄サラディンに敗れ、捕虜になっています。

http://rekishijyoho.seesaa.net/article/19784417.html

 

商業的勢力および略奪者としてのヴェニスの商人達の役割は、8回の十字軍を通じてなんども繰り返して現われるが、特に1202~04年の第4回十字軍はその暴虐ぶりを如実に示している。騎士団は彼らヴェニスの黒い貴族たちとゲルフ家(後の英王室ウィンザー家)らが東方貿易の競争相手を破滅させようとして作り出した略奪集団であったのだ。

十字軍年表2

◆第4回十字軍遠征   聖地奪回という大義名分をかなぐり捨てて、略奪にあけくれたヴェニス人たち

4回十字軍(1202~1204)は、北フランスの諸侯・騎士を中心に編成された。目標をアイユーブ朝の本拠地であるエジプトとし、海路による遠征を決定し、海上輸送をヴェニス人に依頼した。彼らは兵士・資財の輸送と1年分の食料調達を銀貨8万5千マルクで請け負った。

十字軍士らはヴェニスに集結してきたが、約束の船賃が6割しか調達できなかった。交渉が難航したが、ヴェニス側がハンガリー王に奪われたツァラ(アドリア海沿いの海港都市)を取り戻してくれるなら船を出す、不足分の支払いは後でよいと提案してきた。

十字軍士はやむを得ずこの条件を受け入れ、ツァラの町を襲い占領して略奪を行った(1202)。十字軍が同じキリスト教徒の町を襲ったという報を聞いた教皇インノケンティウス3世は激怒し、第4回十字軍士全員を破門した。「破門された十字軍」という前代未聞の事態となった。

翌年、破門された十字軍士を乗せた艦隊はツァラからコンスタンティノープルに向けて出航した(1203)。ヴェニスの商人と亡命中のアレクシオス(ビザンツ帝国の内紛により廃位させられたイサアキオス2世の子、後のアレクシオス4世)そして十字軍の指導者の間で、廃位させられた皇帝を復位させる、その代わりに皇帝は十字軍のヴェネツィアに対する負債を肩代わりし、さらにエジプト遠征の費用を負担するとの密約が結ばれていた。ヴェニスの商人達は十字軍を利用して商敵であったコンスタンティノープルに打撃を与え、東地中海へ商権を拡大することを企てていた。

 http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/tyusei/112-europe12.html

 

十字軍は始めからヴェニスの商人等が裏で動いていたが、200年以上に亘る遠征により、富の大半を領有する貴族や騎士の大半が、交易に関わり、商人貴族化していく。これが現在の金貸しの上位に位置する欧州の金主へと繋がっていく。

 

また、第4回十字軍の遠征以降、ヴェニスの商人達は東地中海や黒海の主導権を奪い取り、ヴェニス、ジェノヴァ等の国家が力を付け、商人・金貸しに都合の良い法制・芸術・思想を生み出していく。

十字軍2

 

●まとめ 近代市場社会の起点=十字軍遠征も金貸しのウソで始まった。

 
ヴェニス人が東方貿易の競争相手を破滅させようとして始まったのが十字軍遠征であり、騎士団は彼らヴェニスの黒い貴族たちとゲルフ家(後の英王室ウィンザー家)たちが交易拡大のために作り出した略奪集団であった。
そして彼ら金貸しによって仕組まれた「イスラム教徒は残虐」というでっちあげから十字軍遠征は始まったのである。そもそもイスラム教徒は聖地を同じくするキリスト教徒に対して寛容であったというのが事実。)
 
今も続く、「イスラム教徒とキリスト教徒の宗教戦争」は一神教同士はいがみあうのが必然といったような理屈で説明されるが、これは大嘘であった。
 
近代市場社会が十字軍遠征に起源を持つことは、これまでの追求からも明らかだが、223244 近代市場社会はそのはじめから金貸しのウソで始まった、壮大なダマシであるということである。 
 
ギリシャ、ローマといった初期古代国家においてはスパイの裏切りが横行し、諜報よりも忠誠こそが主要テーマであったし、教団もそうした裏切りに端を発する自我の損傷をいかに慰めるかをテーマとしてきた。
しかしその一方で、国家や教団に潜伏する金貸したちが情報を活用して、争いを起こさせ、商圏の拡大を図ってきたのであり、十字軍遠征を牽引したヴェニスの黒い貴族たちこそ、その首犯であった。
そしてローマカソリック教会の衰弱とともに、ヴェニスの黒い貴族たちはイギリスに拠点を定め、諜報大国を築くに至った
 
 

次回は改めて、何故、黒い貴族たちはイギリスに進出したのか。何故、イギリスは諜報大国となったのか、について検討してみたい。 

 

List    投稿者 mamoru | 2014-05-15 | Posted in 02.アメリカに食い尽される日本No Comments » 

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