2012年06月09日

世界の運命は中央アジアが握る ロシア編①~領土拡大の歴史~

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世界の主要大国として今日存在するロシア。
その国家戦略は今まで不明瞭な部分が多かった。しかし、ウラジミール・プーチンが首相に再選して依頼、上海協力機構への加盟やユーラシア連合創設、イランへの介入など、領土拡大と資源獲得を彷彿とさせる事象が多く見られるようになった。
これらの事象に関して、プーチンの真の意図はどこにあるのか?プーチンの背後には何が隠されているのか?また、ロシア国民はプーチンを支持してきたが、国民の意識として領土拡大や資源獲得を求めているのか?
このような点に注目しつつ、今回はロシアの領土拡大の歴史を確認していく。

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■シベリア征服までの推移
○ロシアにとってのウラル以東の価値
 16世紀、ロシアが西欧との貿易で利潤を上げるための特産品は「走る宝石 黒テン」に代表される毛皮であった。しかし、16世紀中ごろウラル以西の毛皮が底を尽きかけていたため、毛皮が豊富であるといわれていたウラル以東の地は、ロシアにとっては魅力的な土地に映ったに違いない。
 1555年、隣国シビル・ハンで王位継承争いをしていたエディケル=ハンが、競争者と対抗するためにイヴァン四世の臣下となることで庇護を得ようとした。この際に、彼は毛皮貢納の義務を負い、ロシアとシビル・ハン国の間に貢納関係が成立した。しかし、この関係は長くは続かなかった。1563年エディケル=ハンはクチュム=ハンに滅ぼされ、クチュムが王となったシビル=ハン国は、1572年に貢納を拒否したのである。ここに、毛皮を得るために、ロシアがシベリアへの進出を行うきっかけができたのである。
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クロテン
○モスクワ会社の設立
 16世紀、ロシアはリトアニアやポーランドを経由して毛皮をイギリスに輸出していた。1555年になるとイギリスに「モスクワ会社」が設立し、イヴァン4世はモスクワ会社に英-露間の貿易を独占する権利を与える。
 設立のきっかけになったのは、ロシアの北を回り清や香料諸島へ達する最短航路(北東航路)を探索していたリチャード・チャンセラーが1553年に白海沿岸にたどり着き、モスクワへと到着した出来事である。彼はイヴァン4世に謁見し、イギリスに戻るとセバスティアン・カボットやヒュー・ウィロビーら航海者や商人とともにモスクワ会社を設立した。モスクワ会社はロシアとの交易を独占しつつも、清へと続く北東航路を探索しているが、失敗に終わっている。
○ストロガノフ家とイェルマーク
 最初にシベリアに進出したのは、ロシア皇帝の軍隊ではなく、国から辺境の経営を任されていた毛皮豪商のストロガノフ家であり、そこで雇われたコサック軍団である。ストロガノフ家とは、世襲領土を持ち、そこで集めた税を中央へ納めた封建領主的な特権商人である。シビル=ハン国側への防衛目的でコサックを雇うことを認めさせ、さらにイェルマーク(コサックの首領)のシビル=ハン国への攻撃提案を受け入れている。
 つまり、最初に進出したのはストロガノフ家に雇われた、コサック集団であり、その集団はストロガノフ家の私的利益のための集団である。(コサックとは没落した欧州貴族や遊牧民、盗賊などを構成員として成立していた部族共同体である。また、清教徒革命後、多くの商人がロシア方面に流出したと考えられ、これらの人々の子孫が現在のロシア人の大部分をしめるのではないか。)
国家的「軍事遠征」というよりも、私的な武装占領行為に近く、占領後に政府の事後承諾が行われたところにシベリア進出の特徴がある。
 
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コサック
  
○シビル=ハン国滅亡とシベリア進出
 
 イェルマークは1578年にコサック軍を率いて東進。1581年にはシビル=ハン国の首都を攻略する。しかし、シビル=ハン国は首都を占領されたが、勢いを盛り返し、イェルマークは1584年に戦死した。
 イェルマークの戦死で、首都を奪還され、一時は撤退したロシアだが、1586年に再びシビル=ハン国を圧迫し始め、1598年にシビル=ハン国は滅亡した。こうしてロシアはシベリアへの進出を果たし、その後、組織的な国家の抵抗を受けずに1636年にはオホーツク海に達し、清国と接触することになる。ロシアがシベリアを手中に収めたことにより、毛皮によって西欧貿易で経済的に潤うばかりでなく、新たに清との貿易という市場も開拓したのである。しかし、当時強力な国家であった清国とのアムール川周辺での国境問題により、交易は不安定となり、幾度となく停止された
 
★1
ストロガノフ家とモスクワ会社がどの程度つながっていたのかについては未解明であるが、モスクワ会社が英-露間の貿易を独占していた点、ストロガノフ家がロシアを代表する毛皮商人であった点、ロシアは毛皮をイギリスに輸出していた点から、両者のつながりは強固であったと推測できる。そうすると、清への北東交易航路探索に失敗したモスクワ会社が、ストロガノフ家と結託しシベリアを征服する事で、清への交易路を切り開いたとも考えられる。
 
★2
ロシアのシベリア進出は「豪商ストロガノフ家の私権獲得」「モスクワ会社の清との交易ルート開拓」といった背景がある。

 
■南下政策
 
○南下政策の概要
 
 最初の積極的な南下外征はオスマン帝国に支配されていた黒海沿岸のクリミア半島であった。この政策を計画したのは皇帝エカチェリーナ2世(1729.6~1796.11)。ロシア南下政策の最大の目的は年間を通して凍結することのない「不凍港」の獲得と言われているが、実態は帝国主義(自国の民族主義・文化・宗教・経済体系などを拡大するため、新たな領土や天然資源などを獲得するために、軍事力を背景に他の民族や国家を積極的に侵略し、さらにそれを推し進めようとする思想や政策)に基づいた膨張政策であった。
 人口や国土において西欧と比較にならない大国のロシアが、本格的に海洋進出を始めることに対して並々ならぬ脅威を覚えた西欧諸国は、南下政策を阻止することに非常な努力を注ぎ、この衝突が19世紀の欧州史における大きな軸となる。
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皇帝エカチェリーナ2世
  
○ヨーロッパにおける挫折からアジアへ
 
 クリミア戦争(1853)での敗北など、ヨーロッパにおける南下の限界を知ったロシアはアジアにおける南下進出を積極的に推進するようになる。(18世紀にもアジアにおけるロシア人の南下進出は散見されたが、主体となっていたのは露中間の貿易停止により流出したロシア商人であったのではないだろうか。)
 アジアによる南下政策の中で極めて重要な事象は、1860年太平天国の乱とアロー号戦争で弱体化した大清帝国との間に北京条約を締結し、外満州全土を獲得、不凍港のウラジオストクを得たことであろう。以降ロシアはウラジオストクを拠点とした南下政策を推進することになる。
 18世紀以降、ロシアはインド、ペルシアに目を付け、当時海上覇権を確立しつつあったイギリスと衝突する様になる。19世紀末には中国北東部を拠点として朝鮮半島・中国中央地域支配をもくろむも、当時国力を高めつつあった日本の干渉により難航した。
★1シベリアルートによる交易が不調⇒港を求めて南下を進める(南下政策)
★2しかし、ヨーロッパにおける南下政策は困難を極め、アジアへ目が向く
★3弱体化した大清帝国との間に北京条約を締結し、不凍港のウラジオストクを獲得
★4しかし、ウラジオストクからの南下政策も不調に終わる

List    投稿者 yagu70 | 2012-06-09 | Posted in 08.近現代史と金貸し6 Comments » 

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コメント6件

 パイナップル | 2013.07.21 20:12

海外のメディアも、日本のマスコミが投票日前から自民党が勝つことを既成事実であるかのように連日報じていることに疑問を投げかけています。
私が思うに この異常な報道は、既に決まっている選挙結果の衝撃に違和感を持たれぬよう、連日言い訳をして結果に慣れさせているように感じるのです。
「野党が分裂していて、自民党に負けている」と言い分も正しいと思います。
ですが参院選直前にジェラルド・カーティスが日本国民を恫喝したり、マイケルグリーンがCIA協力者である船橋洋一らと会見を開いたりして、何か妙な感じがします。
裏に隠れていなければいけない人物たちが表に出てこざるを得ない状況とは何なのでしょう。
彼らに余裕の無さを感じるのは私だけでしょうか。

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